社会運動におけるわれわれの方向性と任務②
第四インターナショナル第18回世界大会決議
4)運動全体の最も広範な統一のために闘う一方で、われわれはときには、すべての重要な問題について、あるいは、いくつかの重要な問題に関して、運動内部で共通の大衆的関与を展開している、より左翼的な勢力の組織・会議・ネットワークに参加するし、そういった組織・会議・ネットワークを創設することにさえとりくむ。どのような場合にそれが適切であるかを定式化するのは難しい。しかし、それが適切だと考えられる状況をいくつか挙げると、既存の指導部が官僚化していて行動に移せない場合、うまくいかないことを理由として(おそらく、とりわけ若者の中で)重要な勢力が活動から脱落する危険性がある場合などが挙げられる。われわれが他の組織と一緒に組織化する可能性があるもうひとつの状況は、運動全体が重要なセクション(たとえば先住民族やファーストネーションの人々、移民、トランスの人々など)の要求に耳を傾けていない場合である。こうした構造に参加するという決定や、そうした構造を作るという決定は、常に自らの組織を通じて、つまり、この分野の活動を調整するためのグループや委員会を通じて、あるいは指導部組織を通じて、集団的におこなわれるべきである。われわれは定期的に、これが正しい道であるかどうか、われわれ自身の考えを独立して主張することができるかどうかを評価する。われわれが実際に関与しているところでは現にそうしている。
5)われわれは国際的な基盤のもとで、運動内部で広く理解されている要求やテーマについて、ある時点で意味を持つ類似した要求やテーマをめぐって、最大限社会運動の調整のために闘う。われわれは、国際的なレベルの機構が、資金を得ることのできる運動の一部だけを反映するものでないことを確認するよう努める。この闘いは翻訳をともなうオンライン会議が可能となる技術発展によって容易になるはずである。われわれは、国際組織が真に国際的であり、世界のあらゆる地域からの懸念と要求を反映し、「北」の組織に支配されていないことを確認するために闘う。
6)われわれは、すべての社会運動が自らの特有の要求に焦点を当てながら、交差的なアプローチをとれるために闘う。
7)われわれは、さまざまな社会運動間の協力と相互支援のために闘う。われわれは世界社会フォーラムの発展を支持した。世界社会フォーラムでは、社会運動総会が労働組合運動を含むさまざまな社会運動のつながりや集中点を強調する共同宣言の機会となっていたからである。今日、この考え方は「運動の運動」(movement
of movements)という考え方に最もよく要約されている。しかし、その考え方は少なくとも国際レベルではどこでも本当には具体化されていない。
8)さまざまな状況において、運動自らが提唱する政策に立脚し、かつ党内でその運動の活動家や指導者が自ら活動している政党が、地方政府や国の政府さえも支配することができるという状況に運動が直面することがありうる。このような政党の活動家としての運動指導者は、こうした政府から責任あるポストを提供され、それを引き受けることもある。同様に、こうした政府は、同盟関係にはない運動の活動家たちに、その運動を「代表」すると主張してポストを提供することもあるかもしれない。われわれは、運動のスタンスはすべての政府機構から完全に独立し続けることであるべきだと主張する。にもかかわらず、運動は、運動の要求を支持・実行すると主張し、民衆の支持を享受している政府を前にして、いかにして独立した大衆動員を組織し続けるかという困難に直面することもありうる。
9)社会運動内部でのわれわれの組織方法は、できるだけ基底部に近いところで、国家からの政治的独立を求めることにあるが、その一方で、われわれはまた、ある状況においては、非政府組織(NGO)にエネルギーを注ぎ込むこと―あるいはそれを創設すること―に反対しない。そもそもこれをおこなうかどうか、また継続するかどうかの評価は、われわれの組織の民主的な構造を通して集団的におこなう必要がある。つまり、それらを統治する規則や資金へのアクセスが全体として、以下に述べる政治的目的を高めるのか、それとも制限するのかを評価するのである。
10)われわれは社会運動が権力の問題を提起することに賛成である。もし社会運動が左翼主義や代行主義に陥らないでそうできるとすれば、社会運動は支配階級の権力との対決を客観的に提起するために、その強さと性格が十分に広範でなければならない。たとえば、アルジェリアのヒラック、アラブ革命、スペインの「怒れる者たち」、インドの農民運動、チリの民衆動員などがそうであった。われわれは前世紀の偉大な革命運動にならって、特にプロレタリアートの自己組織化構造をもつ大衆運動が、ブルジョア権力に代わる権力形態であると主張する。古典的ではあるが、このような視点を擁護するために、われわれは過渡的要求と結びつけて、とりわけ社会問題と結びつけて、憲法制定会議のスローガン―この種のスローガンはケース・バイ・ケースの基礎の上で調整されなければならないとしても―を提唱する。
11)われわれの考えでは、民主的な社会運動は、主要な要求を達成したり、「進歩的」方向へ政権が交代したりした後はむろんのこと、権力を掌握した後でさえ、組織化を継続すべきである。われわれは、例えばニカラグアの女性運動がサンディニスタ革命の腐敗に反対して闘った、とりわけ女性の要求のために闘った重要な経験に注目している。そのことはまた、ブラジルの土地なし農民運動が2005―6年にルラ政権に対して真の農地改革を実現するために闘った際の困難によっても浮き彫りになっている。
2.反動的社会運動
われわれの伝統の中では、社会運動は生来進歩的なものであるとみなす傾向がある。しかし、急進右派が社会問題を中心に組織化してきた伝統があるという事実を無視すべきではない。アラブ世界の同志たちは、原理主義者たちが、国家がそうしない場合に食糧や医療などを提供するために、社会の最貧困層に向けた社会サービスを組織してきた伝統についてしばしば語ってきた。これはパキスタンの同志たちが経験してきたことでもあり、インドではなおさらである。インドでは、BJP[インド人民党]とその前身組織[民俗義勇団(RSS)]がこうした基礎の上に建設された。ブラジルの福音派は、貧民街での「組織化」において同じような軌跡をたどった。ペギーダ[ドイツの「西洋のイスラム化に反対する愛国的欧州人」]もその一例であり、グローバル・ノースの反ワクチン組織や国際的な中絶反対運動も同様である。
一般的に言って、こうした運動には民主主義はなく、極右政党の「フロント」組織のようなものである。彼らの基本的な要求が反動的なものである場合、われわれは明らかに彼らとは何の関係も持たないが、民主主義とより成熟した前向きな綱領に基づく真の社会運動に自らの基盤を獲得することを模索しながら、われわれが支持する要求をめぐる共通の動員の一翼を担うような状況もあるかもしれない。他の状況では、われわれが参加する社会運動は、同じことを達成しようとすることができる独自の動員を呼びかける方を好むかもしれない。それは力関係を評価するという問題であり、これらの反動的な運動に信頼性を与えるようなことはしたくないという事実である。
いずれにせよ、このことは、資本主義の利益を強化する極右思想を実行しようとすることのできる人種差別的・反動的な綱領に直面して、資本主義的政策と資本主義的社会組織に異議申し立てをおこない、民主主義と連帯を組織する要求と綱領を前進させるために、社会運動の一部となって社会運動の中で闘う必要性を強める。
(つづく)

