メキシコ右翼の歴史的敗北

政治体制の新しいタイプが生成

選挙を超え民衆的決起を社会運動へ

ホセ・ルイス・ヘルナンデス・アヤラ

 メキシコでの勝利は圧倒的だった。与党は、大統領を勝ち取ったが、また9州のうち7州の知事、立法府の過半数をも勝ち取った。こうした概観の型は、PRI(制度的革命党)支配体制の決定的清算をめざすような、より深い変化を推し進める道を開いている。

数字が示さない人々の参加熱量


 冷たい選挙統計は伝統的な右翼諸政党の明確で説得力のある、そして反駁不可能な敗北を示しているが、それらは、今回の選挙動員に見られた熱を帯びた民衆の参加を精密に映し出すことは決してできない。それは、古い専制的で権威主義的な、腐敗しレイシストで古典主義者の政治階級から抜け出そうと熱望する民衆による高まる一方の参加だった。つまり、低賃金、失業、腐敗、公的企業の私有化、職の不安定、さらに新自由主義時代の他の悪徳からなる30年以上で有罪と見られている右翼諸政党(PRI、PAN、PRD)による民衆の疲労が投票日に現れたのだ。右翼候補者に対する拒絶を表す人々からの証言、また現政権とその候補者のクラウディア・シェインバウムに対する共感を伴った何千というビデオ映像がソーシャルネットワーク上で拡散された。
 ほとんどすべての全国メディアによる、またAMLO(オブラドールの略称)大統領敵視の国際右翼の諸個人による介入と組になった、外国メディア、保守的知識人やアーティスト、カソリック司祭の重要人物まで加わった、ヘイト、歪曲、嘘からなる圧倒的にけんか腰のキャンペーンは、「共産主義者」や麻薬密売人の共犯者だ、という告発から構成されていた。この中傷キャンペーンは、それが人々に覚醒エネルギーを与え、かれらを、右翼とその拡声器が語ることすべてを一切拒絶するよう導いたために、その意図した作用とは逆のことになった。
 右翼の壊滅的な選挙敗北は、かれらが現実とかけ離れて生きていたとの突然の気づき、またこの予想外の敗北のことで互いを責め合いながら、彼ら自身の隊列からクラウディア・シェインバウムの勝利を認めた者たちへの激怒を伴って、右翼をショック状態に、不信と引き裂きに投げ込んだ。いつも通りかれらのメディアがもつ操作力の効果に慣れきって、敗北の、いわんや今回のような大きさの敗北の可能性は、かれらの頭には入っていなかったのだ。まさに多くの不満を経験してきた後では、かれらの心理状態がどのようにかれらの身振りに映し出されているかを見ながら、右翼の立場のさまざまなコメンテーターのビデオを見つめるのは、まさに例証的であり、また爽快ですらある。

「愚か者、問題は経済だ!」


 クラウディア・シェインバウムの勝利の主な理由のひとつを説明する際、先の表現には戻る価値がある。それで言いたいことは、AMLOの毎日の記者会見(いわゆる「朝の定例」)がもっていたメディア的効果を脇に置く、ということではない。彼はそこで、彼の政府の政策を擁護しつつ、彼の政敵の党派的で一揆好きの本性を糾弾し、情勢が求めるなら大衆的な決起まで訴える形で、保守主義の反革命と裏切りを説明するためにメキシコの歴史を利用しながら、右翼に対する文化戦争に取りかかるために各々の質問を利用した。彼の論評はメキシコ内でおびただしい聴衆を抱え、ラテンアメリカ中での反響までも得ている。
 しかしながら、このどれも、労働者階級の生活水準、および全体としての経済における明白な改善を伴っていなかったとしたら、全く有益とはならなかったと思われる。これこそが説明の核心だ。
 AMLOは彼の権限の始まりから、腐敗に対する厳しい戦闘に取りかかった。彼は、PEMEX(国有石油会社)ガスパイプラインでの燃料抜き取り除去からはじめた。その抜き取りは、6年の期間を通じた13億ペソの節約を意味した。
 諸々の大企業は遡って税を課され、それらの義務となった税を期限通りに払うよう強いられた(それらは、申告関係の策謀に頼って、事実上全く税を払っていなかったのだから)。2018年から2022年までで、法人税徴収額は40・23%増大し、1兆1360億ペソに達した。そうであってもこの6年間、企業所有者はかれらの利益が以前決してなかったような利益を上げるのを経験してきた。それははっきりと、進歩的な税制改革の緊急性を正当なものにしている。
 オブラドールの政策でもうひとつの重要な成功は、PEMEXとCFE(連邦電力委員会)の救出だった。それは、私有部門に移され、破綻の瀬戸際にあったのだ。付随的に重要だったことは、イベルドローラやレプソルといった多国籍企業(いずれもスペインが本拠:訳者)の支配下に入る瀬戸際にあったエネルギー主権の回復だった。これが、消費者と全体としての経済に大きな影響を与えて他の地域で起きたような、パンデミック期の途方もない価格高騰を伴ってエネルギー価格が投機のえじきになるのを防いだ。6年の任期を通じて、住民全体への供給を確保し、インフレへのブレーキとして役立ちながら、燃料コストは安定状態にとどまってきた(それは年間インフレ率に沿って僅かに上昇している)。

さらに充実必要な社会的計画

 最後に、経済的安定に有益だった他の進歩的な諸方策もあるとはいえ、社会的諸計画の重要性に光を当てることが必要だ。これは、メキシコの極左が誤解している領域で、かれらはそれに「クリエンテルス」(支持者への便宜供与政策:訳者)と軽蔑的に言及しているが、しかしそれは、そうではなく大きな文明化の妥当性をもつことが、また国内市場強化として重要な要素であることが示されてきた。
 私は主に、65歳以上の高齢者に対する全員対象年金にふれる(他に、学生や障がい者向けの奨学金計画もある)。そしてそれは今、月額ひとり当たり3千ペソ(180米ドル)になっている。この全員対象年金は少なくとも、1210万人強の食料保障を可能にし、今年の場合、4650億ペソ強の経費に相当する。
 とはいえ社会主義者は、単なる「経費」以上に、この計画をいわば尊厳ある高齢者に対する人権の一部として擁護しなければならず、したがってそれは、その目標を十分に満たすために毎年増額されなければならない。
 この年金はまた、以前は家族内部からかれらの高齢成人に連帯の支援を提供してきた多くの家族に対する負担軽減をも意味している。その上このカネのほとんどは、受給者の個人的経費に振り向けられ、そしてそれは、国内市場の強化に帰着している。
 最低賃金は、ほぼ300%引き上げられた。これは世界でもっとも貧弱な俸給のひとつに対しては多くはないとしても、契約賃金を押し上げる参照として、また極度の貧困を縮小する参照として役立ってきた。ちなみに強度の貧困は、2018年から2022年、人口の14%から12・1%へと減少した。
 全体としてのこの政策は、マクロ経済の安定性を説明している。すなわち、2023年にGDPは3・2%成長し、インフレは年率3・8%に低下し、失業率は今年第一四半期に2・4%になった。そしてわが歴史では普通ではないこととして、メキシコペソは対ドルで13%と評価されている。
 エネルギー問題での国家管理の復活、象徴的な土木工事――マヤ鉄道のような――での職の創出、新病院100ヵ所やメキシコシティの新空港の建設、民主的な生活の前進、そして生活基準におけるささやかな改善が、解決されるべきこととして残っている大きな問題(安全確保を含んで)よりもまさっている。そしてそれらが、クラウディア・シェインバウムの立候補に利益を与えた選挙の地震を説明する要素だ。
 このすべてにもかかわらずわれわれは、オブラドールの進歩主義が、さまざまな政治的かつ社会的な側面で、特に労働者階級との関係で、厳しい限界、矛盾、また首尾一貫性の欠落という病を抱えていることを指摘し損なってはならない。カナネア、ソンブレレテ、タクサコにおける鉱山ストライキ(すでに18年の間続いてきた)に対する回答の不在を心にとどめよう。メキシコ電力労組(15年の抵抗を抱える)の労働者の職場復帰という問題もある。そしてここでは、御しやすい指導部を押しつけようと試みるための、右翼反対派の力付けによって労組自治まで侵犯された。
 また、教育労働者のための新自由主義教育改革の全面取り消し、私的年金制度の廃棄と連帯システムへの回帰、政府指名の労組官僚に対する低姿勢の扱い、民主的労組運動に対する侮蔑姿勢、労働協約下労働者に対する賃金上限設定の維持、なども残された問題だ。

MORENAの限界と可能性


 新自由主義右翼の敗北は、純粋な選挙現象を超えている。それは今右翼諸政党を不安定化し続け、それらがひとつの政治的オルタナティブとして存在し続けるつもりならば、自らを再構成するようそれらに強いるだろう。古いPRI支配体制は、その諸政党と共に致命的な傷を受け、新たな何かが生まれようとしている。それは完成したモデルではなく、社会主義者としてのわれわれが好むものでもないが、当面いくつかの興味深い要素を含んでいる。
 この30年の中で、さまざまな政府はあらゆる力をもつオリガルヒの指令を執行する単なる道具となってきた。現在、全体としての資本主義システムの利益と引き換えにさまざまな権力エリートとの関係で、連邦政府の相対的な自律性がある。その階級的な特性はブルジョアジーであり続けているが、しかし新自由主義の正統教義に逆らう政策を実行する能力を伴っている。
 権力を握る新たな党は、社会諸組織に対する集団的な統制には依拠していない(オブラドールの場合は、むしろ大衆の自己組織化のあらゆる進展に敵対的だとはいえ)。その社会的関係は、諸運動を個人化されたやり方での単なる支持者とみなすことに切り縮められている。
 したがって、MORENA(国民再生運動)は厳密な意味での政党ではない。それは、選挙への参加のための単なる機構なのだ。それは、数十万人のメンバーの組織化と討論のための地域的に広がる組織構造をもっていない。それは、かれらの候補者とその指導者を確定する官僚的なカーストによって垂直的に支配され、今や右翼諸政党出身の変節者(チャプリネス、あるいはバッタ)数千人の避難所になっている。
 しかし上記は、MORENAに見込みがないと言いたいわけではない。機構がもつ支配力の維持、およびそれを権力の座にある政府の構想に従わせることを追求している右翼的官僚と、左翼の諸部分――それは社会的闘争に専心し、当初の解放的イデオロギーを代表する者たちによって指導され、今もMORENAを民主的な政党にすることに加勢し、それに期待をかけている――の間には隠れた対立がある。この対立は現在選挙プロセスのおかげでいわば休戦状態にある。
 進歩的政権の登場が諸社会運動の後押しの産物だったラテンアメリカの他の諸国とは異なり、メキシコでは社会運動が極めて弱体だ。それらは、それらを分断のままにし、変化の現在の進展の中で自らの重みに基づく主体になることをできなくした、そうしたさまざまな敗北と後退を経験した。
 さまざまな試みにもかかわらず、われわれは現在まで代わりとなる社会的極を建設できずにきた。しかしながらわれわれは、自動車やマキラ工業(注)におけるさまざまな労組の回復、およびより良い賃金と労働条件達成のために巻き起こった数十のストライキに基づいて、ささやかな進歩を成し遂げてきた。それがすべて、あるいはほぼすべてだ。
 しかしながら重要なことは、権力からボスどもの諸政党を追い出すための選挙の分野における大衆の乱入と、本物の労組の建設、水や土地や環境を防衛する闘いの促進、食糧主権の達成、また農薬のない有機食糧の生産としての地方最活性化、これらのために新しい政治の概観を利用することの間に万里の長城は全くない、と指摘することだ。結局のところ、これらは同じ主体に関する、自らを市民としてか、あるいは社会階級としてか表現するふたつの解釈だ。メキシコ人社会主義者の任務は、このふたつの間に橋を架けることだ。(2024年6月8日、「ジャコバン・アメリカ・ラティーナ」からIV向けに訳出)

▼筆者は、SEM(メキシコ電力労組)の代議員、かつNCT(新労組センター)の全国執行部メンバー、またMS―PPメンバーでもある。
(注)マキラあるいはマキラドーレスは、所有者の国民国家――通常は米国――に戻す輸出向けに製品を組み立てるため、安いメキシコ人労働力と退行的労働法を利用する、外国人所有の工場。(「インターナショナルビューポイント」2024年6月14日)(訳注)一部省略 

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