「神々の復讐 人喰いヒグマたちの北海道開拓史」

人災としてのクマ被害を記録

 初夏を過ぎてからこの間、ツキノワグマやヒグマの生息地域で、たびたびその獣害が新聞、テレビで報道されている。その多くはタケノコや山菜採りへ山中に入った際、クマと鉢合わせし逃げる間もなく襲われたり、登山中に追いかけられたりとさまざまであるが、日本においてクマは最大の猛獣であり、その被害は人間のみならず牛馬など家畜にもおよぶ。また、ドングリなどの主食となる餌の不作により、どうどうと人間が住む街中をゆうゆうと闊歩し、ゴミ箱をあさるなどの行為も頻繁に発生している。
 2023年の目撃件数は5月末の時点で700件を超えているという。世界に食肉目クマ科クマ属は8種類生存し、日本国内には北海道に生息するヒグマと、本州と四国に生息するツキノワグマがいるが、その獰猛さはヒグマが圧倒的に勝り、近代から現代においてその獣害数、事例は枚挙に暇がない。
 クマは元来、雑食性で植物を主食にしていたが、今日は人間そのものや牛馬などの動物も倒して食するようになり、その被害は年々増加の一途をたどっている。
 本書『神々の復讐 人喰いヒグマたちの北海道開拓史』(仲山茂大/講談社)は、北海道に生息する人喰いヒグマの歴史を、内地から当時蝦夷地と呼ばれた北の大地、アイヌ人の居住地への侵略を縦軸に、ヒグマの棲息地の変化、行動圏を描いた力作である。同書の口絵には、開拓図、人口中心点、鉄道延伸図などが設けられ、侵略とヒグマの棲息地域の移動が一目で分かる。パルプや建築材を得るために、深山幽谷の森林地帯を伐採することによりヒグマの棲息地は限られていき、人間との接触が多発することは当然なことであった。また、本書は、近代におけるヒグマの獣害を北海道の地方紙記事から多数引用し、その実像に鋭く迫っており読み応えがある。文字通りヒグマによる獣害は、「神々の復讐」であったのに違いない。
 つまり資本主義的な開発が引き起こした人災であると言い切れる。

日本史上最悪の
「三毛別羆事件」
 特に読者の耳目に残る「三毛別羆事件」を題材に作家・吉村昭の描いた「熊嵐」や、日高山脈を縦走中に執拗に追いかけられ命を落とした福岡大学ワンゲル部ヒグマ事件は、その獰猛さを目の当たりにするものだ。前述した「三毛別羆事件」は、1915年(大正4)の12月日本海側北部に位置する苫前郡苫前村三毛別六線沢で発生した事件で、9日から14日にかけての6日間で延べ7人の村人が襲われ食害にあい、3人が負傷した日本史上最悪な熊害として今に語り継がれている。記録によれば体重340キロ、その大きさは2・7メートルという巨大な姿で、今では現地にそのレプリカが再現されている。もはや村人の手に負えないと判断され、13日歩兵第28連隊の将兵30人が出動、翌日には消防団、猟師など人喰いヒグマを追う人間は600人に膨れ上がり、14日にベテラン猟師の手により射殺された。のちにヒグマの死体を三毛別の分教場で解剖したところ、胃の中からは、大量の人肉や着物の端切れが発見されたという。

領土不可侵の
協定を今こそ
 これらは、石狩平野の急速な開拓と日本で最初に作られた小銃「村田銃」が猟銃として軍から民間に払い下げられ手負いのヒグマが増えたことが要因だと書かれている。つまりヒグマと人間界の領域があいまいとなり、「神々の復讐」が始まったと断言できる。
 現在、道東の標茶町や厚岸町周辺で次々に牛を襲うヒグマOSO18も例外ではない。神出鬼没なその姿をいまだ見た人はいない。人間と動物たちの共生、それはお互いに領土不可侵という暗黙の協定こそが成しえることであろう。  (雨)

THE YOUTH FRONT(青年戦線)

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