われわれが闘いとるべき世界
未来社会のためのわれわれのプロジェクトは、生命の破壊を食い止め、すでにもたらされたダメージを可能な限り修復するという責務とともに、社会的・政治的解放を明確に表現するものである。
われわれは、物質とエネルギーの消費を削減し、それゆえに差異ある責任を考慮しながら原料生産を削減した上で、あらゆる場所であらゆる人にとって、良い生活とはどういうものかを想像してみたい(想像しようとしてみたい)。それは、出来合いのモデルを与えるという問題ではなく、あえてもう一つの世界を考えてみるという問題なのである。すなわち、それは、資本主義や生産主義と決別することによって、それを構築するために闘いたくなるような世界である。
「その通り。われわれはパンのために戦うが、バラのためにも戦うのだ」。
すべての人が良い生活を送るためには、人間の基本的ニーズ、すなわち健康的な食料・健康・住居・きれいな空気と水が充足されることが必要である。
良い生活はまた、選ばれる生活でもある。それは充実感があり、創造的で、豊かで平等な人間関係にたずさわり、世界と人間が成し遂げたものに囲まれたものである。
われわれの地球には(今も)、気候に悪影響を与える化石燃料や原子力を放棄しても、人間の正当なニーズを満たすのに十分な耕地・飲料水・太陽・風・生物多様性・あらゆる種類の資源がある。しかし、これらの資源の中には、限りがあり、それゆえに枯渇するものもあれば、無尽蔵とはいえ、限られた、希少でさえある原料もあるし、採掘が生態系にダメージを与えるが、それでも人間が消費する必要のある原もある。いずれにせよ、資源を無制限に利用することはできないため、われわれはエコロジー的に賢明な方法で、慎重に、控えめに利用することになる。
それらはわれわれの生活に不可欠であるため、共有財として私的所有から除外される。というのは、現在そして長期的に人類全体に利益をもたらすものでなければならないからである。これらの共有財を長期にわたって保障するために、使用方法だけでなく、使用の限界、手入れや修理の義務などを定めた集団的な規則が策定される。
マングローブと氷床、湿地と砂浜、熱帯林と河川は、同じやり方でケアされるものではない。太陽エネルギーは風力発電や水力発電と同じ法則に従っていないし、同じ物質的制約を課されるわけではない。そうであるがゆえに、規則の作成は、直接の関係者・労働者・住民が参加する民主的プロセスの成果でしかありえないのである。
われわれの共有財はまた、われわれが平等主義的な方法で、したがって無償で、教育・健康・文化・水へのアクセス・エネルギー・通信・交通などのニーズに対応できるすべてのサービスでもある。これらもまた、社会全体によって民主的に管理され、組織される。
人々に対応するサービスや人生のさまざまな段階で人々が必要とするケアは、公私の分離を打破するとともに、すべての人の主体性を尊重し、こうした仕事の社会化、すなわち社会全体の仕事とすることによって、こうした仕事を女性に割り当てることに終止符を打つ。社会的再生産のためのこうしたサービスは、とりわけ家父長的抑圧と闘うための不可欠な手段である。
こうした分権化され、全員参加型の、共同体を基礎とするすべての「公共サービス」は、非権威主義的な社会組織の基礎を形成する。
社会全体の規模で民主的・エコロジー的計画を作成することによって、人々は生産に関連する主要な社会的選択を取り戻すことが可能になる。さらにそのことによって、人々は市民や利用者として、何をどのように生産するかを決めることができるようになり、さらに提供されるべきサービスだけでなく、水・エネルギー・港湾輸送・土地などの原料資源をどこまで利用できるのかという点についても決定することができるようになる。このような選択は、集団的な熟議プロセスによって準備され、啓発されるが、それは、科学的であれ住民の経験に由来するものであれ、知識を活用し、抑圧された人々(女性解放運動、人種差別を受けている人々、障害者など)が開発に対する障壁を押し広げ、差別と抑圧に対する意識的な闘いを継続するために自らを組織化することに依存している。
このグローバルな経済的・政治的民主主義は、複数の分権化された共同体や委員会と結びついている。そうした共同体や委員会によって、都市や居住地区において、地域レベルで公的生活の組織に関する決定を下すことが可能になるとともに、労働者や生産者が自分たちの職場の管理と組織化をコントロールし、生産方法、ひいては働き方を決定することが可能となる。このようなさまざまなレベルの民主主義を組み合わせることによって、競争ではなく協力が可能になり、職場・会社・部局・・・だけでなく、居住地区・都市・地域・国レベルで、ひいては地球レベルで、エコロジー的・社会的観点から公正で、かつ人間的観点から充実した運営が可能になるのである!
生産や流通に関する、そしてわれわれがどのように生きたいかに関するすべての決定は、「可能な限り分権化し、必要な分だけ調整する」という原則によって導かれる。
自分の人生を管理し、社会的集団に参加するには、時間・エネルギー・集団的知性が必要である。幸いなことに、生産や社会的再生産という仕事に要するのは、1日に数時間だけである。
生産は、民主的に決定されたニーズの充足に限って割り当てられる。生産と流通は、資源の消費を最小限に抑え、廃棄物・汚染・温室効果ガスの排出をなくすように組織化され、節制と「前もって計画された持続可能性」を(計画的なものであれ、単に利潤追求競争の論理によるものであれ、資本主義の中に組み込まれた陳腐化とは正反対に)永続的な目標とするものである。充足すべきニーズにできるだけ近いところで生産することで、輸送を減らすことができ、必要な作業・材料・エネルギーをよりよく理解することができる。
このように、農業は食料主権と生物多様性の保護を確保するため、エコロジカルで小規模、かつ地域に根ざしたものである。加工工場と流通経路によって、食料のほとんどを狭い地域内で生産できるようになる。
再生可能エネルギーにもとづくエネルギー部門は、損失を減らし、供給源を最適化するために可能な限り分散化される。社会的再生産に関する活動(健康・教育・高齢者や扶養家族のケア・育児など)は、ジェンダーの固定観念を再生産しないように注意しながら、発展・強化される。
労働が占める時間は少なくなるが、労働は不可欠な位置を占める。というのは、自然とともにあり、自然を大切にすることによって、労働は生きるのに必要なものを生み出すからである。
民主的な計画立案と組み合わされた生産単位の自主管理によって、労働者は自らの活動を管理し、仕事を組織する方法を決定し、肉体労働と知的労働の区分に疑問を呈することができる。そうした慎重な熟考は、労働集団が生産工程を管理できるか否かに応じて、技術の選択にまで及ぶ。作業工程に関する具体的・実践的・現実的な知識、集団的・個人的なノウハウ、創造性を重視することで、解体や修理することができ、必要であれば再利用できる、頑丈な物を設計・生産することが可能になり、製造から使用までの材料やエネルギーの消費を削減することができる。
どの分野でも、役に立つことをしたという確信と、うまくできたという満足感が結びついている。単調な作業に関しては、誰もが負担や難易度を減らすことに気を配る。しかし、誰もが順番に行う本質的な部分は残り続ける。
物質生産の多く(衣料品や食料品の全部または一部)は、量が大幅に減少するため、脱工業化できる。職人技術はもっと評価されなければならないし、誰もがその訓練を受けることができるようにする。
労働を疎外から解放することで、一種の「贅沢な共産主義」において、芸術と生活の境界をなくすことができる。われわれは道具・家具・自転車・衣服・・・われわれの生活全てを維持・共有することができる。なぜならば、それらは独創的にデザインされ、美しいからである。
所有するよりもむしろあるがままの生き方を。
「すべての人にとって良いものだけが、あなたがたにふさわしい。誰かを特権化することも、卑下することもないものだけが、生産されるに値する」(A.ゴルツ)。
自由とは、際限のない消費の中にではなく、選択と理解にもとづく自主的制限の中にあるもので、消費主義的な疎外と比べると明確になる。集団的な討論によって、人為的なニーズを解体し、「普遍化可能な」欲求、言い換えれば、特定の人々や世界の特定の地域だけのために取りおくのではない、充足されなければならない欲求を明確にすることができる。
真の豊かさは、財を無限に増やすこと(所有すること)にではなく、自由な時間を増やすこと(あること)にある。自由な時間は、遊び・勉強・市民活動・芸術創作・人間関係における充足の可能性を開き、人間以外の自然との関わりでの充足の可能性を開く。
つまり、われわれは多くの活動への道を開いている。というのは、それについて考える時間があり、人々や人間以外の自然への配慮を中心に据えてそれをおこなうことができるからである。
われわれが生活している場所、われわれが社会活動をしているそれぞれの空間は、他の人間的・社会的関係を築くためにわれわれのものとなっている。土地の投機や車から解放されれば、われわれは公共スペースの使い方を見直し、中心部と周縁部との分離に橋渡しをおこない、レクリエーションや集会のための空間および共有スペースを増やすことができる。そして、都市農業や地域での市場向け栽培で都市を脱人工化し、都市構造に組み込まれた生物生息空間を復元するのである・・・。さらに、真の民主主義が可能となる規模で、住みやすく持続可能な人間社会を再構築するために、都市と農村の人口バランスを調整し、都市と農村の対立を克服することを目的とした長期的な政策を実行する。
われわれの欲望や感情はもはや売り買いされるものではなくなる。選択の幅は誰にとっても大きく広がる。誰でも、各人の個人的な決断と人間性を尊重し、可能な選択肢は一つではないし、一つの選択肢が他より優れているわけでもないという考えを持つことで、性的関係を持つ新しい方法、共に暮らし、働き、子どもを育てる新しい方法、自由で多様な方法でライフプロジェクトを構築する新しい方法を発展させることができる。家族は、支配の再生産のための空間であることをやめ、集団生活の唯一の可能な形態であることをやめることができる。このようにして、われわれは、より集団的な方法で子育ての形態を再考し、母性や子育ての個人的な決断を政策化し、子どもや高齢者・障害者の役割をどのように考えるか、彼らとどのような社会関係を築くか、以前の社会から受け継いで内面化した支配の論理をどのように断ち切ることができるかを考えることができる。
われわれは新しい文化、レイプ文化ではない文化、すべてのシス女性やトランス女性の身体とその欲望を認める文化、すべての人を自分の身体・人生・セクシュアリティを決定できる主体として認める文化、人としてのあり方やジェンダー・セクシュアリティを表現する生き方は千差万別であることを可視化する文化を構築しつつある。
自由な同意のもとでの、それに参加するすべての人にとって享受できる性的行為は、それ自体で十分に正当化されるものである。
われわれは、生きとし生けるものの相互依存について考えることを学び、人類と自然との関係について、おそらくある面では先住民のものと似ているが、にもかかわらずそれとは異なる概念を構築しなければならない。それは、予防・尊敬・責任といった倫理的概念と、世界が美しいことへの驚嘆の念とが、より洗練された、不完全なことにより自覚的な科学的理解と常に相互作用するような概念である。
3 われわれの過渡的方法
資本主義、とりわけエコロジー危機と気候変動に関する支配階級の政策についての分析から、次のことが言える。
第一に、利益ではなく、人々のニーズを満たす生産と再生産を志向すること(交換価値ではなく使用価値の生産)にもとづく全般的なオルタナティブと社会計画が必要である。システム内部で、生産様式を変えることなく、あれこれといじくってみても、現在の危機を回避することはできないし、われわれが直面している破局、資本主義システムが永続することによってもたらされる破局を大幅に緩和することさえできない。革命的政治活動の重要な任務の一つは、この洞察を伝えることである。
世界的な革命的変革の必要性を理解することは、直接解決できない任務であり、実践上の困難なしには解決できない任務である。だからこそ、第二に、グローバルな展望を提示することと、実際に動員を展開したり、促したりすることができる当面の要求を提示することを組み合わせるのが重要なのである。
第三に、強調しなければならないのは、人々は議論だけでは納得しないということである。人々を資本主義体制から離れさせ、抵抗するよう促すには、勇気を与え、部分的な勝利が可能であることを示すような闘いの成功が必要である。
そして第四に、闘争の成功には、よりよい組織が必要である。これは原則的には常に正しいが、今日―労働組合が(世界の多くの地域で)政治的にほとんど消滅し、左翼が分断されている時代―において、特に反資本主義左翼の間で、セクト主義的でない方法で実際的な協力を促進し、同時に労働者が自己組織化するのを支援することが重要である。
一方では、重大な転換点(ティッピング・ポイント)を越えてしまい、地球温暖化が制御不能なまでに加速するのを見たくないのであれば、時間は差し迫っている。もう一方では、大多数の人々は、別のシステムを求めて闘う、つまり資本主義を打倒する闘いを再開する準備ができていない。これは、部分的には全体的な状況についての知識が不足しているためであるが、それ以上に、オルタナティブがどのようなものになりうるか、あるいはなるべきかという展望を持てないからである。さらに言えば、階級間の社会的・政治的力関係のせいで、資本主義社会秩序の支配者やそこから利益を得る者との対決へと向かわないのである。
他方、資本主義を改革したり、資本主義を少しずつ克服したりしようとする改革プログラム(しかも上からの指示による)にも成功の見込みはない。資本主義システムの法則を受け入れる改革では、エコロジー危機という課題に立ち向かうことはできない。また、経済や国家の漸進的な変化は、決してシステムの変革にはつながらない。資本主義の所有者やそこから利益を得ている者は、自分たちの富が没収され、自分たちが豊かになる道が少しずつ奪われていくのを黙って見ていることはないだろう。
時間は限られており、緊急の対策が必要である。エコ社会主義に反対する人々の中には、「世界革命を待つことはできないから」と穏健な改革を主張する者もいる。しかし、エコ社会主義の支持者は待つことを提案しない! われわれの戦略は、具体的な過渡的要求を掲げて今すぐ始めることである。それは、世界的な変革に向けたプロセスの始まりである。これらは別々の歴史的段階ではなく、同じプロセスにおける弁証法的瞬間である。それぞれの部分的な勝利や地域的な勝利は、この運動における一歩であり、それは自己組織化を強化し、新たな勝利のための闘いを促す。
来るべき階級闘争―労働者階級、若者、女性、先住民など、より広範な層を含む権力をめぐる闘いの基盤―において、最終的には、真のシステム転換と権力の問題を回避するのは絶対にありえないことが明確にならなければならない。支配階級を収奪し、その政治権力を倒さなければならない。

