南米諸国の独立と先住民の悲劇

コラム「架橋」

 1810年前後から始まった南米の独立戦争は、植民地生まれのスペイン人=クリオーリョの本国政府に対する反逆から始まったのだが、この戦争は先住民人口の多大な減少をもたらすことになった。
 第一の要因は直接の戦闘による減少である。南米の独立闘争とは、すなわち軍隊と軍隊の直接的な戦いであった。軍隊の指揮官=白人は圧倒的な少数者であり、大多数を占める兵士は先住民であった。
 この独立は指揮官=白人のための独立であり、兵士=先住民のための独立ではなかった。しかし、この独立戦争が生み出した17万人とも20万人とも言われる犠牲者の大多数は、実際に戦闘を担った先住民だったのである。
 南米では先住民の労働力はタダ同然であり、戦争指導者=白人は独立戦争の間、先住民を安い兵士として無限に使用することができた。こうして、独立戦争中に先住民社会は破壊され続け、先住民は減少し続けたのである。
 独立闘争の進展はクリオーリョだけではなく、植民地のあらゆる階層、階級を巻き込んでいくことになる。先住民共同体への人頭税、賦役の強化、商工業者への課税の強化等、植民地支配体制の矛盾は頂点に達していたからである。
 必然的に闘争は革命的な性格を持ち始める。この事態に恐怖したクリオーリョの大多数は、スペイン政府の保守勢力と手を結び、こうした闘争を大弾圧する。結局、クリオーリョは独立を達成するのだが、先住民の解放等を含む、社会革命的要素は排除された。これが、先住民減少の第二の要因である。
 第三の要因は独立後に急速に進んだ大規模なモノカルチャー、単一栽培=コーヒー、砂糖、ココア、トウモロコシ、小麦等の栽培であり、これらの産業に安い労働力を提供したのが先住民社会であった。南米諸国の独立は先住民減少にさらなる拍車をかけたわけである。 (O)