袴田巌さんに再審・無罪判決

コラム「架橋」

 9月26日午後2時、静岡地裁は再審裁判で、1966年に起きた静岡県清水市の一家4人殺しの犯人として死刑判決を受けていた袴田巌さんに、無罪の判決を下し、長期裁判になったことを裁判所が謝罪した。
 これを見ていて、本当に良かったと涙が出てきた。
 死刑囚だった袴田さんはいつ刑が執行されるかの恐怖の毎日の中で、精神的な疾患を発症した。袴田さんの無念、怒りはどれ程のものか。
 4歳の子どもを殺したとする足利事件で犯人とされた菅谷利和さんは無期懲役の判決を受けたがその後再審裁判で無罪を勝ち取った。菅谷さんはいつも狭山集会に参加して、「取り調べた警察・検察は謝らない。絶対に許さない。謝らせるまで闘う」と語気強く訴える。
 ふと気になったのは、なぜ清水市で起きた事件について、袴田事件と言うのか。一般的には事件が起きた地域名が使われるが、マスコミなどが凶悪事件とすると、その犯人とされた人の名前を付けてその個人に対する憎悪を増すように被告の個人名をつけて事件を呼んだのだろうか。
 この事件以前に、死刑囚で無罪を叫んでいた赤堀政夫さんの島田事件がある。1954年3月10日に静岡県島田市で発生した幼女誘拐殺人、死体遺棄事件である。被告人が死刑の確定判決を受けたが、1989年に再審で無罪になったえん罪事件。
 静岡県では次のような再審無罪の判決が出されていた。幸浦事件(1948年年、袋井市、三人に死刑が出されたが、1963年三人とも無罪)・二俣事件(1950年、浜松市、死刑求刑、1957年年無罪)・小島事件(1950年 年、静岡市、無期懲役求刑、1959年年無罪)。これは警察による証拠に基づかない強引な自白強要による犯人を作り出していた歴史があった。
 9月28日土曜日のTBSの報道特集では、袴田裁判に関わった3人の裁判官がいずれも無罪を確信していたと証言していた。報道のあり方では、東京新聞と毎日新聞が、逮捕当時袴田さんを極悪犯人と報道したことを謝罪した。
 袴田さんと同じようなえん罪事件で、再審を請求している狭山事件の石川一雄さんの再審無罪を勝ち取ろう。        (滝)
 

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