実感した祝園弾薬庫との近さ
コラム「架橋」
10月19日、私たちは大阪市に隣接する阪神尼崎駅に朝7時半に集合し、車で京都府の精華町に向かった。祝園弾薬庫建設反対集会に参加するためである(「かけはし」11月3日号参照)。この1時間ほどのドライブは、私に祝園弾薬庫の大阪のみならず、とりわけ観光都市奈良との近さを実感させてくれた。
阪神尼崎駅から阪神高速に乗り、第二阪奈道路へ入って生駒のトンネルを抜けると、前方にゴルフ場と見まがうような黄緑色の二重の丘が見えてくる。若草山である。第二阪奈道路から阪奈道路に入るとすぐに平城京跡。再建された朱色も鮮やかな朱雀門脇を通り北上すると、祝園弾薬庫=陸自祝園分屯地はまもなくである。
平城京跡から8キロ、観光客でにぎわう東大寺や奈良公園からは10キロ内外である。大阪市の中心部から24キロ、もちろん、大阪市内からは高層ビルの上からでも生駒山にさえぎられ、弾薬庫を覆い隠している森が見えるわけではない。
私自身弾薬庫建設問題が浮上するまで、精華町に陸上自衛隊の分屯地があることも、まして弾薬庫があることも知らなかった。精華町に行ったこともなかったし、学研都市の建設でわずかにその名を知っていただけである。
奈良県の生駒市役所から9・5キロ、大阪府の交野市役所から8・3キロ、枚方市役所から11・6キロ。実はこの弾薬庫は現在の枚方市役所に程近い枚方市禁野本町にあった。1939年3月に死者94人、負傷者602人、全半壊家屋821戸を出す大爆発事故を起こした。その結果、当時過疎地だった祝園に弾薬庫が新設されたのである。
全国のどの基地にも言えることなのだが、市街地に近い基地でもその多くは丘陵や森に覆われて住民の眼から遮断されている。そういった意味では大阪市から祝園弾薬庫は限りなく遠い。しかし、車で実際に精華町に行った私の肌感覚では、祝園弾薬庫は限りなく近く感じられた。 (O)

