中東 シオニストは全面的攻撃を策動

ジルベール・アシュカルへのインタビュー

イスラエルはレバノン攻撃に重点を移動中

 9月23日以来、レバノンへのイスラエル軍の空爆は千人以上の死、シリアへの10万人の避難、レバノンのおよそ5百万人になる人口中百万人の避難を生み出している。以下は、レバノン人活動家でロンドン大学教授のジルベール・アシュカルに対し、「ランティカピタリスト」紙が9月30日に行ったインタビュー。

大規模破壊が現実の脅威に


――レバノンでの9月半ばの攻撃がガザで昨年10月に始まった戦争の新たな連続を発動した、と恐れる十分な理由があるが。

 イスラエルが基本的にガザにおけるその破壊のもっとも激しい段階を完遂して以来、イスラエルは今、その北部国境の安全を確実にするために、対レバノンに、対ヒズボラに向きを変えようとしている。イスラエルはこれを、降伏し国境から撤退するか、全面戦争に向かうか、それ以外の選択肢をヒズボラに一切残さないことによって行おうとしている。
 イスラエルは、その指導者のハッサン・ナスララの暗殺を含んで、ヒズボラの処刑という形で今頂点に達した暴力の段階的なエスカレーションを始め、今は停戦の提案すべてを拒否している。その組織の公然とした降伏がありそうにないことで、人は、その組織に可能な最大の損害を加え、そのインフラを破壊することを狙った特別作戦としての地上部隊の介入を含む、連続的エスカレーションに心の準備をしなければならない。

――今日起きていることは、以前の対立、つまり2006年や1982年とはどれほど違っているのか?

 1982年、イスラエルは首都のベイルートにいたるまでレバノンの半分に侵攻した。そしてベイルートは9月にイスラエル軍により包囲された。しかし当初は共産主義者によって始められた抵抗が、極めて迅速にイスラエル軍を後退させ、イスラエル軍は2000年にそれを放棄せざるを得なくなるまで、自身を何年か(18年の占領)レバノン南部の一部に限定した。この点でイスラエルはある種の政治的敗北を喫した。この戦争は、1982年にベイルートから立ち退かざるを得なくなったPLOを相手としてイスラエル国に対し一定の成果を残したのと同程度で、イスラエルはレバノンで発展した抵抗に対しては、自身の脆さを示した。
 2006年、イスラエルは1982年の教訓を考慮に入れ、したがって永続的な占領を想定はしなかった。想定以上に犠牲のある猛烈な抵抗に遭遇するようなひとつの部隊の襲撃があった。その戦争もまた、ヒズボラが破壊されるどころか最後には、その武器庫を再建しそれを大きく拡大したために、もっと強力な形で現れたという意味で、イスラエルにとっては大敗北で終わった。
 イスラエル軍が2006年から学んだ教訓は、ガザやレバノンのような人口密集地に、特に都市地域に介入する場合は、危険を犯さず、突入以前にすべてを破壊することだった。そしてそれが、ガザの恐るべき破壊、さらに少数民族集団に対し仕掛けられた戦争のジェノサイド的性格、という結果になった。レバノンでかれらはまだその段階に行き着いていない。しかしかれらは開けっぴろげに、レバノンのいくつかの部分をもうひとつのガザに変える、と脅している。

ヒズボラの弱体化は政治力でも


――ナスララの死以後、ヒズボラが今日レバノンで代表しているのは何か?

 この組織は、ナスララの暗殺からだけではなく、その内部的通信ネットワークの解体、およびその軍事指導者数人の暗殺によっても大きく弱体化されている。この組織は本当に処刑を受けた。それは自身を再構成し、その武器庫を再建しようと図るだろう。とはいえイスラエルは、武器がイランからヒズボラに届く可能性のあるシリア内の輸送ルートを空爆することによって、これをますます難しくしつつある。
 政治的なレベルでも、この組織の相当な弱体化がある。ヒズボラは確かに、その社会的な基盤を保持し、その大きな部分は資金的にこの組織に依存している。しかし、レバノン住民内部には強い不満があり、それは、アサド体制を抱えるシリアへのヒズボラの介入で始まった。この介入は、レバノン内と地域内でヒズボラのイメージを大きく変えることになった。つまりその組織は、対イスラエルの戦いから、血に飢えた体制を防衛する戦いに移行した、と。ヒズボラは、何よりもイランのいわば外人部隊であると、かつて以上に見えることになった。
 今日、レバノン住民の大きな部分は、それがたとえ限定されたやり方だとしても、ガザとの連帯を名目に対イスラエル戦争にレバノンを巻き込んでいるとヒズボラを非難し、同じ「抵抗の枢軸」の一部と見られ、また確実にヒズボラよりもはるかに多くの手段をもっているシリアが、全く何も行っていないという事実を指摘している。
 同様に、同じ「枢軸」の指導者であるイランも、言葉以上のことはほとんど行っていない。イランは僅か一度だけ、この4月のダマスカスにおけるイラン人指導者数人の暗殺への報復として、その効果が無視できるものにするのを助ける予告付きで、イスラエルに対しミサイルとドローンを発射したのだ。
 したがってレバノンでは多くが今問いかけている。「この地域内でもっとも弱く小さな国のわれわれが、なぜイランに代わって諸々の結果に耐えなければならないのか」と。今日、このタイプの主張は非常に強くなっている。
 ヒズボラは今まで、それが一種の楯だと、イスラエルに対する安全の保証になっていると主張してきた。しかしこの主張は、イスラエルのその大きな軍事的、技術的、また情報工作的優越性の壮観な見せつけによって掘り崩されようとしている。

――確かに、破壊されたレバノンを見る……という危険がある。

 イスラエルは今特定的にヒズボラを標的にしているのだから、危険なのはむしろヒズボラが存在している地域のレバノン部分だ。イスラエルは、宗派的分裂を、むしろレバノン内でふたつのしかしまったく違った陣営としての連携に分裂しているシーア派それ自身内部の分裂を利用しようとしている。つまり、一方でのヒズボラ、そして他方のアマルだ。アマル運動はこれまで進行中の対イスラエルの戦闘に巻き込まれていず、ヒズボラのようにイランには依存していない。したがってイスラエルはこれを利用し、ヒズボラが支配している地域と領域を特定して標的にしている。今後レバノンのこの部分をガザ・マーク2に変えるという脅しが実行される、という非常な怖れがある。

反帝抵抗との連帯における要点


――現にある諸勢力の政治的構想をわれわれが分かち合っていない場合、われわれは反資本主義かつ反植民地主義に向けた連帯をどのように築けるのだろうか?

 連帯は常に、独立的にまた批判的に考えられなければならない。私から見て、「無条件的連帯」という観念は有益ではないように思える。人がその政治的な全体輪郭を分かち合っていないような勢力との連帯は、人は主な抑圧者の犠牲者に対し、この犠牲者が次には他の者に対し抑圧の状態になっているかもしれないということを忘れずに連帯を示さなければならない、という意味で常に批判的である必要がある。
 万が一明日イスラエルと米国による対イランの攻撃があれば、われわれはそれに対し帝国主義の侵攻として強力に決起しなければならないだろう。しかしながら、イラン政権を「無条件に」支持せずに、またその住民がこの機を捉えて蜂起するようなことがあれば、なおのことその住民に反してそれ支持したりせずに、ということだ。
 われわれは1990―1991年に同じようなやり方で、イラクに対する帝国主義の侵略に反対して決起しなければならなかったが、しかしながらサダム・フセイン体制を支持せず、その機に蜂起した国の南部と北部の住民に対する体制の流血の抑圧にはなおのことだった。われわれは、これらのどちらのわなにも落ちてはならないのだ。
 左翼の側には、イランのムラー体制にへつらう信仰に凝り固まった原理主義組織としてのヒズボラの性格を名目に、時としてイスラエルへの支持に隣接しさえするような、中立の姿勢を採用するようになっている人々がいる。これには強く反対しなければならない。つまりわれわれは、イスラエルの侵略に、植民地主義で抑圧的また略奪的な国家の侵略に反対して決起することに決して躊躇してはならない。他の側の支配的な政治指導部が何であれ、植民地主義的侵略者への抵抗は正しいのだ。
 しかしわれわれは、ヒズボラやハマス――あるいは、もっと悪いと言えるような、タリバンと同等な組織のイエメンのフーシ派――を進歩的な闘士にするような別のワナに落ちてもならない。これらは、社会的かつ文化的なレベルで、完全に反動的で、シリアやイランの体制に似た残忍な独裁といってよい勢力なのだ。(2024年9月30日、「ランティカピタリスト」よりIVが訳出)(「インターナショナルビューポイント」2024年10月2日)  

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