落ち葉から見えてくること

コラム「架橋」

 秋になると紅葉が始まり、街路樹の落ち葉が始まる。歩道に毎日散らかる。歩道なので、都や区の管理なのだろうが、誰が落ち葉の清掃の責任を持つのだろうか? かつては車道を大型の清掃車で清掃するのを見かけたが最近は見た試しがない。
 結局、会社やマンションの清掃員がやらざるをえない。歩道の高低差によって、落ち葉が集中する所がある。そこを毎日清掃するのが大変なのだ。通常は部屋の中の掃除をするのだがそれにプラスして、外の落ち葉掃除をやらざるをえない。
 落ち葉の掃除は前かがみになり、腰に負担になり、痛みが発生する。
 中央区の街路樹は何故かプラタナスだ。これは落葉樹で葉っぱも大きく厄介だ。江東区の街路樹は冬でも青々と茂っている常緑樹で落葉しない。どのような街路樹を植えるのか、それがどのような結果になるのか、担当者は考えたことがあるのだろうか? 
 もう一つ。歩道から数メートル入った所にメタセコイヤと思われる巨木が2本ある。高さがビルの7階を越している。これがクリスマス頃に大量に落葉する。葉っぱが数センチの針のようなので、それをホーキで集めるのが大変だ。道路のすき間に入り込む。こうした事態が10日間くらい続く。
 誰もが恨み節。誰が植えたのか? 今の上皇后だと言う。本人が選定したわけではないのだろうが落葉樹で、清掃員がなげいているなんて知る由もないないだろう。
 この話を同僚にしたら、その人は春になると花粉症で難儀をしていると話になった。「無分別に、大量のスギの木を植えたので花粉症でたくさんの人が迷惑している。植える人はそんなこと、考えなかったのだろう。他人のことも少しは考えてもらいたいものだ」、と。
 辺野古米軍基地建設、成田空港の大幅な拡張、リニア新幹線など巨大プロジェクトが進められている。その工事によって、自然を破壊し、人間が住めない状態を作り出している。栁川秀夫さんが三里塚反対同盟の旗開きで述べた、「巨大開発ではなく、腹八分目の生き方の実践」が問われている。 (滝)

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