資本主義のエコロジー的・社会的破壊時代における革命的マルクス主義宣言

資本主義的成長との決別、エコ社会主義オルタナティブのために⑧

6 流れに逆らい、資本主義の生産主義と決別するために闘いを集中させよう。政府を掌握し、自己活動、自己組織化、下からの統制、最も広範な民主主義にもとづくエコ社会主義的決別を開始しよう

 ブルジョアジーの経済・国家・政治やその国際関係は、資本主義的蓄積と帝国主義的略奪が人類を陥れている環境・社会の行き詰まりから深く影響を受けている。世界中で、被搾取者や被抑圧者は深い苦痛にとらわれている。
 抵抗運動は流れに逆らって発展している。極めて困難な状況においてさえ、人々は自からの社会的・民主主義的・反帝国主義的・エコロジー的権利やフェミニスト・LGBTQI・反レイシズム・先住民・農民の権利のために立ち上がっている。モディ政権に対するインド農民の勝利、ノートルダム・デ・ランド空港に対するフランスの「ザディスト」[開発プロジェクトを物理的に阻止することを目的とした占拠闘争の実行者]の勝利、アルゼンチンの中絶闘争における女性の勝利、XXLパイプラインに対するアメリカのスー族の勝利・・・。しかし、敵は攻勢に出ており、多くの闘いが敗北している。第四インターナショナルの活動家としてのわれわれの任務は、われわれのエコ社会主義的・国際主義的視点を集中させて、闘いの組織化と拡大を支援することである。
 左派の主導的勢力である政党や労働組合の生産主義が、客観的状況に見合ったエコ社会主義的対応への道を阻む深刻な障害となっている。ほとんどの指導者たちは、反資本主義的視点を放棄している。社会民主主義やその他の改良主義のあらゆる変種は社会自由主義になってしまった。彼らの唯一の野心は、新自由主義の枠組みの制限内で市場に何らかの社会的修正をもたらすことである。大きな労働組合組織の指導者のほとんどは、資本主義的成長によって雇用・賃金・社会的保護が改善されるという幻想を抱いて、新自由主義的政策に同調することに自らを限定している。このような階級協調政策は、エコロジー的・社会的行き詰まりに対する認識を組織化する代わりに、その行き詰まりを深化させ、その深刻さを隠蔽するものである。
 幸いなことに、一部の政治勢力や労働組合の潮流は、とりわけヨーロッパ・アメリカ・ラテンアメリカにおいて、生産主義や新自由主義から距離を置き始めている。労働組合では、エコロジーの課題を認識する活動家が「公正な移行」という概念を提唱してきた。社会民主主義やITUC[国際労働組合総連合]の労働組合指導者たちは、生産主義や企業競争力を支持する方向にこの概念を捻じ曲げてきた。支配階級は改ざんの専門家なのだ。このようにして、政府が正義を踏みにじり、持続不可能性を組織する中で、「公正な移行」はその政府の言説において「持続可能な開発」に加えられたのである。
 「先進」資本主義諸国では、緑の党が伝統的勢力の隊列を強化してきた。40年をかけて、大多数の緑の党は資本主義の政治的管理者の列に加わった。消費者の個人責任にもとづく彼らのプラグマティズムは、多くの環境保護団体によって市民社会に広がっている。そのおかげで、社会民主主義や伝統的な労働指導部は、環境保護税や「左でも右でもない」エコロジーのいわゆる「現実的な」解決策を前にして、「より小さな社会悪」を擁護するという形で階級協調を偽装することができた。

 世界の他の地域では、まだ少数派ではあるが、エコ社会主義が社会運動や急進左派に影響力を持ち始めている。ミンダナオ、ロジャヴァ[シリア北部・東部のクルド人を中止とした自治区]、チャパスなどにおけるいくつかの重要な地域的経験は、エコ社会主義の視点と親和性を有している。しかし、多くの人々には、資本主義的な成長が社会状況を改善する唯一の方法であると依然として誤って見えている。
 危機と混乱の深刻さを考えると、労働者階級の各部門で、開発・雇用創出・所得増加のためにエコロジー的目標を犠牲にする傾向が強まるという危険性がある。この傾向は、労働者階級がすでにその最初の犠牲者となっている破局を加速させ、労働組合の正当性をより深刻に失わせることになるだろう。また、その傾向は、ネオ・ファシストがレイシズム的・植民地主義的で大量虐殺のプロジェクトをグリーンウォッシュしようとするのに十分な温床を作り出すだろう。自らの荒廃した土地から逃れてきた移民は、こうしたヘイトキャンペーンの主な標的となっている。
 社会主義プロジェクトは、スターリニズムと社会民主主義がしてきたことによって深く信用を傷つけられている。われわれがオルタナティブを作り直さなければならないがそれは闘争から作り直すのであり、ドグマからではない。
 今日、真の運動の最前線にいるのは誰なのか? 社会的・エコロジー的破壊のために重い代償を払っている先住民族・若者・農民、人種差別を受けている人々である。これら4つのグループにおいて、女性は、エコフェミニズムの具体的な要求と結びついて、決定的な役割を果たしている。女性はそうした要求のために自律的に闘い、組織しているからである。
 国際的な農民連合であるヴィア・カンペジーナが示しているのは、貧しい農民と先住民族の権利防衛、資源略奪主義とアグリビジネスに反対する闘い、食料主権のための闘い、生態系保全をフェミニズムと結びつけることが可能だということである。
 賃金労働者の圧倒的多数は、生産主義に反対する闘いの場にいないか、及び腰である。そして、階級闘争は時代遅れであるとか、想像の中だけに存在する「エコロジー階級」が階級闘争を闘わなければならないと推論する人たちもいる。しかし、破局を食い止めることは、社会的存在である生産様式に根本的変革をもたらすことによってのみ可能である。社会的存在である生産様式におけるこの革命は、生産者の積極的で意識的な参加なしにはありえない。しかも、彼らは多数を占めている・・・。
 それとは反対に、当面の社会経済的要求のために闘争している労働者大衆が、「階級的路線」でエコロジー闘争に参加できる意識レベルに達するのを待つ必要があると推論する人たちもいる。しかし、生産主義の枠組みを揺るがすような大きな社会闘争が起こらなければ、労働者大衆の意識水準はどのようにしてエコロジー問題を統合していくというのだろうか? ますます守勢に回っている労働者大衆は、その生産主義の枠組みの内部において、当面の社会経済的要求を自然発生的に提起しているからである。生産主義の枠組みを超えていくには、雇用と所得が保障された上で、大衆的イニシアチブの論理と必要な転換の計画作成が求められる。
 階級闘争は冷たい抽象的なものではない。「現状を廃絶する真の運動」(マルクス)が階級闘争を定義し、階級闘争の主体を指名する。女性、LGBTQIの人々、被抑圧者、人種差別を受けている人々、移民、農民、先住民による自らの権利のための闘いは、雇用主による労働の搾取に反対する労働者の闘いの横に置かれるものではない。それらは生きた階級闘争の一部なのである。
 それらの闘いが生きた階級闘争の一部であるのは、資本主義が以下のものを必要としているからである。すなわち、剰余価値を最大化し、より低いコストで社会的再生産を確保するための家父長制的な女性への抑圧、家父長制を正当化するためのLGBTQI差別、中心部による周辺部の略奪を正当化するための構造的レイシズム、産業予備軍を規制するための非人間的な「亡命政策」、労働力価格を圧縮するためにジャンクフードを生産するアグリビジネスの指示に農民を従わせること、人間社会がその内部と自然との間でいまだに維持している尊重関係を消滅させ、集団をロボットに変え、生者を死物に変える個人主義的な支配イデオロギーに置き換えること。
 これら全ての闘争と資本主義的搾取に反対する労働者の闘争は、人間の解放を求める同じ闘争の一部である。この解放は、われわれの種が自然に属しているという事実を認識しながら、その特殊な知性ゆえに、自然を注意深く保護するという、今や避けることのできない重大な責任を負っているという事実を認識することにおいてのみ、真に可能であり、人類にふさわしいものとなる。資本主義の破壊的な力が地球を新たな地質学的時代へと導いたという事実から生じる戦略的な意味合いは、実にわれわれにとって大きいものである。
 この分析は、社会的闘争とエコロジー的闘争を一つにまとめるというわれわれの戦略の基礎である。
 このように闘争を一つにまとめることは、社会運動間、あるいは社会運動の組織間で、要求の最大公約数を求めることに限定されるべきではない。こうした考え方は、特定の集団の特定の要求を無視することを意味し、その集団の中で最も弱い集団に不利益をもたらすからである。つまり、闘争を一つにまとめることにはならないのである。
 社会的闘争とエコロジー的闘争をひとつにまとめることには、すべての社会的アクター[社会的行為に参加するあらゆる個人]、つまり最も経験豊富なアクターから最も躊躇しているアクターまで、全ての闘いが含まれる。それは、ダイナミックな結合のプロセスであり、お互いに尊重し合う中で、行動と討論を通じて意識レベルを高めていく。その目標は、固定された綱領を決定することではなく、具体的な要求を中心とした被搾取者や被抑圧者の闘争的団結を構成することであり、政治権力の奪取と世界規模での資本主義の転覆というダイナミックな目標設定を切り開くことである。
 実際には、闘争のエコロジー的・社会的融合が今日において結局のところ意味しているのは、社会とエコロジーの間の誤った資本主義的対立を共に克服するために、エコロジー的脅威を最も認識している部門が、社会的脅威を最も認識している部門に語りかけること、またその逆のことなのである。
 このとりくみでは、階級闘争であるとともに生産主義にも反対するエコ労働組合主義の防衛が重要な役割を果たす。これは、職場の健康と安全の保全に対する労働者の具体的な関心、および生態系へのダメージと生産の危険に関する警告の役割――労働者はその役割を果たす最も良い位置にある――にもとづくものである。
 われわれは、エコ社会主義活動家として、ストライキ、および労働者の組織化や統制を促すあらゆる取り組みを通じて、職場における抵抗を推進する。われわれは、ストライキの拡大、デモの大衆化、抑圧に対する闘争のあらゆる形態の自己組織化と自己防衛の促進、支配的メディアと政府機関の嘘に大衆的に対抗することを組み合わせることによって、動員を強化するために活動する。
 われわれはまた、効果的であることが証明されてきた、土地封鎖から家賃支払いボイコットまでの市民的不服従の形態にも触発されている。
 闘争から得られた経験は、戦略的議論を豊かにするのに役立つ。
 生産主義に反対する闘いは多様だが、一般的にその出発点は非常に具体的で、しばしば地域的なものである。それは、新たな交通インフラ(高速道路、空港など)、商業・物流インフラ、資源略奪的インフラ(鉱山、パイプライン、巨大ダムなど)、土地や水の収奪、森林や河川の破壊などに反対するところから始まる。人々を動員するのは、一般化している言説ではなく、まずは日常生活や生活・健康に対する脅威である。闘いは、政治的な意思決定者、資本家グループ、彼らを守る制度に立ち向かい、異なる歴史やかかわりを持つアクター間で連合を築くことで、ますますグローバルで政治的なものになっていく。
 正確な目的と大衆的闘いを持つ特定の領域に根ざした闘争のこうした組み合わせは世界中に存在し、「ブロッケディア」[資源略奪主義的プロジェクトに対する直接阻止行動を意味する造語]と呼ばれる新しい政治的現実を形成している。
 フランスでは、ノートルダム・デ・ランデでの空港計画に反対して、農民、若い急進的活動家、地元住民が一つになることで、利権所有者を含む民衆と労働組合活動家の支持を獲得し、勝利をかちとった。この勝利を得た戦略に触発され、「大地の蜂起」運動[2021年1月に結成されたフランスのエコロジー運動体。2023年6月に内務大臣が解散命令を出したが、11月に行政最高裁が解散命令を無効にした]は、メガベイズン(工業用作物の灌漑のための巨大貯水池)反対闘争の組織化を通じて、アグリビジネスによる水の独占に反対して、守るべき共有財としての水の問題を提起することができた。
 アメリカでは、ミズーリ川とミシシッピ川を汚染する恐れがあり、先住民スー族の聖地を横切るダコタ・アクセス・パイプライン(DAPL)に反対し、スー族はスタンディング・ロックにキャンプを設営し、数千人の人々、若者、環境保護活動家がこれに参加した。このキャンプは激しい弾圧に抵抗し、DAPLの環境への危険性について調査を実施させた。法的・政治的闘いは続いている。
 エコ社会主義的な階級意識の形成には、闘いにおいて一つにまとまることが必要となる。その闘いの中では、(若い)科学者がその知識(農学、気候学、自然リスト・・・植物・動物学・・・)を活用・共有することによって貢献できる。
 ストライキ委員会、地域保健センター、企業接収、土地占拠、自主管理された生活空間、修理工房、食堂、種子銀行などによって、社会組織による実験は資本主義から自由になることができる。それによって、政治的・経済的な力を奪われた人々が、その集団的な力と知性を体験することができる。それらは、システムを迂回したり調整したりすることが可能であるという幻想に反して、遅かれ早かれ国家や資本主義市場に立ち向かうことになるだろう。そして、それらは、そのことが政治権力やシステムの不可欠な転覆なしには不可能であることを示すだろう。しかし、一時的にせよ、民衆的で民主的で連帯にもとづく別の正当性を樹立することによって、その具体的なオルタナティブのおかげで、被支配者は自らの力を自覚し、新たなヘゲモニーの建設に向けて活動できるようになる。
 よりグローバルに言えば、自己組織化された民衆権力機関の建設が、われわれの戦略の核心にすえられている。
 多国籍金融に支配された「後期資本主義」のシステム危機は、ブルジョア体制の腐敗現象に直面している嫌悪感と、階級間の力の均衡が量的にも質的にも著しく悪化していることに直面した無力感の両方を育んでいる。この状況において、政府の問題はますます重要性を増してきている。政治権力を掌握することは[資本主義からの]脱却政策を開始するという計画を実行するための前提条件であるが、近年になって明らかになったことは、民衆の願望を利用し、動員を誘導し、さらには現実政治の名の下に動員を抑圧し、そのようにして極右を強化する政治プロジェクトが致命的な幻想であるということである。
 近道はない。エコ社会主義の[資本主義からの]脱却戦略には、過渡的計画にもとづく政府樹立のための闘争と、あらゆるレベルにおける被搾取者や被抑圧者による自己活動、統制、直接介入を組織的に進めることが含まれる。なぜなら、このような自己組織化にもとづく力の均衡がなければ、生態系の搾取・抑圧・破壊に反対するいかなる首尾一貫した措置も強制できないからである。結果として、自己解放はわれわれの目標であるだけでなく、既成秩序を打倒するための戦略でもある。熟考し、民主的に決定し、生産と社会全体を組織する・・・ための新しい制度を構築しなければならない。これらの新しい権力は、資本主義国家機構に立ち向かわなければならないだろう。それは破壊されなければならないからである。社会秩序の転覆、資本家の収奪は、必然的に支配階級の暴力的な武装した反応に立ち向かうことになるだろう。被搾取者や被抑圧者は、この暴力に直面して自分自身を防衛する以外に選択肢はなく、それは男性化や代行主義を拒否しつつ、正当な暴力を民主的に自ら組織するという問題である。
 よく考えて行動すること、闘争と闘争手段を構築すること、経験を比較し、経験から学ぶこと。この巨大な課題を国際的に実行するためには、政治的手段、つまり被搾取者や被抑圧者の新しいインターナショナルが必要である。この宣言を通じて、第四インターナショナルは、この挑戦の達成を手助けする用意があることを表明する。
(おわり)

The KAKEHASHI

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