沖縄県内市町村の中国での戦争体験記を読む(100)
日本軍による戦争の赤裸々な描写
戦争体験記を読む、この連載も100回を迎えた。この間百数十人の戦争体験の証言を紹介し、日本のアジア侵略戦争に動員された沖縄県民が何をしたのか何をさせられたのか何を見たのかということを執拗に追ってきた。歴史の過ちを認識し正す立脚点はやはりそこにあると思う。この連載もあと十数回で終了する予定だが、読者の皆さんには最後までよろしくお付き合い願いたい。
今号で紹介する北谷町の島袋さんは、1935年、2度目の召集を受けて鹿児島まで行ったものの、補充要請連絡がくるまで2年半も何もせず過ごしたという。1938年に南京あたりに派遣されたが、補給は全くなし、もっぱら略奪していたと記している。1年ほどしてマラリアにかかり本土送還、和歌山の赤十字病院に収容された。引用は原文通り、補足は〔 〕、省略は……で示した。年号を西暦で補充した。
『戦時体験記録 北谷町』(1995年)
島袋弘「支那事変と沖縄戦を体験」
昭和九(1934)年一月二十日に、私は「都城23連隊」に現役入隊し二年の満期を迎えていったん沖縄に戻った。郵便局の集配係をしていたが、昭和十(1935)年に二度目の召集令状を受けた。七月二十七日に、鹿児島歩兵第45連隊に入隊の通知だった。
あいにく出発当日の夜明け前から大きな暴風になってしまった。それで、三日間那覇で足止めをくった。その間はずっと那覇で宿泊し、船の出航に備えた。
沖縄からの入隊が遅れたので、代わりの要員が鹿児島から急きょ召集されたそうだ。私たちが着いた頃には、連隊は支那に出発した後だった。四、五人ぐらいしか残っていなかった。それで、支那の方から補充要請の連絡がくるまで、沖縄からの召集兵は待機しておくことになった。入隊した連隊は、次々に支那に送られていたので、「補充隊」とも呼ばれていた。いつ要請が来るか分からないから、外出も禁止されて、演習もせず、ただぶらぶら二年半ほどすごした。
昭和十三(1938)年六月になってから「145連隊」という新部隊が編成された。私たちもそこに配属されて支那に派遣された。船は門司から出航した。支那では南京あたりにいた。戦地の第一歩を踏んでからは、配給物は全くなかった。それで、部隊は現地で野菜や豚などを盗み、それを空き缶で調理して食べていた。
いつ頃出会ったかはっきり覚えていないが、支那事変が勃発する以前に支那に渡ったという日本人がいた。その人は、日本語も支那の言葉も上手だった。支那の敗残兵を30名から50名ほど集めて、部隊を編成して、彼等に日本の加勢をさせていた。その人の個人名を冠した部隊名だった。その部隊の支那人は、同じ支那の敗残兵を縛って連れてきて、斬り殺していた。それは目撃した。
支那では九江〔チュージャン〕の戦いに参加した。……支那が強かったのは、支那の迫撃砲が優れていたためだった。戦闘機などは日本の方が性能はよかったが、支那は迫撃砲が非常によかった。……当時、日本はおもに機関銃を武器としていたので、なかなか太刀打ちできなかった。私は、馬に引かせて移動させて撃つ連隊砲の係をしていたが、それも迫撃砲には勝てなかった。……
支那には一年ほどいた。とうとう私もマラリアにかかった。……そこの野戦病院では治療できないということで、他の患者と内地に送還された。命令は、内地で完治させた後、また部隊に復帰するようにというものだった。支那から門司に着くと、内地の人も沖縄の人も、マラリア患者は全員、和歌山の赤十字病院に収容された。……
半年ほど入院した後、鹿児島45連隊に戻るようにとの命令を受けた。完治したかどうかも分からなかったが、病院から旅費をもらって部隊に復帰した。一緒に部隊に戻った内地の人は、部隊内で再発して高熱を出して苦しんでいた。丈夫な人たちは上官に呼ばれ、「病気に気を付けて、いつ呼び出されてもよいよう待機しろ」という命令を受けた。それで、私も一か月の予定で沖縄に帰った。
昭和十五(1940)年の五月頃だったと思う。旅費は連隊から支給された。私は家で呼び出しの連絡を待っていたが、なかなか来なかったので、召集前の職場である郵便局に復職した。
昭和十九(1944)年の十・十空襲までも、連隊からの呼び出しはなかったが、二、三度現地召集の通知が来た。そのたびに局長が「郵便局の仕事は防衛隊に行くのと同じで、第一線の仕事だ」と、部隊にかけあってくれたので召集を免れていた。……
しまいには、私も召集されることになった。それは、米軍上陸の一月ほど前だったと思うので、昭和二十年三月一日のことだ。……所属は第504特設警備工兵隊だった。……部隊の主な任務は、飛行場の弾痕整理だった。昼は屋良飛行場が空襲されて穴があくので、夜になると国直(くんのーい)グスクから、土砂を馬車やモッコで運び、その穴を埋める作業をした。それが一か月ほど続いたと思う。
まもなく敵が上陸した。防衛隊は武器を持っていなかったので、「戦うことはできないから、国頭に向けて後退するように」と言われ、部隊みんな一緒に逃げた。
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