帝国主義の諸形態、ロシア、中国 歴史的文脈を中心とした論争への寄与(抄訳)(下)
ピエール・ルッセ
マルクス主義の国際化という枠組みも、「西欧マルクス主義」を規範として考えないようにするのに役立つ。マルクス主義は西欧で生まれたが、国際化したことでヨーロッパ以外の社会的・文化的現実に根を下ろした。それはどこでも可能だったわけではないが、中国では可能だった。この国際化のプロセスは、トロツキーやレーニンに見られるように、ヨーロッパの東側であるロシアから始まったとも言えよう。中国マルクス主義は、その多様性の中に特殊性を表現している。それは単なるコピーではない。
日露戦争は、軍事史から帝国主義間の関係の再構成に至るまで、真の地政学的な衝撃だった。その反響はロシア帝国において深刻であり(1905年の革命と深く関わっていた)、世界全体にも及んだ。ヨーロッパの大国が、初めてアジアの軍隊によって負かされたからである。動員された軍隊の規模、塹壕戦と要塞化、機関銃と速射砲の大量使用、兵士の大量の犠牲により、この戦争は第一次世界大戦の戦線を予告したものとなった。世界の分割は、アメリカと日本の台頭とともに、アジア太平洋地域で進行していた。このように、日露戦争は1945年(および一部の地域ではそれ以降)まで続く世界大戦のサイクルを切り開いたのである。
当時の進歩勢力における日露戦争の反響を理解するには、それが帝国主義間の紛争としてではなく、「最悪の専制体制の一つに対する、ブルジョア憲法を持つ立憲君主制の勝利」として受け取られていたことを考慮する必要がある。したがって、レーニンは日本の勝利について、「先進国と後進国の戦争は、歴史の中で何度も起こるように、再び偉大な革命的役割を果たした。それは専制政治に勝利した日本ブルジョアジーによって達成された」と称賛した。これはロシア国内の革命的危機の端緒を開くことになり、組織された労働者運動の弱さにもかかわらず、「ロシアの労働者が図らずも参加している歴史的戦争の偉大な革命的役割」を強調することになった。
日本の勝利は、イランや中国など、他国で立憲体制の確立を目指して戦っていた運動を勢いづかせた。一般的に、日本の勝利は「白人とその文明の優越性」という西側の主張を覆し、反植民地主義的な抵抗、パン・イスラム主義(トルコ)、パン・アジア主義を強化し、植民地・半植民地諸国に広く共感を呼んだ。
革命、反革命、従属、そして帝国主義的再生
ロシアと中国の革命プロセスは、その相違が何であれ、「支配的な世界秩序との決別」および「ブルジョア秩序との決別」という二重の断絶という問いを投げかけている。確かにロシアは大国だったが、中国は競合する帝国主義諸国によって植民地化されていた。しかし、第一次世界大戦で敗北したロシアは、特に東のシベリア側からも脅かされていたこともあり、従属国への道を歩んでいたように私には思われる。
1917年のロシア革命と1949年の中国革命は、それぞれ異なる推移をたどった。ロシアの場合、兵士の反乱、農民の一揆、女性のデモ、帝国内の民族運動、プロレタリアの動員が密接に弁証法的に結びつき、労働者・農民・兵士のソビエト(評議会)を生み出した。内戦は権力奪取の後に起こった。中国の場合、同様の弁証法は1927年に始まる一連の敗北によって断ち切られた。共産主義運動は都市部で著しく弱体化し、その大部分が農村世界への退却を余儀なくされた。内戦は権力奪取に先立って20年間に及んだ。
しかし、いずれの場合も、われわれの分析によれば、革命の結果として「過渡期社会」が誕生した。以前の秩序が革命的に転覆されたことによって、階級関係の明確な変化として現れる社会秩序の根本的な変革プロセスが開始されたが、社会関係全体の変革には時間がかかる。とりわけ農民が多数を占める巨大な国々ではそうである。社会はもはや資本主義ではなかったが、まだ社会主義でもなかった。そして、社会主義的な結末があらかじめ保証されているわけでもなかった。
未来は闘争によって決まる。「自然に」自らを再生産する支配的で確立された生産様式というものは存在しない。権力を持つ階級の性質、国家、支配的イデオロギー、従属的な社会関係などの間の「一致」関係を、それを転覆しようとする対抗潮流が揺るがすのは非常に困難である。過渡期社会の場合は、われわれは逆に「不一致」について考えなければならない。というのは、社会構成の変革が入り混じったリズムで起こるためである。われわれは、これらの革命的経験を分析し議論するのに手助けとなるような具体的な概念化を十分に共有できていない。
しかし、「官僚化」の問題、すなわち自らの集団的利益を自覚し、支配的な「カースト」として振る舞い、社会に対して権力を行使する新しい社会エリートが結晶化することのプロセスについては共有してきた。官僚化の危険が「権力奪取後」の過渡期社会で発生したのはこれが初めてのことだった。
他国へと迅速に波及しなかったことで、革命は二つの敵に直面した。一つは当面の敵(帝国主義とブルジョアの反革命)であり、もう一つは新体制の内部から生じる、狡猾で隠れた敵だった。スターリンが富農に反対するという方向転換をおこない、強制的な集団化を強行したとき、ロシアの左翼反対派は当初、その問題を説明するために、スターリン体制が「左」転換しているのだと考えた。
毛沢東主義者は、官僚的態度や官僚組織を告発しながらも、官僚化の社会的特殊性を分析してこなかった。朝鮮戦争が勃発した後、毛沢東は「反革命分子」に対して激しい弾圧キャンペーンを展開した。独立系共産主義者(トロツキストを含む)はその犠牲となったが、都市ブルジョアジーや農村の大地主といった旧支配階級は解体され、毛沢東体制の権威主義的性格は強化された。ブルジョア反革命の内在的リスクはゼロになった一方で、官僚的反革命のプロセスが始まった。それは1969年、文化大革命の混乱の中で、毛沢東が自身の支持者を含むすべての反対派を鎮圧するよう軍に求めたときに完結した。当時の状況を考えれば、官僚的反革命は1980年代から1990年代に勝利するブルジョア反革命の前提条件を作り出した。その転換点となったのは、1989年6月4日運動の全国的な圧殺だった。
結論として、官僚的反革命という概念とその特殊性(官僚化のプロセス)の分析に最大限の重要性を置くことにしよう。それは20世紀の歴史、および現代のロシアと中国の歴史を理解する上で不可欠であり続けている。また、さまざまな形態の官僚的現象と戦い、被搾取者・被抑圧者の自己組織化を強化するというわれわれの任務を定義する上でも不可欠である。
中国およびロシアの体制のいくつかの特殊性
中国帝国主義はその発展に際して、アメリカの承認を得て、資本主義的グローバリゼーションの中で中心的な地位を占めるようになったことをはじめ、ロシアよりもはるかに多くの資産の恩恵を受けてきた。習近平は、鄧小平の権力復帰後に開始され、後継者の江沢民、胡錦濤によって引き継がれた世界市場への統合政策の恩恵を受けた。ロシアにおける移行ははるかに混乱しており、より脆弱な経済にもとづいたものだった。
どちらも、権力は最も中央集権化されている。中国では、党のトップ、政治・行政エリートの習近平に集中し、ロシアでは、KGBの後継組織であるFSB(連邦保安局)を率いたプーチンに集中している。ロシアと中国の体制は「エスノ・ナショナリズム」[注:特定の「民族(エスノ)」を国家の基礎単位とみなし、その民族の文化・血統・歴史的連続性を強調して国家の独立や統一、排他性を正当化しようとするナショナリズム]において共通点があり、その政治的性格付けに関する議論が続いている。そのためには、類似点と相違点の両方を等しく考慮しなければならない。
プーチンのロシア以上に、中国の体制は転換点にあるように思える。新疆ウイグル自治区ウルムチのフォックスコン工場での火災[2022年11月]後に発生した危機[注:白紙運動のこと]は象徴的である。連帯を示す行動は各地に広がり、多民族・多階級・多面的な原因にもとづくものとなっている。若者のかなりの部分は、習近平の規範的な命令(過酷な労働、早期結婚など)に従っていない。多国籍企業は生産ラインの安定性が不透明になっていることを懸念しており、アップル(フォックスコンの主要顧客)を筆頭に、離脱の動きが始まっている。非常に複雑だが、このプロセスは拡大する可能性がある。 (おわり)
(『インターナショナル・ビューポイント』2022年12月20日)
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