ブラジルの発展と奴隷狩り

コラム「架橋」

 ブラジルの開発は北東部の海岸地帯から始まった。サトウキビ栽培に適していたことに加え、砂糖プランテーションで使役する奴隷をアフリカから輸入するのに便利だったからである。ちなみに、1600年頃にはブラジルはヨーロッパの砂糖需要のほとんどすべてを供給し、ブラジル経済とポルトガル王室の収入は砂糖プランテーションによって賄われていた。
砂糖プランテーションの経営は奴隷労働に全面的に依存していたのだが、奴隷労働は牧場や鉱山労働、農作業や家内労働にも全面的に適用されていく。必然的にアフリカ系奴隷の価格は高騰していくことになった。
 一方、開発は南部へと進んでいった。しかし、南部の土地は砂糖栽培に適さないため農民は貧しく、開発や家内労働に使用する奴隷を買うことができなかった。そこで考えられたのが先住民を安価な奴隷とすることであった。
 先住民を奴隷として獲得するために組織されたのが「パンディラ」、先住民狩りのための奥地探検隊である。その根拠地になったのがサンパウロであった。サンパウロと海岸部の間には山脈があり、その山脈を水源とした河川群が大陸の奥地へと流れ下っていたからである。
 サンパウロは奴隷狩りのために船で奥地に向かうパンディラの絶好の根拠地であった。奴隷捕獲遠征隊の中には、サンパウロから出発してマデイラ川に入り、そして、アマゾン川から大西洋沿岸へと、1万1千キロに及ぶものさえあった。
 こうして、サンパウロは南米最大の都市に発展し、奥地の先住民は村落ごと奴隷にされた。奴隷になることを拒んだ先住民は、ヤシの葉でできた家ごと焼き殺されることになる。
 ちなみに、コインブラ線などのブラジルのほとんどの鉄道は、奥地から奴隷とされた先住民をサンパウロ等の海岸部へ大量に移送するために敷設されたのであり、住民の利便性や、まして、観光客のために建設されたのではない。
(O)

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