クルディスタン PKKの解散と新たな展望

政治犯の解放がカギ握る

ミレイル・クート

 2025年2月、クルドの人々に親しみを込めて「アポ」(おじさん)として知られているアブドラ・オジャランが、1999年以来独房に閉じ込められてきたトルコのイムラリ島から、クルド労働者党(PKK)の解散とトルコ内での武装闘争の終了を訴えた。いくつかの国際的な意見による呆然としたような反応は、PKKの政治的進展がこの間無視されてきたことの程度を示している。
 したがってこの解散は、ふたつの別々の場で開催された5月12日の臨時大会で承認された(人は注意してもしすぎることはない)。これは、クルド問題に対する政治的解決を求める25年にわたる追求の頂点なのだ。

 抑圧に対する
 数十年の闘い

 1984年のPKK創立当時、クルド地域の住民はトルコ民族主義のくびきの下に生きていた。そして、かれらの政治的生活や日常的な暮らしの中にあった変わることのない抑圧に耐えていた。たとえばかれらの母語で話すことの禁止、クルド政党として選挙に立候補することの禁止、といったことだ。禁止のリストは長かった。たとえば1991年、トルコ議会の一員であったレイラ・ザナは、以下の文言をクルド語で述べた。いわく「トルコ人民とクルド人民間の平和万歳!」と。これは彼女に15年の収監と拷問をもたらした。それゆえ唯一残った政治的表現が武装闘争だった。
 1990年代半ばまでに、PKKは早くも武装闘争に代わるものを探していた。1999年の彼の裁判でオジャランは、全員にとっての平等な権利に基づくある種の連邦的解決、に対する彼の約束を改めて確証した。山岳地域から下りてきた平和活動家との間を含めて、トルコ政府との対話を始めるために、数多くの試みがPKKによって行われた。
 しかしトルコ民族主義の壁は不動のままだった。そしてクルド諸政党は系統的に解散させられた。たとえばHEP(人民労働党)、DEP(民主党)、HADEP(人民平等民主党)であり、ここでもまたリストは長い。

 交渉の幕開け
 とアラブ革命
 トルコ大統領のレセプ・タイップ・エルドアンが初めて権力に到達した時、交渉の開始という形で幕開けが可能に見えた。しかしこれは2011年のアラブ革命によって中断された。トルコ政府は、中東における支配的役割を取り戻すある種の好機を見て取り、交渉を止めた。
 その間シリア北東部のロジャヴァでは、いわばPKK理念の実験室が組織され続けた。それが、クヮンディル山から下り、ヤズィディス教徒を救い、FDS(シリア民主軍)形成のためアラブ人諸部族と連合をつくる中でコバネを防衛した戦闘員に基づき、男と女の平等を唱えるひとつの自治地域だ。
 ロジャヴァの存在は、北西部のアフリン、次いでユーフラテス川の水資源に関するトルコの要所であるセレカニェに対するトルコの侵攻以来、風前の灯火だったように見えた。アサドを転覆したジハーディストの攻勢がそのすべてを変えた。
 トルコは、ロジャヴァ征服のためANS(シリア国民軍、トルコが後ろ盾になっている反アサド武装部隊のひとつ:訳者)の傭兵に頼っていた。しかしFDSはもちこたえた。そしてシリアの新しい指導者、アーメド・アルシャラアには、イスラエルが彼のあらゆる軍事基地を砲撃して以降もはや軍がなく、彼のただひとつの関心事は制裁解除だけだった。米国はそれに応じ、EUもおそらく先例に従うだろう。
 トルコはロジャヴァとイラク北部に対するその激しい爆撃を止めている。そして今や、ロシア―中国ルートに代わるものとして、イラク・クルディスタンを通る新たな石油とガスのルートを開発中だ。
 クルド問題に対する受け入れ可能な政治的解決を確実にするには、この経済的な賭け金だけで十分だろうか? ボールはアンカラの法廷にある。トルコが今抱えている1万2千人の政治犯のうちそれは今なおただの1人も釈放していず、その釈放が真剣な交渉の必要条件であるからだ。(2025年5月22日、「ランティカピタリスト」よりIVが訳出)

▼筆者はフランスNPAメンバー。(「インターナショナルビューポイント」2025年6月1日)

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