賞与と退職金、そして年金

コラム「架橋」

 賞与と退職金は労働者にとって、本給とは別に生活に不可欠なものだ。しかし、大企業、中小零細企業によってその金額格差は日ごとに巨大化している。まして、賞与は法律に規定されていないからその企業の業績や労働協約によって、「あって当たり前」「無くても当たり前」の世の中だ。労働協約で年俸制であれば、お互い合意の上のこと。
 強いていえば退職金もそうだ。退職金は企業から支給されているわけではなく個々人が、共済やらなんやらで規定に基づき自分の給料から積み立てているものだ。つまり100万円積み立てていれば、満額受け取れる。企業への貢献度(?)も金額に左右するだろうが。
 ボクが印刷会社に6年勤めてもらったのは30万円だった。多いか少ないかは別に、もっともその30万円が、現在ある会社経営の基盤となったのは疑いない。平均給与10万円から差し引かれていた退職金がその額だった。
 しかし、年金は本人が死亡したら、遺族年金に移行するもののひとり者であれば、積み立てた年金は国庫にかすめとられる。積み立ててなければびた一円も、もらえない。国民年金と厚生年金では、その額は雲泥の差だ。65歳でもらわず70歳まで頑張れば、増額されるとの考え方から、申請しない人もいるが、いつ死ぬかわからない毎日、もらえるものは1日でも早いほうがいいと思うのはボクだけか。おかげさまで65歳を過ぎ、1カ月15万円ほど支給されているが、それまで賞与は1度きり、退職金などまったくない。事務所への貸し付けは8桁をとうに超えている。
 さてここからが本題。厚生労働省の「2023年就労条件調査結果」によれば、35年働いて平均退職金額は2370万円とある。いくらかでも退職金制度がある企業は74・9%、支給制度がない企業24・8%。賞与なしは全体の3割を占めるという。
 産業別でいえば賞与平均で電気・ガス産業74万円、飲食サービスが5万9000円というから驚きだ。これは労働の対価ではなく搾取の構造の上に成り立っていることの証左に他ならない。ついでにサービスの低下を加速させるJR東日本は103万円だった。
(雨)

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