イラン政治犯連帯の公開書簡に反響(下)

「平和と人権のどちらが優先?」という問題でない

小林秀史

「公開書簡」への批判

 米国・イスラエルとイランの戦争は、ガザ停戦をめぐる動きと連動しつつ、当初の多くの人々の予想や期待に反して、長期化と地域全体の戦闘拡大と政治的不安定に突き進んでいる。従来の戦争理論や地政学的予測が悉く無効化し、覇権国も国際機関も「国際世論」も全くコントロール不能の状態が続いている。戦場に選ばれた国と地域は、勝者のない破壊と殺戮の技術・兵器・戦略のプレイグラウンドと化している。
 この中で反戦運動・平和運動は結集軸を失い、運動内部の相互批判が硬直化し、そのために運動の拡大が妨げられる状況が続いている。イラン政治犯をめぐる議論は、そのような運動の現状、限界を直視し、立場の違いを超えた連帯を再構築していくための新しい出発点となりつつある。
 そういう観点から、公開書簡をめぐる左翼の間での批判を紹介しておきたい。ここではイラン政権を支持する人たちからの悪意の中傷は無視して、米国の南アジア・ルーツの急進的活動家ヴィジャイ・プラサードの批判のいくつかのポイントを紹介する。非常に長文であり、公開書簡を支持する人たちとも一定の共通の認識が確認できるが、その部分は省略する。

ヴィジャイ・プラサード(FB投稿ほか、8月22日付)

 ・・・イランがこの戦争を始めたわけではありません。始めたのはアメリカとイスラエルです。イランは自国の領土と国民に対する武力攻撃に抵抗しています。この基本的な事実こそが、今この時期にイランについて書く際のタイミング、言葉遣い、そして政治的責任を決定する上で重要です。こうした背景を前提に、イラン政治犯に向けたあなた方の公開書簡を読みました。
 ・・・もちろん、あなた方の書簡の内容に同意できる部分もありますが、この書簡は今この時期においては、政治的に有害な役割を果たしていると感じます。米国とイスラエルが劣勢に立たされているまさにこの時に、この書簡は、現場の実際の政治力学を見えにくくし、政治的混乱を引き起こす可能性があります。
 イランは攻防の焦点を「米国とイスラエルの問題」(イランの核兵器保有は許されるべきか否か)から「イランの問題」(イランが領海を通過する通商を妨げないでおくべきか否か)に変えたことにより戦略的優位に立っています。
 そのことにより帝国の安全保障ではなく、イランとその近隣諸国を含む地域安全保障が議論されるようになりました。
 グローバルノース(欧米諸国の活動家)からのこの書簡は、米国が好むイデオロギー的偽善を許すものです。
 「ハサミの2枚の刃」のイメージは示唆に富むものですが、誤りです。一方の刃がイラン・イスラム共和国、もう一方の刃が米国とイスラエルであり、イラン国民がその2つによって切り裂かれているかのようです。このイメージは、侵略者と侵略されている側を並列的に描き、両者の間にある歴史と階層構造を無視しています。
 ・・・公開書簡は「『親帝国主義か反帝国主義か』という誤った二項対立」や「『空疎な「反帝国主義』」に言及しています。私は「空疎な」という形容詞の使い方が気になります。イランの反帝国主義は決して「空疎」なものではなく、現実にイラン国民が帝国主義による支配から自国を守ることを可能にしています。
 また、1979年の革命直後からイラン国内で左派弾圧とイスラム共和国の樹立に向けた動きが強まりましたが、その中でもパレスチナへのコミットメントは揺るぎないものでした。イランはイスラエルとの国交正常化を示唆したことすらなく、一貫してパレスチナの大義を擁護してきました。この地域でパレスチナ解放運動にこれほど献身的に取り組み、その献身のために高い代償を払った国はありません。
 アメリカやイスラエルがイランを嫌う理由は民主主義がないからではなく、イランが反抗的であり、その反抗的な態度にはパレスチナ問題に対する立場も含まれるからです。もちろん、イランに対する見解は人それぞれですが、現時点でイランの反帝国主義を「空疎」と言うのは不正確です。

米国は撤退しなければならない

 公開書簡は2つの要求を結語としています。1つは、イラン国家が「非人道的な死刑と投獄の慣行を今すぐ止めるべき」というものです。私も死刑に反対する立場を共有しますが、侵略国に戦争を終わらせるという差し迫った要求を、攻撃を受けている国に対する一般的な非難に従属させるべきではありません。また、米国はイランに対して違法な戦争を行っていたこの期間にも自国で19人の囚人を致死注射で処刑しましたが、この書簡はそれについて何も触れていません。
 イランの労働者、女性、少数民族、政治活動家たちの声に耳を傾けることは重要です。しかし、その立場からの批判は、具体的な状況を考慮して行うべきです。
 もう1つの要求は、米国とイスラエルが「われわれのコミュニティを意図的に破壊する野蛮な戦争と残忍な制裁を終わらせなければならない」というものです。この点については完全に同意します。しかし、この書簡は米国ではなくイランの囚人宛てです。署名者のほとんどは米国人です。なぜそのような書簡を自国政府宛てに書かなかったのでしょうか。
 フランツ・ファノンは、「反植民地闘争は自分たちが選択した条件下で展開されるものではない」と教えてきました。侵略、破壊工作、政権転覆の絶え間ない脅威にさらされた国家は、自国民に強制力を向ける可能性のある治安機関など、深刻な内部矛盾を抱えるようになります。ところがあなた方は、イランが侵略戦争に毅然と立ち向かっている今、世界の人々にイランを弱体化させるような立場を取るよう求めているのです。要求をすべき時と、連帯して行動すべき時があります。今はイランと連帯すべき時であり、侵略者である帝国主義者を利するような主張をする時ではありません。
 侵略戦争の只中で中立や第三の立場などありえません。私たちはアメリカの侵略戦争の只中にあったハノイのベトナム政府や、今アメリカによる恐ろしい締め付けに直面しているキューバ政府に宛ててこのような書簡を書くでしょうか? なぜ今このタイミングでイランに対して介入するのでしょうか? アメリカとイスラエルが劣勢に立たされているまさにこの時に、なぜイランを非難するのでしょうか? イランの生存権を守ることが先ではないでしょうか?
 今こそ、連帯を示す明確な要求を掲げる時です。米国とイスラエルは違法な戦争を終結させ、撤退しなければなりません。

イランからの亡命者、移民、難民からも「公開書簡」支持

 公開書簡はイランから中東・アフリカやヨーロッパ、アメリカ、オーストラリアなど各地に離散した亡命者、移民、難民の間で大きな反響を呼んでいる。国内に残された家族が気がかりで、移住先での孤立やイスラムフォビアに晒され、イラン当局による情報統制も強まる中で、この人々はイラン国内と国外での家族や知人の消息や、政治・経済の情報交流、海外の支援・連帯ネットワークとの接点となっている。
 以下は「反植民地イラン」による「われわれは公開書簡を支持する ― 『二つの刃に挟まれた』イランの政治犯たちへ」と題する声明(8月27日公開)の抜粋である。「反植民地イラン」はイラン国内や国外離散者のエリートたちにも西側メディアにも無視・黙殺されてきたイラン国内各地からの声を集め、英語に翻訳し、流布する多国間ネットワークであり、下記からアクセスできる。
https://anticolonialirancom.wordpress.com/

私たちに「よりましな悪」を選ぶという余裕はありません

 私たちはイランから離散し、亡命生活を送る移民や難民として、また、愛する人々がイラン国家の刑務所での苦しみや絞首刑執行の恐怖に晒されている者として、8月20日付「ガーディアン」紙に掲載された公開書簡の署名者たちに敬意を表します。この闘いを自分たちの闘いと結びつけて考える世界中の同志や構成団体が私たちと共に立ち上がっています。
 この書簡に対して左派の一部が署名者に撤回を求め、書簡を「帝国主義に同情的である」として攻撃し、その結果、3人の名前が削除されました。 
 私たちは長年にわたり西側諸国やシオニストの帝国主義戦争や占領、そしてイラン国内外におけるイスラム共和国の国家暴力に反対する活動を行ってきたグループおよび個人として、「善と悪」、「われわれと彼ら」、「西洋と非西洋」などの二項対立で対処できない現実を抱えるコミュニティと連帯することがいかに難しいかを知っています。しかし、世界各地で複数の地域的・世界的な権力によって同時に抑圧されているコミュニティは、抑圧者の中から「よりましな悪」を選ぶという余裕はありません。
 イラン全土において、私たちは米帝国主義とシオニストによる戦争、イラン政府による大量処刑、さらにはレザ・パフラヴィー率いる君主制シオニズムからの暴力に包囲されています。そんな時、ムミア・アブ・ジャマル、ヤシン・アル・ハジ・サレハ、リカルド・ヒメネスなど、現在および過去に投獄されていた政治犯をはじめとする人々による公開書簡で表明された国際的な連帯は、思いがけない希望のそよ風のように、国境を越えた解放への新たな視野を与えてくれました。

刑務所制度はイランも米国も変わらない
 米国によるイランへの軍事的・経済的攻撃の真只中に、イラン政府は「国家安全保障」を理由に囚人の処刑を強化しており、拷問によって強要された自白以外の証拠を一切提示することなく、投獄された人々を「外国の工作員」や「スパイ」と決めつけています。
 少数民族コミュニティはイランの刑務所や国境地帯における暴力の最も深刻な影響を受けています。シオニストによるイラン侵攻(昨年6月の「12日戦争」)以来、約200万人のアフガニスタン移民や難民がイランから強制送還されました。また、シオニストとの戦争を口実に、イランという国民国家とその国境が確立されるよりも前からこの地に住み、移動してきた民族の民族浄化を企てています。
 イランの刑務所制度はあらゆるコミュニティの貧困層や社会的に疎外された人々に影響を与えていますが、特にクルディスタン、バローチスタン、アフワーズ、ルレスタンなどの少数派に属す囚人が集中的に標的にされています。これは米国で黒人、ラティーノ、イスラム教徒、先住民コミュニティが白人至上主義的な入植者植民地主義・父権制に基づく大量投獄と人種差別的資本主義という二重の制度によって不均衡に標的にされている状況と類似しています。
 アメリカ帝国主義とイラン・イスラム共和国のどちらによる処刑にも反対する私たちの立場は、一部の人には奇妙に思えるかも知れませんが、実際にはイラン国内および亡命中の労働組合、学生団体、フェミニスト、人種差別を受けた少数派グループの間では共通の立場です。
 テヘランおよび郊外バス会社労働者組合による最新の声明は次のように表明しています。「現在、イランは壊滅的な経済危機、制御不能なインフレ、リアルの暴落、米国とイスラエルの軍事攻撃、壊滅的な戦争の継続、経済制裁、広範かつ厳しい弾圧、そして好戦的な政策の重圧に苦しんでいますが、政権はパン、仕事、正義、自由、そして人間の尊厳を求める人々の要求に対し、最も残忍な恐怖と威嚇の手段、すなわち絞首刑で応えています。・・・死刑即時廃止! 政治犯の釈放! 戦争、介入、軍事侵略、好戦的な政策に反対! 労働者と勤労人民の進むべき道は団結と組織化だ!」。

政治囚と家族の不屈の闘いが戦争下でも続いている

 死刑囚の家族や支援者たちが、身の危険を顧みず刑務所の前に集まり、愛する人の処刑を止めてくれるよう懇願するのを見ない日は一日もありません。しかし、ほとんどの場合、その努力は無駄に終わります。
 7月13日から28日にかけて、イラン南部地域に米軍の爆撃が降り注ぐ中、ゲゼルヘサル刑務所の1500人以上の勇敢な囚人たちが、仲間の囚人の処刑に抗議して集団ハンガーストライキを行いました。これと並行して、あらゆる処刑の停止を求める「火曜日の処刑反対運動」は60以上の刑務所で134週にわたって続いています。
 7月28日にはイスファハンの公開処刑場で、処刑を阻止しようと集まった人々による自発的な民衆抗議運動が起こりました。抗議運動は鎮圧され、処刑は執行されました。処刑はその後も続けられていますが、囚人たちのハンガーストライキ、遺族の勇敢な抵抗、そしてイスファハンでの自発的な抗議活動は、イラン国内外のさまざまな社会運動や政治運動を結びつける共通の要求として、死刑廃止を求める運動を後押ししています。
 オンライン雑誌『ザ・インターセプト』は、戦争の最中にICEとイラン政府が協力して難民や亡命者の強制送還を行っていたという機密情報を暴露しました。警察国家は互いに戦争をしながら、密室で外交交渉を行い、移民や難民の大量強制送還で協調しているのです。欧州列強とタリバンおよびシリアのアル・シャラー政権との関係正常化においても、「要塞ヨーロッパ」からアフガニスタン人やシリア人を強制送還するために同様のことが行われています。・・・
 米国ミシシッピー州の公民権運動家だったファニー・ルー・ヘイマー(1917―1977)は「誰もが自由になるまで、誰も自由ではない」という言葉を遺しています。この言葉は、たとえ正義と悪の二項対立が暴力的衝突に至るのが常識のように思える場合でも、解放に優先度の階層構造を設定したり、連帯の相手を選別するのをやめることを求めています。新しい世界には革命的な想像力と国境や監獄の壁を越えた根源的な愛に根ざした新しい連帯が必要です!
 わたしたちは囚人たちの要求を支持します。それは戦争と制裁の即時停止、死刑の廃止、そしてすべての政治犯の釈放です。これらの要求は相互に不可分です。

欧米左翼の中のイラン社会への無理解

 公開書簡をめぐる議論の中で、イランの国家・社会のあり方に対する欧米の人々の無理解と偏見、それが左翼の間でも自覚されていないことが多くの人々によって指摘されている。米国に亡命している左派活動家、シヤバシュ・シャハビ(Siyâvash Shahabi)は9月13日付のFB投稿の中で、次のように述べている。

 主に近代の国民国家や中央集権的機構の中で歴史を経験してきた人々は、イランのような社会を理解しようとする時も、同様の国家と社会の関係を前提として考えがちです。そういう観点から見ると、国家や機構が機能不全に陥れば社会も崩壊するはずです。私たちはこうしたファンタジーを、特にハリウッド映画のリメイク版などで何度も見てきました。
 西アジアやイランでは、社会の継続性は基本的に国家に由来するものではありません。世代を超えて継承されてきた制度、さまざまな知識、技術、ルール、そして人間関係こそが、それぞれの地理的空間の中での社会生活の再生産を可能にし、それらは国家や政治体制が変わっても存続してきたのです。
 スモトリッチ(イスラエル財務相)のような「シオ・ファシスト」(シオニスト・ファシスト)には、そういう現象を理解できません。だから彼はイランを一つの機械のように捉えてしまうのです。つまり、水や電気、経済といった機能を停止させれば、国民から望み通りの行動を引き出せると考えるのです。
 こうした植民地主義的な論理は、西側の左派の一部、さらには西側の反植民地主義的な潮流にも共通するところがあります。彼らもまた[非西洋の]歴史的・文明的な継続性を無視し、消去してしまっているのです。
 彼らは「イスラム共和国」がイラン社会に固有の論理の帰結であるとみなして、それに抵抗する社会運動については米国の意図や制裁、イスラエル、西側の影響といった外的要因によって説明しようとします。言い換えれば、彼らもイラン社会を、歴史的にさまざまな国家や体制の下で生き延び、自分たちの内部から政治を生み出しうる主体として考えることができないのです。
 だから彼らはイランにおける抗議運動の自律性を理解できず、当然にも自国(植民地主義的国家)によるイランへの介入に対決することもできないのです。
 彼らは民主主義社会の中でスローガンを掲げ、もっともらしい正論を口にしますが、結局のところ、同じ植民地主義的な論理の一部にとどまっています。なぜなら彼らには、歴史に対する理解も、特定の地理的空間の中で社会生活の再生産を可能にしてきたさまざまな制度、知識の形態、技術、規則、そして人間関係の継続性に対する理解も欠けているからです。
 彼らは「女性・生命・自由」という今世紀の最も重要な女性の運動について理解できず、家父長主義と植民地主義に染まった世界観の中で、その運動を看過してしまったのです。イラン政府自身の社会調査でも、イラン社会の7割以上がもはや特権的聖職者による政治を信頼していないことが明らかにされているにもかかわらず、そのことの意味を理解できないのです。
 だからそのような左派グループは、トランプが「なぜイランの人々は[独裁政権に]抗議しないのか」と不平を言っている時に、圧倒的な暴力を前にしたイランの人々の沈黙を「イスラム共和国および支配体制への支持の明白な証拠」だとみなすのです。まさに植民地主義的な発想です! 沈黙が「これまでの闘争と忍耐の経験に学びつつあることの表現」であるということを想像もできないのです。
 別のグループは自分たちの「文明的レイシズム(文明の優越感に基づく人種差別)」と決別できず、イランにおける体制維持のための弾圧を当然のことと考えます。これは自分たちの目標に合わせてイラン社会を改造しようとするグループとほぼ同じことです。
 そういうことなら、どうぞお好きなように。ヨーロッパで開催している反人種差別や反ファシズムを掲げる会議やフェスティバルの成功を祈ります。それらは結局のところ「ユーロビジョン」[毎年開催される国際音楽コンテスト]に知的エリート主義の装いをこらしたものに過ぎないのですが。    (おわり)

イラン女性の闘いに対する連帯を訴えるポスター

THE YOUTH FRONT(青年戦線)

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