社会運動におけるわれわれの方向性と任務
社会運動におけるわれわれの方向性と任務
この決議は第18回世界大会において、賛成107、反対12、保留3、棄権9で採択された。
1.社会運動が戦略的に重要な理由
第四インターナショナルは長年にわたり、社会運動は、そのあらゆる多様性において、社会主義のための闘争において重要な役割を果たすことができるし、しばしば重要な役割を果たすという実践-そして多かれ少なかれ理論的理解-を発展させてきた。
社会運動にはさまざまな形態がある。たとえば、労働組合、住民運動、農業労働者や農民の運動、環境保護運動、女性運動、LGBTI運動、先住民運動、人種差別反対運動、障害者運動などである。こうした社会運動は多くの場合、いくつかの側面を持っている。労働現場における搾取に対して反対する、生活空間や生活そのものを防衛する、抑圧に直面して(とりわけ、女性、LGBTIの人々、先住民、人種差別を受けている人々、障害を持つ人々の)解放を求める、などである。われわれのアプローチは、こうした闘争の多面的な側面を支援し、それらを増幅し、搾取や抑圧、生活空間と生活そのものの破壊に依存する支配階級との世界的な対決に向けて、闘争のさまざまな側面と領域の明確な接合を目指すことである。
これらの運動が重要なのは、それが資本主義体制に異議申し立てしている人々がさまざまな方法で自らを組織したものであるからだ。とりわけ労働現場において自らを組織するプロセスは、その他の集団的状況において(教育施設、居住地域、農村地域などで、抑圧の共有体験に基づいて)自らを組織していくプロセスとともに、資本主義体制(とりわけ雇用主と国家)に異議を唱える階級意識や政治化の発展を促進し、資本主義体制に挑戦し、異なる社会のビジョンを明らかにする綱領について、その前提条件の発展を促進するのである。
反資本主義政党は、搾取され抑圧された人々の最善の利益となる要求を統合するものとしての階級闘争の綱領を発展させることを目指しているが、それらの要求の発展と形成は、最も直接的に関与している人々から最もよく生み出されるものである。
われわれは当初、女性運動におけるわれわれの活動に関連してこの理解を発展させた。したがって、このアプローチはまず、女性解放闘争および女性解放運動構築に対するわれわれの方向性の問題に関して、さまざまな大会や指導機関で採択された次のような諸文書の中に見出すことができる。とりわけ『社会主義革命と女性解放闘争』(1979年、第11回世界大会決議)の第2部「第四インターナショナルと女性解放闘争」の「われわれの視点」、「ラテンアメリカ:大衆運動のダイナミズムとフェミニスト潮流」(1991年、第13回世界大会決議)のとりわけ第3部「われわれの方向性」、そして「西ヨーロッパ:女性解放闘争の形態の変化」(1991年、第13回世界大会決議)。
最初の文書は、とりわけ女性を賃金労働者としてしか考えず、女性の抑圧を過小評価する左翼の人々や、家父長制と階級関係を並列的なプロセスとみなす人々、つまり今日で言うところの二重システム論者との相違点を示したものである。
この文書では、このことについて、まず次のように論じている。「この見解は、女性による闘争に、仕事上の賃金労働者としての地位においてのみ重みと重要性を与えるものである。女性は社会主義革命によって一応は解放されるから、女性自身の要求のために闘う女性として、女性を組織化する特別な必要性はない、というのである。女性が抑圧に対抗して組織化する必要性を否定することで、彼らは労働者階級内の分裂を強化し、従属的地位に反抗し始めた女性の階級意識の発展を遅らせるだけなのである」。
おそらくこの文書の第2部の主要な方向性は、「社会主義革命なくして女性の解放なし、女性の解放なくして社会主義革命なし」というスローガンに要約できる。
われわれの当初の分析は、先進資本主義諸国における女性運動の経験に過度にもとづくものであったが、特にラテンアメリカの女性運動に関する活動によって、これを修正・発展させた。
職場に根ざした闘いによってだけでは具体的な抑圧が克服されることはない、そのためには抑圧されている人々の運動の活動的指導部が道を切り開き、具体的な抑圧の現実を示すことが不可欠であるという一般的な理解は、より一般的に言って適切なものである。
われわれはまた、それほどではないが依然として重要である文書についても合意した。その文書は、貧農や農業労働者の闘い、LGBTIQA+運動、債務をめぐる闘い、反グローバリズム運動や反戦運動、先住民運動/ファースト・ネイション運動や環境保護運動のあちらこちらで生み出されている運動、そしてもちろん労働組合の継続的な役割についての闘いから教訓を引き出したものである。2018年世界大会決議『社会的激動、反撃、そしてオルタナティブ』がそれだ。
1)こうした運動などには、それぞれ固有の歴史、力学、現在の勢力関係がある。抑圧されている人々の社会運動とより一般的な社会運動との間にはいくつかの重要な違いがある。この文書では、われわれが重要だと考える一般的な原則を引き出そうともしている。
a) 社会運動は、最も搾取され、抑圧され、多くの場合に周縁化された人々を含む労働者階級と民衆階級の一部分を社会変革のために動員する重要な方法である。その中には、革命的変化の一部となりうるものが含まれている。社会運動は、何よりもまず、社会問題、民主主義の問題、差別の問題について、体制から身を守るための初歩的な組織形態である。この点で、社会運動は搾取されている人々の行動の枠組みとなりうるし、彼らの社会的な力を代表することができる。人々は自分自身の政治的状況をめぐって行動を起こし、その経験を通してより一般的な政治的教訓を得る。この観点から、社会運動における活動は、今日われわれの組織への勧誘のためのより重要な分野となりうるし、またそうあるべきである。特に大衆活動において、より周縁化された集団出身の人々を訓練するための重要な分野にもなりうるし、そうしなければならない。
社会運動は互いに影響を与え合うことができる。たとえば、気候問題は、10年前にはなかった方法で、多くの場所で労働組合の課題の一部として受け入れられている。気候問題は主導的な役割を果たしている。というのは、その結果としての動員は、資本家やその政府の政策、抑圧や搾取の状況に対する対決の場であるからだ。現在のエコロジー状況、民主主義をめぐる状況、社会状況の中で直面している積み重なってきた危機は、社会運動の地位と重みを強めている。
b) これらの運動はわれわれにとって戦略的な重要性をもっている。というのは、自らの要求に基づく労働者階級の動員は、階級闘争や資本主義に対抗する政治的力関係の構築の温床となっているからである。したがって、それは過渡的な反資本主義的要求のるつぼなのである。
c) それはまたもう一つの戦略的側面を持っている。つまり、搾取され、抑圧されている人々自らが自分自身の利益と政治的行動の主導権を引き受けることで、自己組織化のるつぼになっているからである。この文書の中では、評議会民主主義[労働者民衆によって直接に選ばれた評議会による、下から組織された民主主義形態]に基づく社会とはどういうものか、職場・居住地域・都市における自己組織化の構造がどのようなものになるかを概説している。このことは、社会運動が評議会民主主義を実現するための十分な手段であることを意味しない。そのためには当然にも革命組織が必要だからである。しかし、社会運動は不可欠な前提条件である。
われわれは、パリ・コミューンの原則(役職の持ち回り、説明責任の透明性、意思決定における直接民主主義)を推進する。われわれはそれに、反民主主義的な秘密主義文化に終止符を打つ方法として、政府や当局との交渉プロセスを生中継するという文化を再構築する必要性を付け加える。
われわれは、システムと闘っていると主張する政党も含め、現にある権力から自らの独立性を用心深く守ろうとする運動のために闘う。ルーラ、シリザ、「アラブの春」、その他多くの政権の最近の経験は、搾取されている人々の利益を保証するために存在する大衆運動の重要性を示している。
2)それゆえ、われわれが追求するのは、社会運動の構築を擁護し、その内部で関与することであり、労働者階級人民の利益のために闘うアジェンダを前進させる要求と組織化の方法のために闘い、運動全体が階級闘争の視点を採用するために闘うのである。わが活動家は、自分たちがすべての答えを持っていると思い込むのではなく、他の活動家の意見に耳を傾け、そこから学ぶという姿勢を採用する。
3)われわれは、社会運動内部での可能な限り広範な民主主義のために闘い、最も搾取され抑圧された人々が可能な限り自らの要求と代表の声を確保することを望む。これは、われわれが代表選任の明確な構造とプロセスのためにも闘うことを意味する。われわれは、最大数の人々を積極的に関与させる最善の方法として、「構造なき専制」と官僚化の両方に反対することを主張する。
4)運動全体の最も広範な統一のために闘う一方で、われわれはときには、すべての重要な問題について、あるいは、いくつかの重要な問題に関して、運動内部で共通の大衆的関与を展開している、より左翼的な勢力の組織・会議・ネットワークに参加するし、そういった組織・会議・ネットワークを創設することにさえとりくむ。どのような場合にそれが適切であるかを定式化するのは難しい。しかし、それが適切だと考えられる状況をいくつか挙げると、既存の指導部が官僚化していて行動に移せない場合、うまくいかないことを理由として(おそらく、とりわけ若者の中で)重要な勢力が活動から脱落する危険性がある場合などが挙げられる。われわれが他の組織と一緒に組織化する可能性があるもうひとつの状況は、運動全体が重要なセクション(たとえば先住民族やファーストネーションの人々、移民、トランスの人々など)の要求に耳を傾けていない場合である。こうした構造に参加するという決定や、そうした構造を作るという決定は、常に自らの組織を通じて、つまり、この分野の活動を調整するためのグループや委員会を通じて、あるいは指導部組織を通じて、集団的におこなわれるべきである。われわれは定期的に、これが正しい道であるかどうか、われわれ自身の考えを独立して主張することができるかどうかを評価する。われわれが実際に関与しているところでは現にそうしている。
5)われわれは国際的な基盤のもとで、運動内部で広く理解されている要求やテーマについて、ある時点で意味を持つ類似した要求やテーマをめぐって、最大限社会運動の調整のために闘う。われわれは、国際的なレベルの機構が、資金を得ることのできる運動の一部だけを反映するものでないことを確認するよう努める。この闘いは翻訳をともなうオンライン会議が可能となる技術発展によって容易になるはずである。われわれは、国際組織が真に国際的であり、世界のあらゆる地域からの懸念と要求を反映し、「北」の組織に支配されていないことを確認するために闘う。
6)われわれは、すべての社会運動が自らの特有の要求に焦点を当てながら、交差的なアプローチをとれるために闘う。
7)われわれは、さまざまな社会運動間の協力と相互支援のために闘う。われわれは世界社会フォーラムの発展を支持した。世界社会フォーラムでは、社会運動総会が労働組合運動を含むさまざまな社会運動のつながりや集中点を強調する共同宣言の機会となっていたからである。今日、この考え方は「運動の運動」(movement of movements)という考え方に最もよく要約されている。しかし、その考え方は少なくとも国際レベルではどこでも本当には具体化されていない。
8)さまざまな状況において、運動自らが提唱する政策に立脚し、かつ党内でその運動の活動家や指導者が自ら活動している政党が、地方政府や国の政府さえも支配することができるという状況に運動が直面することがありうる。このような政党の活動家としての運動指導者は、こうした政府から責任あるポストを提供され、それを引き受けることもある。同様に、こうした政府は、同盟関係にはない運動の活動家たちに、その運動を「代表」すると主張してポストを提供することもあるかもしれない。われわれは、運動のスタンスはすべての政府機構から完全に独立し続けることであるべきだと主張する。にもかかわらず、運動は、運動の要求を支持・実行すると主張し、民衆の支持を享受している政府を前にして、いかにして独立した大衆動員を組織し続けるかという困難に直面することもありうる。
9)社会運動内部でのわれわれの組織方法は、できるだけ基底部に近いところで、国家からの政治的独立を求めることにあるが、その一方で、われわれはまた、ある状況においては、非政府組織(NGO)にエネルギーを注ぎ込むこと-あるいはそれを創設すること-に反対しない。そもそもこれをおこなうかどうか、また継続するかどうかの評価は、われわれの組織の民主的な構造を通して集団的におこなう必要がある。つまり、それらを統治する規則や資金へのアクセスが全体として、以下に述べる政治的目的を高めるのか、それとも制限するのかを評価するのである。
10)われわれは社会運動が権力の問題を提起することに賛成である。もし社会運動が左翼主義や代行主義に陥らないでそうできるとすれば、社会運動は支配階級の権力との対決を客観的に提起するために、その強さと性格が十分に広範でなければならない。たとえば、アルジェリアのヒラック、アラブ革命、スペインの「怒れる者たち」、インドの農民運動、チリの民衆動員などがそうであった。われわれは前世紀の偉大な革命運動にならって、特にプロレタリアートの自己組織化構造をもつ大衆運動が、ブルジョア権力に代わる権力形態であると主張する。古典的ではあるが、このような視点を擁護するために、われわれは過渡的要求と結びつけて、とりわけ社会問題と結びつけて、憲法制定会議のスローガン-この種のスローガンはケース・バイ・ケースの基礎の上で調整されなければならないとしても-を提唱する。
11)われわれの考えでは、民主的な社会運動は、主要な要求を達成したり、「進歩的」方向へ政権が交代したりした後はむろんのこと、権力を掌握した後でさえ、組織化を継続すべきである。われわれは、例えばニカラグアの女性運動がサンディニスタ革命の腐敗に反対して闘った、とりわけ女性の要求のために闘った重要な経験に注目している。そのことはまた、ブラジルの土地なし農民運動が2005-6年にルラ政権に対して真の農地改革を実現するために闘った際の困難によっても浮き彫りになっている。
2.反動的社会運動
われわれの伝統の中では、社会運動は生来進歩的なものであるとみなす傾向がある。しかし、急進右派が社会問題を中心に組織化してきた伝統があるという事実を無視すべきではない。アラブ世界の同志たちは、原理主義者たちが、国家がそうしない場合に食糧や医療などを提供するために、社会の最貧困層に向けた社会サービスを組織してきた伝統についてしばしば語ってきた。これはパキスタンの同志たちが経験してきたことでもあり、インドではなおさらである。インドでは、BJP[インド人民党]とその前身組織[民俗義勇団(RSS)]がこうした基礎の上に建設された。ブラジルの福音派は、貧民街での「組織化」において同じような軌跡をたどった。ペギーダ[ドイツの「西洋のイスラム化に反対する愛国的欧州人」]もその一例であり、グローバル・ノースの反ワクチン組織や国際的な中絶反対運動も同様である。
一般的に言って、こうした運動には民主主義はなく、極右政党の「フロント」組織のようなものである。彼らの基本的な要求が反動的なものである場合、われわれは明らかに彼らとは何の関係も持たないが、民主主義とより成熟した前向きな綱領に基づく真の社会運動に自らの基盤を獲得することを模索しながら、われわれが支持する要求をめぐる共通の動員の一翼を担うような状況もあるかもしれない。他の状況では、われわれが参加する社会運動は、同じことを達成しようとすることができる独自の動員を呼びかける方を好むかもしれない。それは力関係を評価するという問題であり、これらの反動的な運動に信頼性を与えるようなことはしたくないという事実である。
いずれにせよ、このことは、資本主義の利益を強化する極右思想を実行しようとすることのできる人種差別的・反動的な綱領に直面して、資本主義的政策と資本主義的社会組織に異議申し立てをおこない、民主主義と連帯を組織する要求と綱領を前進させるために、社会運動の一部となって社会運動の中で闘う必要性を強める。
3.左翼の誤り
残念ながら、社会運動に対するわれわれのアプローチは、急進左派にとって普遍的なものではない。スターリニスト組織や毛沢東主義組織には、統一的な社会運動を構築するのではなく、フロント組織を立ち上げるという長い伝統がある。こうしたフロント組織の主要な目的は、闘争を前進させるのではなく、彼ら自身の政党の伝導ベルトとして行動することにあるのだ。そうしたアプローチが急進左派の他の組織によって同じように理論化されているわけではないが、(イギリスSWPを中心とする)IST[国際社会主義潮流、いわゆるトニー・クリフ派の流れをくむグループ]と(イギリス社会党を中心とする)CWI[労働者インターナショナルのための委員会、いわゆるミリタント派のグループ]はしばしば同じアプローチを用いる傾向がある。
これら後者の場合、他の傾向として、これらのプロジェクトへのカードルの投入は、動員される問題の客観的重要性に基づくのではなく、[自らの組織へ]勧誘する可能性があるかどうかという判断に基づいて、散発的に-そして一つずつ-おこなわれることが多い。
これは、正確に言えば同じ枠組みの中には入らない組織にもあてはまる。そして、その中で活動する同志もいる。
同じようなことが、問題を抱えるどの大陸でも、おそらくどの国でも起こっている。というのは、それは関連する運動の潜在的な団結を過小評価しているからであり、それらの社会運動の内部で急進左派全体に悪評を与えるものでもあるからである。
同時に、われわれは逆の危険性にも警戒しなければならない。つまり、社会運動の自主性と民主主義を支持することによって、結果としてわれわれの政治活動全体を推進し、活動家をわれわれの旗のもとに引き入れることができないという危険性である。
4.運動における一般的危険
a) 官僚化/民主主義の欠如
どのような社会運動においても、基底部で活動している人々が組織の方向性に実質的な影響を与えない限り、官僚化する危険が現実にある。これは、有給スタッフがいない、あるいは有給スタッフの物質的条件が無給ボランティアとほとんど変わらない社会運動にもあてはまる。新しい組織が立ち上がるときは、緊急の共通の目的があるため、多くの人がこうした問題に注意を払わないのが普通である。しかし、一度過ちを犯すとその後に変えるのは難しく、長期的に組織を維持する能力が過小評価される可能性が高い。組織が大きくなると、組織が複雑になるので危険性がもっと増すことになる。そして、こうした危険を回避する方法を議論することを敵視するようになる組織が出てくる。その理由は、政治家やより大規模なNGOへのロビー活動や影響力行使に重点を置くようになるからだ。
b) 政治的恩顧主義(クライエンテリズム)と自助主義
1991年の世界大会でのラテンアメリカに関する文書、『大衆運動の力学とフェミニズムの潮流』は、政治的恩顧主義(すなわち、政党が運動の要求(の一部)を支持することで、そのことが政党への支持によって報われるという期待)と自助主義(すなわち、運動が社会全体によって無償で提供されるべきサービスを提供する)という両方の危険性を提起した。
「社会的・政治的問題に関連して国家に要求を突きつけることは、責任をあるべきところ、つまり社会全体とその制度に押しつけるという大きな利点があり、大衆行動に政治的性格を与えやすい。闘争と動員の成功は、大衆の全体的な意識と、大衆自身の強さと自信の両方を向上させる。しかし、国家への依存には危険があることを実践が教えてくれている。恩顧主義的な力学が働く可能性がある一方で、ある要求を部分的に勝ちとることで、女性がサービスを提供する行政業務に吸収されてしまう可能性がある。」
その文書の主張によれば、このような危険性は、運動の中で最も徹底した民主主義のために闘うことによって最もうまく防御することができるとしているが、特にグローバル・サウスの国々では、すべての社会運動が陥りやすい困難であるように思われる。
同時に、われわれは、人々の差し迫ったニーズを満たすことが、組織された運動がより多くの勢力を活動に引き込むために不可欠な場合もあることを意識している。たとえば、パキスタンの同志たちが釈放された政治犯に食料を提供する行動がある。これは他に食料を得る手段がなく、家族にとって唯一の稼ぎ手であるのに獄中にいるという場合である。別の機会には、こうした予兆的形態が継続的かつより広範にサービスを提供するよう国家に圧力をかけることに成功する場合もある。たとえば、1970年代のイギリスでは、女性解放グループがコミュニティ保育所のキャンペーンをおこない、場合によっては適切な空きビルを占拠して自分たちで保育所を設置した結果、多くの地方議会がこのようなサービスを導入した。
c) 断片化
われわれは交差性と相互支援-「運動の運動」と呼ばれることもある-を支持しているが、このことは運動が全ての問題にかかわる要求を受け入れることを意味しない。たとえば、ヴィア・カンペシーナの中に女性や若者のセクションがあり、土地と食糧主権をめぐるキャンペーンの枠組みの中で、そうした人々に特有のニーズを取り上げる特定のイベントがあることは素晴らしいことだ。その一方で、ドイツの直接行動型環境運動であるエンデ・ゲレンデ内部では、それがあらゆる政治問題に対して立場をとる必要があると指摘する人もいるが、それは運動を断片化し、鈍化させる危険性がある。
d) 左翼主義
われわれはまた、社会運動内部の左翼主義論理と闘うことにも注意しなければならない。それには次のような特徴がある。つまり、(政治路線と闘争方法における)急進的目的のために急進性を絶え間なく追求する、妥協や、急進的ではないと見なされるような社会運動の他の進歩的少数派とのいかなる同盟をも拒否する、大衆の階級意識から断絶して、大衆の階級意識を信頼しない、などである。革命運動の衰退が顕著な時代には、この種の論理がより重要性を帯びる傾向があり、大衆運動の相対的な弱さを抽象的な急進主義で相殺しようとするのである。
5.反グローバリゼーション運動の台頭と衰退
国際的(そして地域的)レベルでの社会運動の協調の頂点は、世界社会フォーラム(WSF)と地域フォーラムの発展を通じてもたらされた。WSFは2001年にブラジルのポルト・アレグレで初めて開催され、2016年まで毎年開催された。2005年頃、世界女性行進とヴィア・カンペシーナの両団体がWSF世界評議会から脱退したことは、WSFの意義の低下を反映したものであり、またその一因でもあった。
フォーラムへの参加数の推移は一定ではなかったものの、ある程度までは、参加した主要な社会運動の移り変わりを反映していたが、それだけではなくもっと一般的な政治的発展をも反映していた。その背景には、まず1995年から2005年にかけての闘争サイクル、そしてその後のサイクルがあった。注目すべきは、「怒れる者たち」[スペインで2011年5月に起きた若者による広場占拠運動]やオキュパイ運動[2011年9月に始まったウォール街占拠運動]の発展へとつながった闘争のサイクルも、「アラブの春」の興隆も、WSFを主要な参照点とするものではなく、国際的な協調をともなう恒常的な社会運動につながるものでもなかったことである。
初期のフォーラムの政治的背景はラテンアメリカにおける主要な発展-1994年のチアパス州でのサパティスタ蜂起を契機とするエンクエントロスの[森の中で国際会議を開く]活動の一部だけでなく、2003年のルラ初当選につながるPT[ブラジル労働党]の成長をも集中させて作り上げた-を含んでいた。シアトルでのWTOに反対する大規模なデモ(相当数の労働組合員の参加が重要な要素となっていた)とともに、特に北米とヨーロッパでの世界銀行、IMF、G8(2000年4月ワシントン、9月プラハ、2001年7月ジェノバ)に反対する動員も重要な要因であった。
初期のフォーラムにとって3つ目の重要な推進力は、イラク侵攻に抗議する2002年秋以降の非常に重要な国際的反戦運動の発展だった。それは2003年3月のイラク侵攻に先立つもので、その後も続いた。ベルリンの壁崩壊後の政治的展開が、資本主義のオルタナティブについての議論をどの程度切り開いたかは探求する価値がある。当初からWSFに関与していた主要な組織には、これらの団体だけではなかった。そのほかの主要組織にはCADTM(ベルギーで1990年設立)、ヴィア・カンペシーナ(ベルギーで1993年設立)、ATTAC(フランスで1998年設立)、世界女性行進(2000年ケベックで設立)が含まれていた。
労働組合や労働組合活動家がそのプロジェクトを支援した。その中には、ブラジルのCUT[中央統一労組]、韓国の民主労総、南アフリカのWOSA、フランスのCGT[労働総同盟]やFSU[統一労働組合連合]、IGメタルやver.di[統一サービス労組]といったDGB[ドイツ労働総同盟]の諸組合、ベルギーのFGTB[ベルギー労働総同盟]やCSC[キリスト教労働組合連盟]、イギリスのUNITE[ユナイト労組]やRMT[鉄道海運労組]、イタリアのFIOM[金属労働者連合]、『レイバー・ノーツ』周辺のアメリカのAFL・CIOの組合、現在の革命的サンジカリスト労組-スペインのCGT[労働総連合]、イタリアのCOBAS[職場委員会連合]、STI、USB[統一職場組合]、ブラジルのCONLUTAS[労働者人民連合]、アルゼンチンのCTA[アルゼンチン労働者連合]、フランスのSUDソリダール(現在は「国際労働連帯・闘争ネットワーク」の一部となっている)が含まれていた。
2001年の第1回フォーラムのあと、フォーラムを組織したブラジルの組織は「原則憲章」を作成した。二つのことがコメントに値する。まず政党(テキストではほとんど常に政府与党と一緒にされている)に対する態度である。たとえば、「政党代表も軍事組織もフォーラムに参加してはならない。本憲章の義務を受け入れる政府指導者や国会議員は、個人的な立場で参加するよう招待されることがある」。
さらに、政党はフォーラムの一環としてワークショップを開催することも、会場にブースを構えることもできなかった。しかし、この声明はまた、国家と対決し解体する必要性よりも並行権力の考えを強調する、運動内の自律主義的な考えの成長を反映している。「もうひとつの世界は可能である」というスローガンは、この議論や他の議論に対して異なるアプローチをとる潮流によって支持される可能性があったし、実際に支持された。
二番目の声明は、フォーラムそれ自体が宣言や声明それ自体を発表することを禁止したが、同時に、宣言や声明を発表することができ、実際に発表した社会運動総会のための空間を作り出したのである。第四インターナショナルは、反グローバリゼーション運動、反戦運動、そしてWSFそのものだけでなく、社会フォーラムのプロセスに関与していた他の運動にも大きな資源を投入した。特にわれわれの同志たちは、2005年から2015年にかけて重要な宣言を発表した社会運動総会の招集に大きな役割を果たした。それはフォーラムそれ自体とはやや距離があったが、それでも少なからぬ影響をもたらした。
われわれは、このような形で運動が相対的に萎縮したのは、どの程度まで国際政治情勢の変化(ピンクタイド[ラテンアメリカにおける左派政権を実現させた政治運動]の退潮、新たな極右勢力の台頭、反戦運動の衰退など)の結果であったのか、どの程度まで運動の指導部や支配的な政治潮流の戦略的誤りの結果であったのかを評価する必要がある。
6.結論
この文書は、社会主義を目指す闘いにおける社会運動の重要性についてのわれわれの従来の集団的討論を生かしたものである。つまり、搾取され抑圧されている人々の層を動員し、政治化する上での戦略的重要性と、彼らがわれわれ自身の綱領を豊富化する綱領的要素と要求を発展させることである。これは、数十年にわたるわれわれの政治潮流にとって大きな強みであり、これをより体系的に成文化することは重要な任務である。大会そのものだけでなく、われわれの理論と実践に影響を与える最も包括的な成果を生み出すためには、より広範な議論が必要である。
この活動から導き出された理論的・実践的な結論について、補足的な貢献を受け取ることが重要になるだろう。われわれはすでに、発展させるべき多くのテーマを示すことができる。
*貧しい小農民、農業労働者、農民の運動を、プロレタリアートと農民との間の戦略的関係に関する初期マルクス主義者の仮定に挑戦させること。
*先住民共同体の戦略的役割と、女性運動や環境運動など他の社会運動に対する彼らの不可欠な貢献。
*他の運動が後退し、焦点や組織形態を大きく変える必要があった時期に、反債務運動が国際的な到達点を拡大するという特別な成功を収めた理由。
*反動的社会運動の役割、おそらく特にアジアと北アフリカの反動的社会運動の役割。
*女性運動とLGBTIQ運動における現在の力関係、およびわれわれが直面している新たな理論的課題。
われわれはまた、抑圧に関する二つの特別な問題-レイシズムと人種差別化、および障害について-われわれの集団的討論が十分に展開されていないことに留意する。
前者はとりわけ複雑である。というのは、自己組織化の歴史がグローバル・サウスのさまざまな地域においてだけでなく、グローバル・ノースの内部においてでも大きく異なるからである(というのは、同じ人々に関係するものではないからである)。さまざまな歴史的・現在的要因がある。その中には植民地関係の性格、植民地化以前の入植者である先住民の存在、奴隷所有経済の結果であるアフリカ系住民、移民運動のさまざまな形態と原因などが含まれている。そのすべてが、レイシズムがどのように経験され、反レイシストの闘争や運動がどのような形で展開されるかを形作っている。同時に、ブラック急進主義やブラック・マルクス主義が提起する課題へのわれわれの対応は不十分である。最後に、われわれは、たとえばブラジルでは重要な意味を持つ先住民と黒人の自己組織化の間の交差を集団のものにできていない。繰り返しになるが、これらの問題についての貢献が重要であろう。
障害に関する問題については、障害者運動内部出身の障害者や個人の活動家、学識経験者によるマルクス主義の視点からの理論化が多く見られる。しかし、障害者運動と他の社会運動との交差は少ない。交差を持つ障害者組織、とりわけ障害者女性運動はあるのだが。障害者の組織化、障害者としての参加、あるいは左翼全体からの障害者運動との連帯における歴史的弱さにもかかわらず、われわれは障害の社会モデル[訳注:障害は個人の心身機能の障害と社会的障壁の相互作用によって創り出されているものであり、社会的障壁を取り除くのは社会の責務であるとする考え方]の一貫した支持者であることは重要である。障害の社会モデルは、障害者に対する抑圧の原因は障害そのものではないと主張する。
むしろ、障害は資本主義社会のニーズによる障害者の社会的排除なのである。われわれはまた、すべての社会運動と左翼が、障害者の左翼への参加を確保するために、障害者にとって可能な限り利用しやすい方法で組織されるよう闘わなければならない。これは、障害者とその組織の要求と、彼らが選択した戦術と要求の両方に連帯することを意味する。この分野では、われわれの組織のいくつかが活動をおこなっており、考え方を発展させている。そして、われわれはこの理論と実践に関する貢献を歓迎する。
社会運動は危機と激変の中で必然的に生まれ、再構築される。したがって、とりくむべき多くの新たな問題が出てくる。
特に、2023年10月7日以降に起こったパレスチナ人民との重要な連帯運動と、それに対するイスラエルが大量虐殺で反応していることを無視すれば、怠慢の誹りを免れないだろう。われわれは、この運動の強みについていくつかの評価をおこなってきた。その中には、それが国際的に拡大していること、指導部が青年と女性で占められていること、パレスチナ人民と連帯したユダヤ人がますます参加してきているという強み、この連帯運動と他の社会運動が積極的な関係を持っていることなどが含まれる。同時に、この運動の短所についても評価してきた。とりわけアラブ世界においては相対的に力が不足していること、そして明らかに全体としてはパレスチナ人全体にとってぞっとするような力関係になっていること。これらの評価は、その後の展開に応じてさらに発展させ、更新していく必要がある。
この文書で展開した社会運動に対する理解と方向性は、国内・国際レベルでの第四インターナショナルとしての政治活動を特徴づけるものである。
補足1 フェミニスト女性運動
2021年、第四インターナショナルは「女性運動の新たな台頭」という決議を採択した。これは現在の文書より若干前のものであるが、運動の現状を補完するものとして依然として有用である。
補足2 LGBTIQA+の組織化
この補足は、LGBTIQA+の闘争や運動の状況を全体として描いたものではなく、われわれの集団的だが部分的な経験に基づき、今日の運動と左翼が直面している重要な要因のいくつかを明らかにするものである。
1.われわれは、支配階級の態度というレベルでは、LGBTIQA+政治をめぐって、ある程度までは他の社会問題についてと同様に、矛盾した地点にいる。一方では、同性愛嫌悪、女性嫌悪、とりわけトランス嫌悪の政治が、主要な極右運動の中心的な動員要因となっている。トランプとその周辺にいる人々はその中でも最も目立つ存在だが、アフリカやラテンアメリカにおける福音主義キリスト教潮流の役割や、メローニ首相のもとでのイタリアにおける同性カップルの親権や養子縁組の権利に対する攻撃を軽視すべきではない。
他方では、他の国家は「人権」という枠組みの中でLGBTIQA+の権利を擁護すると主張する一方で、①LGBTIQA+の家族は(異性愛者の家族のように)社会的再生産を提供する上で国家サービスに取って代わることができる、②ピンクマーケット[LGBTIQA+などの性的マイノリティの人々の購買力や消費意欲を指す]は資本が利益を上げるのに有用な場所である、という考えに焦点を当てている。何十年も前から存在するこの傾向は、移民問題ほどグロテスクではないにせよ、極右のアジェンダに適応しつつある。同時に、それはシスジェンダーのゲイ男性[性自認と生まれ持った性別が一致している男性で、男性のみを好きになる人]に最も向けられ、彼らに好意的なアジェンダでもある。
2.LGBTIQA+運動には国際的な組織やイベントがほとんどないため、政治的な勢力バランスを評価することが難しい。これは、運動内の急進的なグループに焦点を当てていた世界社会フォーラムやそれに関連する地域フォーラムが、もはや同じようには機能していないという事実によってさらに悪化している。とはいえ、われわれが注目できる全体的な傾向はいくつかある。
3.否定的な面では、目に見える反トランス潮流の進展に注意する-そして、覚醒し、反対するためのより効果的な方法をみつける-必要がある。この傾向は、レズビアンやゲイの、そしてごくたまにバイセクシャルの諸個人に限定されるものではなく-その最も著名な人物の多くはシス女性である-非常に多くの場合、活動家の中では少数派ではあるが、それにもかかわらずきわめて有害である。政治的には、極右活動家と共通の大義名分を得て喜んでいるように見える者がいると同時に、ジェンダーやセクシュアリティは固定的なもの(ときには神から与えられたもの)であるという考えをもてあそぶ「性の権利」というビジョンを奨励したいと考える者がいるというより広範な構図にいかに当てはまっているかを目にすることができる。そして、そのことによって、子どもや若者を「保護」するという必要性に影響を及ぼし、深い分裂が引き起こされるのである。こうした潮流のほとんどはまた、性的な活動や性的表現に対して否定的で、セックスワーカーと呼ばれる人びとを深く敵視している。
4.しかし、より肯定的な面では、以下のようないくつかの進展が見られる。
① 対抗できるほどにまで極右思想が台頭しているにもかかわらず、若者の間では、セクシュアリティやジェンダーの表現を探求する人々に対して、多くの文脈でより肯定的な態度が見られる。これは、ノンバイナリー[ジェンダーアイデンティティが男性でも女性でもない、あるいはその両方の要素を含む、と認識する人々]やアジェンダー[性別の概念から自由でありたい、あるいはそもそも性別という枠組み自体が自分には関係ないと感じる人々]といった新しいアイデンティティの発展/拡散につながった。そうした新しいアイデンティティは、以前の時代には同じようには存在しなかったし、いくつかの文脈においてある程度までは、トランスフェミやトランスマスクの人々にとって社会的枠組みを分断するものである。断片化という点で、ここにはいくつかの危険性がある。以前の闘争期からの教訓が、それを探求するための強力なチャンネルを持っていないという事実が、それをさらに悪化させている。さらに、周縁化された人々に対して後期段階の資本主義が課しているアトム化と孤立のレベルは、フラストレーションから生まれる宗派主義をもたらす可能性がある。
② とりわけ先進資本主義諸国において、HIV/AIDsをめぐって浮かび上がったいくつかの教訓と実際の組織化の方法は、最も危険にさらされている人々を保護するために国からの保護の提供を求める闘いという点で、新型コロナウイルス感染症のパンデミックに対応したより積極的な集団主義的組織化に影響を与えた。エムポックスウイルスは実際には同じような影響を持っていないとはいえ、環境危機が他のパンデミックを不可避とする世界において、われわれはこれを基盤としていくべきである。
③ トランスやレズビアンの活動家を含む多くのクィア活動家が、身体の自己決定権のための闘いを擁護し、拡大するキャンペーンに目に見える形で関与している。中絶の権利を法律と実践において擁護し、拡大するための闘いは、多くの地域と大陸で重要な意味を持ち続けている。同時に、こうしたキャンペーンにクィア活動家が参加することで、トランスの人々、特にトランスの若者たちによる肯定的な意味を持つ医療を求める闘いに対してより広範な支持を得ることができた。
④ 「ブラック・ライヴズ・マター」運動の間、ブラック・トランス・ライヴズについての具体的な言及が可視化されたことは、特に心強いことであった。このことが、さまざまな地域における黒人運動や先住民運動とクィアおよびトランスの運動との関係について何を物語っているかについて、われわれは結論を引き出せていない。
⑤ 急進的なクィアやフェミニストの活動家たちが、ハマスの疑いようのない性差別主義や同性愛者に対する差別主義を口実にしたイスラエル社会のピンクウォッシング[イスラエル政府がLGBTフレンドリーであると積極的に宣伝し、パレスチナの実効支配という負のイメージを作り変え、覆い隠すこと]を拒否し、パレスチナと連帯する姿がしばしば目撃されている。こうした活動家たちは、パレスチナの女性とLGBTIQA+の人々が等しくイスラエルによるジェノサイドの犠牲者であること、イスラエルの支配下(「グリーンライン」[イスラエルが1948年に画定した国境線]の内外)におけるパレスチナのLGBTIQA+の人々への抑圧はパレスチナ人であることを標的とするアパルトヘイト法によってさらに強化されていること、イスラエル社会は西ヨーロッパやアメリカ大陸の資本主義民主主義国家と比較しても、女性やLGBTIの権利のモデルとはほど遠いことを正しく指摘している。これらの組織や代表団は、この地域のクィア活動家や組織、そして国際連帯運動内部で活動する人々の双方によって、より長い期間にわたっておこなわれてきた活動を基盤としているが、昨年以降、この運動が国際的に成長するにつれて、より明白になってきている。一部の国(たとえば当初においてはデンマーク)においては緊張が見られたものの、全体的に見れば、これはクィア運動の重要なセクションを以前よりも可視化し、反帝国主義的アプローチと明確に一致させ、以前は壁となっていたかもしれない地域社会にとってよりアクセスしやすいものにした発展であった。これらの活動家によって提起された点は、より広範な連帯運動の言説に統合される必要がある。
補足3 反レイシズム
レイシズムと人種差別問題へのすり替えという点では、結論で述べたような困難があるにもかかわらず、二つの大きな世界的な出来事がこれらの運動に強い影響を与え、分裂させることになったことに注目するのは有益である。つまり、2001年にダーバンで開催された国連の「人種主義、人種差別、外国人排斥および関連する不寛容に反対する世界会議」と2001年9月11日の同時多発テロがそれである。ダーバン会議において、白熱した議論と主張の対立の中心となったのは、シオニズムが人種差別の一形態であるかどうか、反ユダヤ主義の高まりはイスラエル国家のさまざまな政府によるパレスチナ人への抑圧が原因によるものかどうか、過去に奴隷制に関与したすべての国家からの個別的謝罪という要求や奴隷制を賠償をともなう人道に対する罪として認めること、難民の権利や民族的・文化的・言語的・宗教的マイノリティを保護する必要性の再確認、ロマや移動生活者に対する差別、性差別とレイシズムの間の関連性を明確に認めることをめぐってであった。ニューヨークの世界貿易センタービル・ツインタワーへの攻撃は、新たなレイシズム、つまりイスラム嫌悪を増幅させる口実として利用された。いくつかの国々(フランスやベルギー)においては、そのことを認めるのに大きな困難を生むことになった。レイシズムとの闘いにおいて、重要な転換が二つあった。つまり、1990年代には、生物学的レイシズム(人類にはそんなものは存在しない)が放棄され、文化的レイシズム、後には宗教的レイシズムに取って代わられたこと、2000年代には、国家による反レイシズム、および国家による外国人嫌悪(ステレオタイプと偏見)や個人間での差別との闘いに基づく道徳的反レイシズムが、人種差別を受けている人々の若い世代が牽引するより急進的な運動に追い越されたことである。そうした人々は、組織的・制度的・構造的なレイシズム、とりわけ国家やその機構・政府によって作り上げられたレイシズムに立ち向かう事を望んでいる。
2020年、三つ目の出来事が反レイシズムの現場を震撼させた。1960年代の公民権闘争以来の大規模な反レイシズム動員である「ブラック・ライブズ・マター」がそれである。世界中で、何十万人ものデモ参加者が街頭に繰り出し、われわれの社会における黒人やアフロ系住民の居場所(心の脱植民地化、教育、博物館、公共空間)を根本的かつ永続的に変えることを要求した。これらの闘いは、特に警察の暴力とレイシストによる行動を浮き彫りにした。
今後、レイシズムとの闘いは、民族的・宗教的マイノリティ、移民・亡命希望者、亡命を拒否された人々、反ユダヤ主義、イスラム嫌悪、黒人嫌悪、ロマ嫌悪(少なくともヨーロッパでは)など、あらゆる形態のレイシズムに関わるものでなければならない。抑圧され、人種差別を受けている人々の自己組織化を支援する一方で、交差マルクス主義的なアプローチを守りながら、これらの闘いを急進的で、広範で、多元的で、統一的な運動(収斂する闘い)に統一するよう努めなければならない。独裁政権を支援し、欧米・ロシア・中国の多国籍企業のための原材料を支配・略奪するための帝国主義的政策や戦争、グローバル・サウスにおける構造調整政策や債務、地球温暖化、大都市への移住のさまざまな原因などの間の関連性を明らかにすることは、われわれにかかっている。それゆえ、国境を開放し、移動と定住の自由を防衛する一方で、同時に、グローバル・サウス諸国が発展することができ、知識人を維持できるように要求するのである。
最後に、ファシズムと闘うということは、極右政党と闘うことを意味し、極右政党の存在とその考え方を政治の舞台で常態化させるためのあらゆる構造(メディア、国家政策、政府与党)と闘うことを意味する。それは、ファシストの脅威と闘うための同盟について、戦略的(長期的)に、戦術的(短期的)に考えることを意味する。われわれの反ファシスト闘争において不可欠なことは、国家権威主義と抑圧の主要な標的となっている人々と極右の具体的な標的となっている人々との間に、このような結合を作り出すことである。こうした人々には、移民や人種差別を受けている人々、女性、LGBTQIA+の人々、民族的・宗教的マイノリティ、労働組合員やその他の左翼活動家が含まれる。われわれは、こうした抑圧を最も激しく経験している人々の存在なしには、反ファシスト闘争を強化することはできないだろう。これらの抑圧に立ち向かうことができるためには、社会一般とファシスト・イデオロギーにおける人種差別の重要性を認識することが必要である。

