白人国家チリの場合

コラム「架橋」

 「地球の歩き方2018~19」によれば、アルゼンチンの民族構成はスペイン、イタリア系白人が97パーセント、残りの3パーセントが白人と先住民の混血のメスティソ、先住民、その他の人種となっている。一方、同じ白人国家であるチリの民族構成は、スペイン系75パーセント、その他の欧州系20パーセント、先住民系5パーセントとあり、アルゼンチンにはあるメスティソの項目がない。
 すこし古い資料なのだが、「世界現勢1997」(平凡社)ではチリの人口構成をスペイン系白人と原住民インディオとの混血95パーセント、インディオ2パーセントとあり、白人と先住民の混血を意味するメスティソという語を使用していない。本文中ではメスティソが社会の中層を形成していると記しているのだが。これらの事実から、チリではメスティソ度が低い、いわゆるメスティソがひどく少ないことが推定される。
 スペイン人のチリへの本格的な侵略は1540年に始まった。当時のチリ中部にはアラウコ族が居住していた。当然、侵略の初期段階にはスペイン人と先住民女性との間に子供=メスティソが生まれた。  
 しかし、すぐにアラウコ族はスペイン人の進攻に対して徹底的に戦うことになる。彼らは勇敢な民族であり、紆余曲折はあったがその戦いは独立後も続き、チリ政府との和解が成立したのは、1850年であった。
 増田喜朗氏は「物語ラテン・アメリカの歴史」(中公新書)の中で、アラウコ族の戦いを紹介し、「現在彼らは民族の誇りを守りながら平和に暮らしている」と記している。その事実を否定するなにものをも私は持っていないのだが、ただ、以下の視点を主張したい。
 チリにメスティソが極端に少ないのは、第一に長期にわたるアラウコ戦争の過程が白人と先住民の接触する機会を失わせたから。第二にこれはより重要なのだが、アラウコ戦争の結果、チリの先住民は元々住んでいた土地を追い出され、特定の場所にまとめて居住させられた。まさに、強制収容所に入れられたのである。従って、彼らは白人と接触せず、白人と混血しなかった。チリにメスティソが非常に少ない理由である。 (O)

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