ベネズエラ 選挙への左翼的評価のために

民主主義求める民衆との連帯を

「何が起きたかは誰もが知っている」

ヨレッティ・ブラチョ

 ヨレッティ・ブラチョはこれまで、ボリバール革命から生まれた国家と民衆居住区諸組織間の関係に彼女の研究を向けてきた。彼女は、選挙に向かう数週間ベネズエラに滞在し、左翼とチャベス派のさまざまな部分の代表者に会うことができた。以下で彼女は、彼女が集めた諸証言に基づいて現情勢と選挙の管理に関する彼女の印象を示し、ベネズエラ民衆への国際的連帯を訴えている。(IV編集者)
 「何が起きたのかは誰もが知っている」は、大統領選挙結果が公表された2024年7月28日深夜直後、ベネズエラ人から出てきた章句だ。伝統的野党の候補者、エドムンド・ゴンサレス・ウルティアが得票率44・2%の中で大統領のマドゥロ・モロスが得票率51・2%で再選されたのはその後の7月29日で、われわれはそれを全国選挙評議会(CNE)議長のエルビス・アモロソから聞き知った。
 しかしながらこの公表は、逆向きの一連の指標とは矛盾していた。つまり、その日を通じて、マドゥロには不都合な結果が諸々、チャベス運動のかつての拠点から、特に都会の民衆街区から現れ続けているように見えた。
 それでは何が起きたのか? この最新ベネズエラ大統領選について左翼は何を考えることができるだろうか? そしてわれわれは、民主主義とベネズエラ民衆が投じた票を尊重する出口を、どのようにイメージできるのだろうか?

マドゥロ派の圧力で左翼は分裂

 ニコラ・マドゥロの政権に反対しつつベネズエラで左翼と自認することは全く簡単な任務ではない。チャベス運動のメンバーだと今も主張する人々も含め、1ヵ月にわたるさまざまな左翼の代表者との討論の中で私が集めることができた説明は、人が政府の政治的かつ社会的な抑圧の標的である場合、組織化がいかに困難かを示している。
 これは、選挙の時期にはなおのこと明らかだった。チャベス政権のある元閣僚は、次のように私に語った。つまり「右翼はその候補者を確保できたが、しかしひとりの候補者も確保することを許されていないのは左翼のわれわれ、ということを見るのは印象深い」と(注1)。
 実際多くの人々は、選挙の当日に行われた決定に関するかれらの配慮について私に語った。その多くが諸々のチャベス政府の下で公的行動における仲介者でもあったこれらの左翼活動家、草の根組織メンバーにとって、問題は7月28日に投票に行くか否かだった。一方で、エドムンド・ゴンサレス・ウルティアへの投票はあり得なく見えたからだ。ドナルド・トランプ、ジャイロ・ボルソナロ、あるいはハビエル・ミレイのような胸の悪くなるような人物たちと過去連携を固めることができたような、伝統的な野党指導者であるマリア・コリナ・マチャドへの投票も、これらの人々には絶対に不可能だった。
 しかしニコラ・マドゥロへの投票はどうだろうか? 何年も民衆的左翼を政府から外し続けてきた男に対しては? 石油企業内部の腐敗の対価を、また米国の経済制裁の作用の対価を、もっとも貧しい民衆に払わせることで経済危機を管理してきた男に対しては? 2015年から2017年の、住宅街出身の若い黒人数千人を死亡させた人民解放作戦(PLO)(注2)の中で、民衆諸階級を抑圧した彼はどうか? ノーであり、それも可能ではなかったのだ。
 それゆえこれらの活動家のある者の場合、唯一の選択肢は棄権であるように見えた。それは、ベネズエラ人間の対立を解決する十分に成熟した政治的ツールは投票、というチャベス運動による何年もの主張とは対照をなす回答だ。
 さらにいくつか異なる立場もある。私が話した人々の中で、ある者はマドゥロを「阻止する」ためにゴンサレスに投票すると決めた。他の者は、権力を握る大統領に、彼はもはやこの政治運動の理想を代表していない、と示すために野党に投票するのがチャベス派としての彼の義務、と語った。
 さらに他の選択肢もある。チャベス運動と多かれ少なかれ近い関係を保持してきた労組、トロツキスト、共産党勢力の中では、白票がもっとも人気があるように見える。この選択肢は有権者に、少しの技術的努力をするよう要求する。
 ベネズエラでの投票は電子投票であることを忘れないようにしよう。それは、投票所に据えられた機械によって行われ、その装置はCNEに票を送ると共に、投票箱内に預けられる投票確認書を発行する。白票を得るための唯一の方法は、タッチスクリーン上で投票プロセスを始め、投票し、「白票」確認書を集めるために、合計で与えられた3分待つことだ。しかしこの機械は、この選択を表現するための選択肢を直接には与えていない。

残るは政治的存在守る闘争

 しかし選挙の選択肢以上に、マドゥロ政府に反対する左翼の集団的で統一的な組織という問題がある。諸政党、諸労組、諸社会運動、また他の多元的な場(シンクタンク、文献再調査、その他)間で分断されて、諸闘争の合流は選挙以前には難しいように見えた。その時さまざまな部分は、ボリバール革命の歴史に関するそれらの多様な立場を互いに批判していた。
 言葉の問題が中心的な戦略問題になりつつある。選挙後に向けて諸組織間の連携を建設しようとした全体集会で、日々の語彙から一定の言葉が落とされたことを見たのは驚きだった。われわれはもはや、「人民権力」あるいは「人民」についてではなく、むしろ「労働者」や「エリートの協定」について話している。それは、労組勢力や一定のトロツキスト諸派にとって、一種の勝利だ。かれらは、チャベス派の隊列に決して加わらなかったことを誇ることができる。
 この脈絡の中で、ある有名な活動家かつ暴力と民衆居住区の問題で活動している研究者は、以下のように私に語った。つまり「これからわれわれを結集することは選挙後の画期になるだろう。選挙に向かう前の僅か2、3日を使って、われわれはそれでも、協同組合を通してそれを機能させることで石油会社を取り戻すこと、あるいは私立診療所を国有化すること……について話し合うことができている。しかし選挙を経てわれわれは、われわれがわれわれの社会的権利や集団的権利を求めて闘う空間を確保することになるかどうか、あるいはわれわれが単に政治的に存在するために闘うことを迫られることになるかどうか、が分かるだろう」と。
 この見解は、民衆諸階級の居住権を擁護するある大きな組織の指導者のそれに近づいている。「ニコラは勝利できない。かれらは票を確保していない。そしてニコラが力ずくで選挙をつかむならば、われわれには、政治に取り組むわれわれの能力を守る以外の行動に残されたものは何ひとつないだろう」と。
 数々の対話と選挙以後の同じ主体からの政治的表現にしたがえば、かれらは、広まりつつあるのはこの選択肢、ということに同意しているように見える。

一方でチャベス派内には恐怖も


 選挙前夜、チャベス運動の歴史的拠点のカラカス西部にある民衆街区のコミュニティ指導者たちを訪問するために出かけた。かれらの立場は、私が1ヵ月前に話した人々とは変わっていた。かれらは、マキナリア・エレクトラル、換言すればチャベス運動の選挙動員組織、はその日を勝ち取ることができると確信していた。1ヵ月におよぶベネズエラ左翼のさまざまな部分との討論の後に、これはそのような言明を聞いた初めてのことだった。もっと驚くことに、ひとりのチャベス派活動家は私に「われわれが勝利しないとしても勝利しなければならない。危険が大きすぎる」と告げた。
 かれらの居住区でチャベス派活動家と知られたこれらの人々は、伝統的野党が勝利する時に起きる可能性のあることを恐れているのだ。確かに、カラカスの街頭とソーシャルネットワークを貫いてもう一つの表現が広まっている。「アホラ・バモス・コブラル」、つまり「われわれはかれらにわれわれの分担金を払わせるつもりだ」と。
 伝統的野党は今、かれらが新しい戦略と見ているものに言及しているように見える。それは、彼らにこの選挙の勝利の要求を可能にさせるはずのものであり、2013年にエンリケ・カプリレス・ラドンスキが反マドゥロとして行ったこととは異なっている。この時の選挙は、CNEの監査がマドゥロの勝利を確認したとはいえ、かれらが盗まれたと理解しているものだ。
 しかし、チャベス運動の歴史的な活動家には、それは違って聞こえている。つまり、「コブラル」は彼らが暮らしているところ、かれらの活動、かれら自身、また彼らの家族に対する物理的かつ肉体的攻撃にもっと似ていると思われている。多年の間ベネズエラで交渉に関与してきたある有名な研究者はこれらの怖れを理解している。「不幸なことに、もっとも急進的な伝統的野党の主張は、チャベス派を安心させず、それが最高位の交渉機関も含めて進歩の実現を妨げている」。

当日:革命的民主主義の終わり

 7月28日の選挙当日、カラカスと国のその他は静かだった。投票所が設けられた際不正行為がいくつか報じられたものの、ベネズエラ人は前夜から投票のために行列を作っていた。またそれは、チャベス運動が歴史的に主張してきた「選挙の祭り」でもなかった。選挙の日が常に強力な社会運動、市民の決起、家族の再会、友情と活動の日となってきた国で、今回すべてのことが非常に静かに、確かに静かすぎるように見える。
 選挙の技術的側面を監視するためにそれらの建物でNGOにより組織された非公開の会合を別として、結果と共に、あるいはそれを待ってその日を過ごした人々を見つけるのは難しかった。カラカス東部では、中間層上層の居住区では、棄権者が感じ取られるようになっている。つまり高齢世代は投票しているが、何年も海外で暮らしてきた若者たちは現れていない。この国の人口の3分の1に当たる7百万人以上が海外で暮らしているという形で、その中間世代が抜けているのは今や民衆の居住区なのだ。
 結果の公表は遅く現れた、非常に遅く。7月29日、それ自体例外ではないものの、ひとつの些細なことが疑いを投げかけている。投票所が閉じられた午後の終わり以来、さまざまな報告からわれわれは、結果はCNEに送られていなかったと、あるいは、同じ評議会に認められ、諸政党を代表する立会人が、各々の投票所で結果を記録している控えを得るのに諸困難に遭遇していたと理解している。それ以上のこととしてわれわれはさまざまな情報源から、ゴンサレスの代表者たちがCNEの得票一覧作成事務所に入るのを禁じられた、と理解した。この事務所は、全体の選挙結果が印刷され、評議会メンバーと諸政党の代表者によって確証されるところなのだ。
 深夜の後、CNE議長が、票の伝達システムに対するテロ攻撃を糾弾した後、マドゥロの勝利を発表した。この攻撃は克服され、かれらによれば投票所からの報告の80%を得た後、当局が結果を発表することを可能にした。ベネズエラではCNEだけが結果を公表する権利をもつ。これらは、結果がいわゆる逆転不可能な傾向、つまり届いていない結果が届いた後でも変化の可能性がない傾向、を示して始めて公表される。
 マドゥロとゴンザレス間のアモロソが公表した差は70万票だ。届いていない20%の票は2百万票以上に当たる。計算上逆転は依然可能だった。そして投票所からの諸々の証言は、またその後の民衆的決起は、多くのことを語っている。

民衆と市民の決起そして抑圧


 7月29日午前7時、カラカスは依然眠っていた。私は西から東にこの市を横切って、この首都が普段は夜明けと共に、5時半から6時に目覚めるのに、この街がどれほど閑散としているかを見て驚いた。2、3時間前私の友人でエコロジストでフェミニストの活動家は当惑していた。「これがあと6年は長すぎる! われわれが行えるようになるのは何だろうか?」と(注3)。
 彼女と彼女の母親には、過去にCNEで働いた経験があるのだが、遠くのテロ攻撃とされるものに対して説明できるものが何もなかった。彼女たちの知識によれば、それはあり得ない。しかしもっと重要と言えることは、中絶の権利が今も法で罰を受ける石油に富んだ国で、エコフェミニズムのために闘っているこの活動家が引き出した結論だ。
 つまり「今も私が信じていた唯一のことは選挙システムだった。しかしそれは今やアパゴネス(2019年に起きた広範な停電)の同類だ。当時すべてを奪いさったのは一匹のイグアナだった。そして今われわれには適切な説明が全くなく、かれらの言葉で受け取らなければならない結果しかない」と(注4)。
 午前7時にはすべてが静かだったとしても、2、3時間遅れてこの街は動き出した。そしてカラカスだけではなく国のそれ以外でも。民衆的反乱が街頭を吹きまくった。カセロラゾス(鍋たたき)は街頭の決起に変わった。
 これらの決起は政治諸組織を超えて、ベネズエラの分析では歴史的に中心にあった二分法的分割を超えて広がっている。その多くが疑いなくチャベス運動の支持者だった民衆諸階級の女と男が、街頭に繰り出し続け、彼らの票と民主主義の中で暮らすかれらの権利が尊重されることを要求していた。これらの決起はベネズエラの右翼や米帝国主義によって率いられてはいなかった。それらは多くの形でそれらを超えている。そして伝統的野党の指導者たちは、それらを方向付けるのは難しいと気づいている(注5)。
 同じことは、その対応があっという間に抑圧のひとつになったチャベス派政府にも当てはまる。僅か3日のうちに、千人以上が投獄された。すでに20人以上が死亡し、一定数の人々が失踪している。マドゥロは、そこで「かつての日々のように」強制労働と再教育が使われると思われる新たな高度治安刑務所の建設を公表した。そのようなことは、当時に戻れば、20世紀最後の軍事独裁、マルコス・ペレス・ジメネスのそれの時だった。そして彼は、現ベネズエラ大統領が彼の演説の中で思い出させたように、囚人を道路建設の労働に就かせた。マドゥロは「かれらを向かわせ道路を建設させよう」と語ったのだ。
 私の知り合いのひとりである研究者は今、その子どもがPLOの犠牲者であり、彼女の投票所での立会人だったひとりの女性を家にかくまっている(注6)。警察は立会人を求めて居住区を捜査し、かれらを刑務所に送っている。治安部隊とデモが始まった居住区の民兵組織による抑圧と支配に関する証言が数を増し続けている。われわれは、民衆的反乱とそれに対する容赦ない弾圧を今目撃中だ。

人々と左翼には国際的支援必要

 ベネズエラの政治的対立は今、さまざまな国際的プレーヤーによって調停されようとしている。ラテンアメリカの外交が中心にある。ブラジル、コロンビア、さらにメキシコのような左翼が統治している諸国はマドゥロ政府に、新聞発表の中で7月28日の票数の公的監査を求めた。ベネズエラ民衆に今のしかかっている抑圧や疑いや緊張からの主権ある出口を可能にする唯一の制度的ツールとしてだ。米国が直接選挙の勝者としてゴンサレスを認めたような、それによってもっと緊張を高めさえするようなアンソニー・ブリンケンの断定とは反対に、ラテンアメリカの外交は、紛争に巻き込まれている諸政党との対話の回路を維持するという、そしてこれらのプレーヤー間の交渉を築き上げようとする困難な仕事を行っている最中だ。
 国際的左翼はそれらの受け持ちを果たすことができる。わが同志たちと全体としてのベネズエラ民衆はわれわれの支援を必要としている。民主主義の尊重を求めることは、この情勢の中で前進の最良の方法だ。名前に値する政治的空間を今作り上げようとしているわが同志たちを含め、「何が起きたのかは誰もが知っている」。われわれはそれを、かれらがそのスポークスパーソンである民衆的闘争に負っている。   

▼筆者はフランスに暮らすベネズエラ人活動家で研究者。
(注1)実際の言葉通りではない。全体として、ベネズエラの政治状況が、インタビュアーとその相手両者の安全への配慮から会話の記録を妨げている。
(注2)これはマドゥロ政権が実行した治安計画だった。そしてそれは、いわゆる犯罪者捜査として居住区に介入するマスクで顔を隠した警察部隊の特別治安部隊(FAES)による軍事的介入の形態をとった。量と質の両者からなる現場調査は、これらのPLOには都会の民衆居住区の貧しい人々と若い黒人の数千人に上る死に責任があることを示している。
(注3)この記事は、あるフェミニスト組織から出された新聞発表をオウム返しにしている。そしてそれは、選挙後の抑圧が、女性に新しいケアの実行や方法を開発するよう強いて、暮らしをもっと困難にする可能性もある、と懸念している。
(注4)2019年の広範な停電の時、火事やサイバー攻撃を含んで、当局によりさまざまな説明が押し出された。これらが、発電所へのイグアナの作用といったもっとありそうにないものと並んで広められた。電力システムを攻撃するイグアナは、その行動を説明する点でのマドゥロ政権の破綻を批判するのに皮肉を込めて使われ、共通のイメージになった。
(注5)民衆諸階級内部で活動する異論派左翼と現場研究者は、伝統的野党がこれらの決起を戦略的に利用する手段を、7月29日にどれほどもっていなかったかを示している。諸々のデモは、ひとつの政治組織からのどのような呼びかけにも応じていなかった。デモ参加者の地理的出自や社会的出自は、それらの政治的印と同じく、伝統的野党支持者とは大きく異なっていた。
(注6)立会人は、選挙に参加する政党の代理としてCNEにより認定された人々であり、その各々の事務所で選挙プロセスを監視し、集計と結果の最終証明に参加する権利をもっている。これらの立会人は、投票機械から文書のコピーを得ることを期待されている。(「インターナショナルビューポイント」2024年8月9日)

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