ベネズエラ 親マドゥロ左翼の大きな過ち(上)

労働者と民衆が無視されている

アナ・C・カルバルハエス/ルイス・ボニラ

マドゥロ支持が何よりも優先?

 ベネズエラの諸々の選挙――1988年のチャベスの勝利以来数十回あった――でこの25年に起きてきたこととは異なって今回、7月28日の大統領選投票後、「進歩主義」の支持者の全機関を含む広範なラテンアメリカ左翼は底辺から頂点まで分裂した。
 知識人で一杯のもっと小さいが今も数多い部分は、サンパウロ・フォーラム(注1)の主張をオウム返しにしている。それによれば、ベネズエラとこの地域を米帝国主義から救い出すためには、どんな犠牲を払ってもニコラ・マドゥロの政府を支持することが必要だ。もちろんここには、以前の時とは異なり、結局のところマドゥロはこれまで彼の勝利を証明するのを拒否してきたのだから、彼が選挙で勝利していなかったかもしれないという可能性が含まれている。
 先の論理に従えば、マルクス主義よりも古典的な地政学にもっと基礎を置いて、ベネズエラの権力(とその石油)を「右翼」に「渡さない」ことを目的にあらゆることが正当化され、実際にも必要になる。この地政学的論理に従えば、ニコラ・マドゥロがこの選挙に勝ったか負けたかという事実は、野党候補者のエドムンド・ゴンサレスに体現された米帝国主義が大統領官邸を占めるのを、またそれによってPDVSA(ベネズエラ石油)の国家所有を危険にさらすのを阻止するという、「進歩的民族主義」の要請との関係では二次的になる。ちなみにこの会社は、地球上で最大の原油と天然ガス埋蔵のひとつを所有している。
 これらのネオマドゥロ主義者からなるもうひとつの部分は、本当のことだが、世界とこの地域における極右の前進を背景に、左翼と見られたマドゥロの敗北を認めることが招くと思われる悲劇に、石油によりももっと焦点を当てている。
 しかしながら両グループの場合、マドゥロを守る以外の選択肢が全くない――ベネズエラ内紛争の両側間の交渉すらない――。この交渉はたとえばルーラとグスタボ・ペトロが提案しているが、おそらくその目標は二政党間の権力分割の合意であり、そこには民主的な諸権利とPDVSAの一体性の保障が含まれている。

言葉よりも行動の直視が必要


 ひとつの注意点として、右翼と左翼の分割線は何だろうか――言葉か行動か――?
 マドゥロは確かに、多くの左翼の言語を使うレトリックの一形態を維持している。彼は、この政権は反帝国主義で社会主義をめざすある種の「軍―警察―人民」の連合、と語る。彼は、彼がこれまでに行ったことすべてがボリバリアン運動の進歩の年月における遺産と達成成果を巻き戻すことである場合、彼自身をチャベスの後継者として国内的にも国際的にも正統な者にすることを必要としている。
 しかし外見の先で事実は、2013年以後の彼の政策が、この国の新たな事業界部門の富裕化を励まし、ボナパルトのように、新旧のベネズエラブルジョアジーのさまざまな分派(ヤンキー極右にもっとも密接につながっている者を例外として、そしてそれは、マリア・コリナ・マチャド、そしてエドムンド・ゴンサレスになる)間で、政府内にとどまる目的で交渉することになってきた、ということだ。
 マドゥロは、あからさまに権威主義の道をとりつつ、常に実業界部門を、特に石油産業の請負人や諸々のサービスを厚遇してきた。そしてその利益は新しいブルジョアジーを育て、またその多くは彼の武装部隊や警察の上級階層へと配られてきた(それゆえ先の連合になる)。
 2023年のPDVSAに関わる大腐敗事件では、関与した100人の雑多な人々から800台以上の高級車が押収された。そしてそれは、政権指導者内部における道義的後退を象徴していた(注2)。
 彼は、西側帝国主義のベネズエラに対する制裁の激しい炎――トランプ後のオバマ政権によって始まり、バイデンによってより柔軟化されている――の下でも、世界化された金融システムとその国内支持者たちに立ち向かうような何らかの方策を採用したことが全くない。彼は、私企業と金利生活者に外貨の売却を保障するために、次第にやせ細っていた国家財源の相当な部分を私立銀行に割り当ててきた。そしてそれは、富裕層に補助金を出し、かれらを優遇するための政策に成り果てている。
 同時に(2018年の指令2792以後)彼の政府は、諸企業の内部的行為を問題にする、あるいは単に医療保険や賃金支払いを求める、そうした労組指導者を迫害し刑務所に送りつつ、ストライキ、要求の提出、労働者階級が決起する権利、親労組の組織化や合法化、を禁じた。
 これが、ベネズエラ内最大のプロレタリアート集積地であるシドル(ベネズエラ最大の鉄鋼複合企業体:訳者)における場合だった。つまり、2023年の6月から7月における賃金と手当を求めた決起の後、かれらは激しい弾圧の犠牲者になったのだ。労組の代表だったレオナルド・アソカルとダニエル・ロメロはそれからずっと刑務所に収容されてきた。
 マドゥロと彼の取り巻きの反帝国主義は、シェブロンや他の大手外国企業を通して米国が必要とする原油を彼が今送ることを止めていない。そしてそれは、それらの企業がベネズエラに税や採掘権使用量を払うのを禁じつつ、米国財務省がそれらの企業がベネズエラの黒い金の採掘を認可している、という全体構図の中で起きている(注3)。これらの新植民地主義的条件の受容は、マドゥロの反帝国主義に内包された諸限界を示している。
 ベネズエラに対する制裁は、バイデン下でより柔軟になっている(ウクライナでの戦争が理由の圧力を前に)。しかしマドゥロは、基本的に勤労民衆に影響する構造調整によって前進する口実として、すべては制裁の責任という議論を維持し続けている。しかしベネズエラ内部の政治用語の中で、米国の制裁(実体的で具体的かつ忌々しいが)に関する議論は、この国を今支配している者たちのこれ見よがしの贅沢なライフスタイルを前に、その有効性を失ってしまっている。

労働者階級の現実の分析を


 左翼的分析の基礎としてベネズエラ労働者階級の状況を分析することは、「石油の地政学」を求める流儀で置き換えられてきた。この二項対立的地政学は、ベネズエラ国家と帝国主義間の矛盾(現実には疑いなくひとつの重要な矛盾)を見るにすぎない。
 しかしそれには、多様な矛盾というひとつの筋道の中で、労働者階級の物質的かつ政治的状況、かれらの熱望と選択肢を考慮に入れるような十分な弁証法がない。先の思考は、あたかもこれが付随的な問題、あるいは二次的な矛盾であるかのようだ。
 マドゥロ支持者の呪文、つまり階級分析に対するかれらの脱落を正当化するそれは、ただ左翼のレトリックに基づいてのみ、ベネズエラが右翼の体系的な経済的処方箋を適用している政権をもっているという事実を無視し、右翼の権力到達を阻止するための必要になっている。
 労働者の恐るべき物質的状況を理解するには、教員や大学教授の中で、またシドルやPDVSAで労働者自身に(労組連合のCRSTの親経営者官僚にではなく)話しかけるだけで十分だろう。この状況の中でかれらは、かれらの組織や決起や闘争を求める何十年の中で最悪の民主的自由の欠落という真ん中で生きている(最低賃金が月4ドル、平均俸給が月130ドル、その80%がボーナスから構成)のだ。
 進歩主義の新たな地政学派は、7月28日の選挙の問題を道の逆側からのみ、国際主流メディア(CNN、CBS、その他)の課題設定の上に置こうとしている。かれらは、マドゥロの反労働者かつ反民衆の諸政策が何であったかを分析することなく、マドゥロは労働者階級に等しいという偽の公理に基づいて、マリア・コリナ・マチャドやエドムンド・ゴンサレスの利益ではなく、マドゥロと新ブルジョアジーの利益を今守っている。
 かれらはかれらの情勢分析を選挙結果に限定することで「合法性の物神崇拝」というワナに落ち込んでいるが、しかしかれらはその上、階級的基準がない形でもそれを行っている。問題は、マドゥロとCNE(全国選挙評議会)が7月28日の選挙で大統領に勝利を与えるために算術計算をどのように行ったかをまだ示していないということだけではなく、この情勢が労働者階級が活動し生き抜いている具体的な民主的自由の構造にどれほど悪影響を与えているか、でもあるのだ。
 登録された候補者がブルジョワ的綱領の異なった細かな違いを代表する全国選挙で透明性と正統性がないとすれば、その労働に対する資本の攻撃と対決して自らを守るために労働者階級が必要とする最低限の民主的自由(まともな賃金への権利、ストライキの権利、団結の権利、決起し、意見を表明し、政党として組織化する自由)を回復させることについて、考えることは難しい。
 労働者階級は基本的に、被搾取階級としての自らを表現するために必要な自由を、短期的には、7月28日後の情勢がどのように可能とするか、あるいは制限するか、これに関心をもっている。しかしこの矛盾は、新たな進歩派地政学の議論と論理には入っていない。

疑いを招くような怠慢と沈黙


 これらの「進歩派」は、労働組合および労働者と民衆の政治的組織化に対する抑圧を懸念していない(注4)。また、マドゥロが国の最新選挙にPSUV(マドゥロの党であるベネズエラ統一社会党:訳者)のあらゆる左翼部分が参加することを阻止したことも気にかけていない。これは、民衆選挙運動(MEP)、全政党にとっての祖国(PPT)、ツパマロス、さらにベネズエラ共産党(PCV)自身の指導部に、それに干渉する目的で、浸透し、かれらを攻撃し、裁判にかけるという代償を払ってまで行われた(注5)。
 マドゥロの支持者たちは、7月28日の後、政府がもはや中産階級に対してではなく、基本的に労働者階級に対し抑圧を強化し、再教育を主張して2500人の若者を刑務所に送っていることに、触れることができない。ちなみにその再教育は、かれらを腹立たしいような公開の洗脳儀式に従わせることを意味している。
 かれらは、抗議活動で、あるいはソーシャルメディア上で抗議を扇動して逮捕された者を対象とした、2ヵ所の最高度警備刑務所の建設に沈黙を守っている。かれらは、数人の野党政治家の投獄を、またテレビ上での他の者たちに行われた直接の脅迫を無視している。その脅迫はたとえば、元カラカス市長のフアン・バレット、あるいは文化相の兄弟であるウラジーミル・ビジェガスに対し、「ハンマー」大臣のディオスダド・カベッロによって行われた(注6)。
 公的な人物に対する脅しがこのようなものだとすれば、メディアに登場する人物ではない普通の人々の場合にはもっと悪い。最近われわれは、活動家を脅すための私服治安部隊の配置――カラカスのLGBTQIコミュニティ指導者のコディ・カムポスとレアンドロ・ビロリアに対し8月10日に起きたような――を見てきた。われわれはその後の日々、カラカスの伝統的なチャベス派の拠点でも同じようなことを見た。そこでは活動家の家が、デモの可能性に関しかれらを恐れさせるために、政府の公職者によって「ダビデのX」の印をつけられた。
 地政学派左翼は、7月28日後の死者数(人権諸組織と社会運動の見積もりによれば、約25人)に沈黙し、死者は右翼だけだった、との物語を広めている。これは真実でないだけではなく、この地域のポスト独裁期に達成された人権の諸成果における退歩の1歩にもなっている。
 地政学派の進歩主義は、もはや存在していず、マドゥロの転換と反労働者諸政策によって消し去られた人民政府という蜃気楼を複製している。かれらは、ベネズエラの労働者階級に次のように求めているように見える。つまり、かれらが自分の国では建設できないユートピアを遠方から育てることができるように、マドゥロが許容する枠内でのみ、かれらの権利のために闘え、と。
 この進歩主義は、右翼候補者の高まる一方の人気はあり得るあらゆる左翼のオルタナティブに対する禁止が生み出してきた結果、ということを理解していない。マチャド・ゴンザレスの選挙での成功は大いに、マドゥロと彼の支持者による失策の結果だったのだ。
(つづく)

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