新自由主義経済下のラテンアメリカ〔3)

ラテンアメリカ経済の史的形成

山本三郎

1 収奪しつくされた500年

 ラテンアメリカのこの500年の歴史は、スペイン、ポルトガル、イギリス、アメリカ合衆国による徹底的な収奪の歴史だった。ラテンアメリカの人(労働力)、土地、資源、文化は徹底的に収奪され、その収奪を本源的蓄積としてヨーロッパ資本主義は成立した。
 アンティール諸島(いわゆるカリブ諸島)にはコロンブス到着時、数百万人の人々が住んでいたと言われている。しかし20年後にはその数は3万人になっていた。また1492年当時、中央アメリカから南アメリカにかけて7千万人から9千万人の先住民が住んでいたと推定されているのだが、150年後には350万人に減少した。
 1550年前後からボリビア、メキシコで次々と銀鉱山が発見され、空前の銀ブームが巻き起こる。1503年から1660年までにヨーロッパに持ち出された金の総量は300トン、銀は2万5千トンにものぼった。この銀の量は当時のヨーロッパの銀の備蓄総量の3倍にも匹敵している。
 銀鉱山が発見された場所は、どこも数百万人の人口を抱える先住民の農業先進地帯だった。スペイン人はただ同然で労働力をいくらでも得ることができた。そのうえ先住民の農業共同体を接収して、アシエンダ(大農園)を形成し、人口密集地帯になった銀鉱山地帯に食料の供給を行ったのである。
 銀鉱山の開発は銀資源のヨーロッパへの流出を意味しただけではない。土地と人との徹底的な収奪をも意味していた。たとえばボリビアのポトシの銀鉱山は「地獄の入口」とよばれ、1574年の1年間だけで8万1千人の先住民が命を落とした。
 メキシコの銀山もまた先住民に致命的な打撃を与えた。カリブ地域の砂金採掘は、カリブの先住民を地上から消し去った。17世紀に始まるブラジルの金ブームは何百万人というアフリカ系住民の命を奪い、いまなおアマゾンの先住民に奴隷的労働と死を強制している。チリやベネズエラの銅山でも、ペルーの硝石採掘でも事情は同じであった。
 また砂糖はオーロ・ブランコ(白い黄金)と呼ばれ、大規模なプランテーションが、ブラジル東北部沿岸地方、バルバドス、ジャマイカ、ハイチ、キューバ、ドミニカ、プエルトリコ、ベネズエラ、ペルーの海岸地帯等に建設された。そこに膨大な数のアフリカ住民が奴隷として連れてこられ、無償の労働力として投入された。砂糖は膨大な富をヨーロッパにもたらした。しかし、多くの鉱山がそうであったように、砂糖プランテーションもまたラテンアメリカに何らの資本蓄積をもたらさず、荒廃と従属の構造だけを残したのである。
 砂糖は肥沃な土地を必要とする。そして瞬く間にその土地を破壊する。ブラジルで最も豊かだった東北部の沿岸湿地帯は徹底的に破壊され、熱帯雨林地帯はサバンナに変貌し、そして飢餓地帯になった。世界市場によって砂糖モノカルチャー地帯に位置づけられたカリブの島々の土地はやせ細り、今なお基本食料の生産さえままならず、貧困にあえいでいる。
 土地を次々砂漠化させて移動していくコーヒー農園、ブラジルのゴムと綿花のプランテーション、マヤ族やヤキ族の殺戮のうえに成立したユカタン半島のエネケン(龍舌蘭)農園、そして多くの果物プランテーションも構造はみな同じである。
 ラテンアメリカで収奪された富はスペインを素通りして、ヨーロッパに蓄積した。そして、産業革命を準備して、その資本主義を発展させることになる。エルネスト・マンデルによれば、1660年までにラテンアメリカから略奪された金と銀の価格、1650年から1780年の間にオランダの東インド会社がインドネシアから奪い取った略奪品、18世紀の奴隷売買によるフランス資本の利益、イギリス領アンティール諸島での奴隷労働力から得られた利益、半世紀の間にイギリスがインドから得た略奪品の合計は、1800年までにヨーロッパの全産業に投資された資本の総額を上回っているという。そしてこの莫大な資本がマニュファクチャーに直接投資されて、産業革命を強烈に刺激したと書いている。
 ラテンアメリカは徹底的に収奪され、自らの資本主義を生み出すための資本蓄積を何一つできないまま資本主義社会に船出していくことになる。これがラテンアメリカの経済を特徴づける第一の、そして根本的な問題である。

2 独立=新たな従属の構造の出発

 ラテンアメリカブルジョアジーの悲劇は、自らの資本蓄積を持たないまま、自らの資本主義を展望しなければならなかったかったことである。1810年から始まるラテンアメリカ諸国の独立闘争はそのことの始まりであった。
 フランス革命、アメリカ合衆国独立の影響とナポレオンのイベリア半島への侵略によるスペインの支配力の弱体化は、スペイン本国の支配に不満を持つクリオーリョ(植民地生まれのスペイン人)を強烈に刺激した。しかし、立ち上がったのはクリオーリョだけではなかった。先住民共同体への人頭税、賦役の強化、商工業者への課税の強化など植民地支配体制の矛盾は頂点に達していた。
 独立闘争はクレオーリョ、メスティーソ(スペイン人と先住民の混血)、奴隷解放されたアフリカ系住民等、ラテンアメリカのあらゆる階級、階層を巻き込んだブルジョア革命の性格を強く持った闘争だった。ラテンアメリカ各国における経済的自立を展望する民族ブルジョアジーの闘いであり、貧困からの脱出を願うメスティーソや、先住民の闘いであった。
 当時、ラテンアメリカで商品経済に組み込まれたり、その周辺で生活していた人口はおよそ2千万人と推定されている。一方、独立戦争での死亡者は15万人から17万人といわれている。これらの数字は独立闘争がいかに広範な人々を巻き込んで闘われたかを如実に示しているだろう。
 しかし、自立へ向けた闘いは、新たな従属へ向けた出発にすぎなかった。資本蓄積のないラテンアメリカは、ロンドン、シカゴ、ボストンで起債することによって闘争資金を得る以外になかったのである。鉱山、農園等、ラテンアメリカの主要産業はすべて抵当に入れられた。独立を達成した時、それらの物件のほとんどはイギリスの所有に帰していた。そしてイギリスは独立を達成したラテンアメリカ諸国に、総計2100万ポンドの新たな借款を供与する。
 独立闘争の担保として奪い取ったラテンアメリカの資源を開発するために、ロンドンには40以上の株式会社が設立された。銀行の設立ブームが起こり、1836年だけで、銀行が48行も誕生する。
 こうしてイギリスはスペインが後退したあとのラテンアメリカに入り込み、ようやく始まろうとしていたラテンアメリカの産業を壊滅させ、その世界市場へとがっちりと組み込むのである。ラテンアメリカの新たな従属の構造の始まりであった。

3 第一次産品輸出経済構造の成立

 第一次産品は現在においてもラテンアメリカ諸国の最も主要な産業であり、その輸出は最も重要な外貨獲得源である。また歴史的にみても、輸入代替工業化政策のための資本蓄積を形成する等、ラテンアメリカ経済の根幹をなしてきた経済構造である。
 19世紀末以降、欧米資本主義は軽工業から重化学工業への転換、いわゆる第二次産業革命を達成する。この産業の一大発展は、欧米諸国に大規模な第一次産品需要を発生させることになる。またこれと同時に進行した交通革命は、ラテンアメリカとヨーロッパを結ぶ海運機関、ラテンアメリカ内の陸上運送機関を一新させ、食料品、工業原料品の大量、スピード輸送を可能にしていった。1870年代以降、大西洋航路の主力は帆船から汽船へと転換し、冷凍食肉輸出を可能にした冷凍船も登場する。またラテンアメリカ内においては一次産品を生産地帯から積み出し港に運搬するための鉄道網が敷設されていくのである。
 そして、第一次産品の生産、採掘部門への投資、鉄道敷設への投資の中心となったのは、独立戦争を契機にスペインに替わって、ラテンアメリカ諸国に莫大な権益を獲得したイギリスであった。またフランス、ドイツをはじめとするヨーロッパ諸国、アメリカ合衆国も相次いで参入していった。
 こうして、独立を達成したラテンアメリカ諸国は、スペイン、ポルトガルの重商主義的経済圏から離れて、イギリスを中心とした資本主義的世界市場に組み込まれていく。つまり、ラテンアメリカはイギリスをはじめとする欧米諸国に対する食料、及び原料供給基地であるとともに、その工業生産品の販売市場であることを強制されることになったのだ。
 これ以降、ラテンアメリカ経済のもう一つの従属の特徴、モノカルチャー、単一経済構造が彼らの手によって完成させられていくことになる。ブラジルのコーヒー生産、アルゼンチンの牧畜と小麦、チリの硝石と銅、ペルーのグアノと硝石、メキシコの銀、ベネズエラのカカオ、ボリビアの銅がその典型的な例である。
 そしてラテンアメリカにおいては小農経営をはじめ、あらゆる国内産業は壊滅させられ、国内市場は主食部門も含めて、完全に国際資本によって支配されたのだ。このことは、社会的には極少数の大土地所有者と圧倒的多数の土地無き農民層を生み出し、政治的にはカウディーリョ(富と軍事力を背景に地方、国の政治を支配する政治的ボス)の支配する寡頭政治を生み出していった。こうしてこの構造はラテンアメリカ経済の新たな従属の構造のみならず、現代のラテンアメリカの社会構造、政治構造の基盤をも形成していったのである。
 また、ラテンアメリカ諸国はこの時期に、ようやく本源的蓄積期に入る。しかし、欧米帝国主義諸国が植民地から収奪することによってそのことを実現したのとは異なり、もっぱら国内経済に基盤を置いて、なおかつ、欧米諸国からの耐えざる収奪の下でそのことをなさねばならなかったのである。

4 アメリカ合衆国の進出のもとで

 1880年を前後して、アメリカ合衆国がイギリスのラテンアメリカ支配の間隙をついて、本格的にラテンアメリカへの経済的進出を開始する。南北戦争を北部工業資本家の勝利のうちに終結させたアメリカ合衆国は、1870年代に入ると生産財生産革命を達成して工業を大発展させる。合衆国は鉱物資源を飢えたようにもとめていた。
 もちろんアメリカ合衆国はそれに先立つ1830年代からメキシコに介入、テキサスからカリフルニアに至る広大な土地を略奪していたし、その産業革命のための本源的蓄積の大部分を、ニューイングランドを基軸にした、アフリカとカリブ海を結ぶ奴隷と糖蜜の三角貿易で得ていたわけである。
 アメリカ合衆国のラテンアメリカへの投資は、農業、鉱業、石油部門等に対する直接投資を中心にして行われ、地域的にはカリブ海地域、メキシコ、中米であった。
 1898年2月キューバの独立戦争に軍事介入した合衆国は、キューバに軍政を敷いて、キューバを属国化し、その砂糖産業を支配下に置く。またユナイテッドフルーツ社は中米から、コロンビア、ベネズエラ、エクアドルに進出して果物生産を支配、とりわけバナナ産業ではほぼ完全に独占し、巨大なバナナ帝国を築くのである。そして1903年11月、パナマのコロンビアからの独立に介入、パナマ独立政権保護を口実に派兵し、同政権から運河地帯の永久租借権を獲得し、14年にはパナマ運河を完成させる。
 こうしてアメリカ合衆国は、第一次世界大戦以降、急速にその帝国主義国家としての支配力を後退させていったイギリスに替わって、ラテンアメリカの支配者として登場していく。そしてラテンアメリカは完全に合衆国の経済的支配下に入り、その市場に従属していくのである。
 19世紀を通じてのイギリスによるラテンアメリカ支配の構造は、主要には経済的な支配だった。しかし、アメリカ合衆国のそれは、経済的支配にとどまらず、その獲得、維持のために軍事介入をも含んだ、直接的な政治支配を伴うものであった。またそのことを容易にするために、ラテンアメリカ各国における寡頭勢力を支持し、その政権を支えたのである。こうしてラテンアメリカ経済のもう一つの特徴、政治とのより密接で、直接的な関係、国際資本の意志がストレートに反映する構造が作られていくことになる。

5 輸入代替工業化政策の時代

 第一次大戦後ようやくラテンアメリカにおいて経済的自立を模索する動きが本格化する。輸入代替工業化政策である。直接的契機になったのは1929年に始まる世界大恐慌であった。
 欧米諸国の景気の後退は、第一次産品を輸出し、その輸出代金で工業製品を輸入するというラテンアメリカ経済の基本構造に大打撃を与えた。つまり、欧米諸国での第一次産品需要の後退は、ラテンアメリカ諸国の輸出を大幅に減少させた。そのことはラテンアメリカ諸国の輸入能力の大幅な減少を同時に意味していた。そして、欧米諸国の金融危機はラテンアメリカ諸国への資本投資の減少を招き、このことも輸入の減少に拍車をかけた。その上、この不況からの脱出を図る過程で、先進資本主義国家は保護主義的政策をとっていく。ラテンアメリカ諸国は外貨獲得の機会を失い、ラテンアメリカ諸国には輸入工業製品が入ってこなくなる。
 この危機からの脱出策として採られたのが、輸入代替工業化政策であった。つまり、欧米諸国からの輸入に頼っていた工業製品需要を、国内生産に切り換えようとしたのである。その政策はまた同時に、第一次産品輸出に支配された経済からの自立を目指す経済政策、国内経済の基盤を第一次産品生産から、工業製品生産部門に移行させようとする積極的な側面を持つ政策でもあった。その経済的基盤になったのは、前述の19世紀末からの第一次産品輸出の下での高成長を背景にした資本の蓄積であった。
 この工業化政策は第二次世界大戦の後、より大規模に、より多くのラテンアメリカ諸国を巻き込んで展開されることになる。この時の経済的背景になったのは、第二次大戦による欧米諸国からの輸入の停止と、大戦中に備蓄した外貨の保有であった。
 これ以降、ラテンアメリカ諸国は、国内工業の育成のために、高い関税障壁、輸入制限といった保護貿易政策や政府による投資、金利の優遇策等をとっていくことになる。とりわけラテンアメリカ諸国における資本の蓄積は少なく、国家主導の工業化政策が推進され、このことがラテンアメリカの国有企業の基盤を形成していったわけである。
 こうして、ラテンアメリカ経済の自立の過程が開始されるのだが、それはまたラテンアメリカ諸国が現在にいたるまで、何度となく繰り返してきたように新たな矛盾の開始の道であった。確かに輸入代替工業化政策は初期の段階では成功した。しかし、ラテンアメリカが閉鎖された社会ではなく、世界市場に結び付いているかぎり、ラテンアメリカの経済がそれと切り離されて、独自に発展することはありえない。必然的に国際資本の持つ資本力と技術力の壁に打ち当たることになるのである。そのことについては項を改めて述べていきたい。

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