ベネズエラ 親マドゥロ左翼の大きな過ち(下)

民主主義を求める闘いは不可欠

PSUV内外の左翼の抵抗に国際的支援を

アナ・C・カルバルハエス/ルイス・ボニラ

石油は民衆を救っていない?

 上述の深刻な事実すべては、マドゥロの「勝利」支持者によって、ベネズエラ政府内に再び「さもしい」右翼を抱える危険を前にした時、二次的な「民主主義の形式的」些末とみなされている。この論法は、この国の現実に対する基本的観察を欠いていると同じく階級的基準も欠いている。
 2022年11月以後ウクライナでの戦争の一部として、米国財務長官はベネズエラ原油の採掘と輸出をシェブロンに認可した。条件は、ベネズエラ政府にはいかなる税も採掘権使用料も払わない、というものであり、それは、チャベス以前の政府においても知られていなかったような新植民地主義的条件であり、それがマドゥロによって受け容れられたのだ。
 その時以来ベネズエラは再度北米向けの安定した原油供給者になっている。これが、バイデンの微妙なバランスをとる行動、及びルーラ、ペトロ、AMLOの進歩派トリオ(AMLOは先週そこから引き下がった)の努力を米国が長期に待機していることを説明する。
 米国の対ベネズエラ禁輸について話す場合慎重さが必要だ。確かに禁輸に次ぐ禁輸がある。食糧、医薬品、また人々を運ぶバスや自動車の交換部品に悪影響を与えてきた制裁は、4百万人から5百万人の労働者の国外脱出に決定的に力を貸してきた。しかしベネズエラは、先の「石油解放」からの新たな歳入が民衆の生活水準を全く改善することなく、英国やナイジェリアのような国をしのいで、米国に対する世界6位の原油供給国になることができてきたのだ。
 ベネズエラで決定的なことは、どの支配階級――昔からの部分か、あるいは「さもしい」オリガルヒのブルジョアジーか、あるいはマドゥロの下で豊かになった「ボリバリアン」軍部に結びついた新たな実業界部分か――が石油事業を支配するのか、だ。それゆえそれは、原油歳入のもっとも大きな分け前を得る者に関する紛争になる。
 かれらのあらゆる者が、西側資本主義大国への地政学的原油供給を保証し、民衆への原油所得の配分を一層制限するだろう。理由は、これが資本家、ブルジョアジー部分の本性だからであり、石油輸出の単一採掘主義国家の本性が、ボリバリアン運動によっては触れられてこなかったからだ。またマドゥロが、彼のレトリックがあろうとも、社会主義者でも反帝国主義者でもないからだ。
 マドゥロがある種の綱領をもっていると、またベネズエラが生産できる原油を再び世界市場に戻すという帝国主義者の計画に立ち向かう十分な勇気を持っていると想像するのは、純朴かつ間違った情報に基づいている。マドゥロが今擁護しているという主権なるものを名目に、不満な労働者と民衆を敵視する体制の権威主義の高まる傾向を無視するのは巨大な過ちだ。
 言われなければならないことだが、ベネズエラの救いは現実にはその歴史的な災いの種であるもの、つまりその原油の富からやって来るだろうと、地政学的マドゥロ派が信じ続けているのは悲劇でもある。それは、偉大なブラジル人開発主義者のセルソ・フルタド(20世紀を通じてブラジルでもっとも著名な知識人:訳者)さえも、社会主義者でもエコロジストでもないながら、1950年代に彼が生きた国にとって大きな問題とすでに指摘したものなのだ。

希望は「話し合い解決」だが


 はっきりしているが、すでにチャベスによって数回、またマドゥロによって一度は投票箱で打ち破られ、今やその頭目にもっとも過激な翼であるオリガルヒのマリア・コリナ・マチャドを抱えている、そのような右翼野党が獲得している強さはひとつの悲劇だ。もっと大きいとも言える悲劇は、この極右が今回の選挙で勝っていた、あるいは勝利に極めて近づいていたかもしれない――マドゥロによる結果公表への拒絶、そして民衆へのまさに苛烈な抑圧に対して他の理由は皆無――という事実だ。
 平和的な解決が難しい、そしてこの野党への単純な政権引き渡しは呑み込むのが困難というまさにその理由のため、両側がベネズエラをそれで脅している「血の海」を避ける道は、ブラジルとコロンビアの政府が示している道なのかもしれない。つまり、結果の公表、両側間の、何よりもまずマドゥロ自身との交渉だ(諸政府のグループは、野党との話し合い、および部分的に提示された結果の見直しを拒否してきた)。
 保証されるべき最低限の民主的自由、政治犯の解放、抑圧の停止、幅広い労組と政党の政治的自由を期待することはあり得るが、PDVSA(ベネズエラ石油)を保護する条項を交渉することもあり得る。
 当座、コロンビアとブラジルが提案した交渉による解決――チリの支持を得ているが、もちろん、独裁者のダニエル・オルテガは否認している――を支持することが、それがはるかにより分別があり、よりタイムリーで、この国の労働者と民衆にははるかにより有利であるがゆえ正しい政策だ。
 この政策は、若者、労組活動家、そして左翼的政敵を抑圧している一層権威主義的になっている体制とぶつかり、またこの政権の不正常さと恣意性を単純に是認するよりも、純朴さと官僚的な偏見がより小さい。一方それは、極右はPDVSAを勝手に分割してはならない、また僅かでも残っている社会的成果をずたずたにしてはならない、と主張するのを可能にする。他方それは、マドゥロと彼の官僚・ブルジョアジー的軍部の取り巻きは何をおいてもベネズエラの主権を保証するだろう、などとの思い違いの前提から出発するのではない。

国家主権と民衆主権は別もの


 第三世界主義やスターリニストに影響された左翼のようなラテンアメリカの進歩主義は、ふたつの異なる意味、つまり国家主権と民衆主権、を混同して主権という用語を使っている。もちろん、国家主権は通常民衆主権の完全な行使のための一条件だ。問題は、非常に異なった体制(及び諸潮流の見解)が、進歩派と反動派の双方とも、世界市場や帝国主義の圧力を前に国家主権の防衛を武器にすることだ。
 国家主権は、20世紀の反植民地運動や民族独立運動、また民族開発主義ポピュリズムでは中心にあった。しかしそれはまた、軍事独裁(1960年代と1970年代におけるラテンアメリカのそれのような)、神権独裁(たとえばイラン)、国家官僚制、さらにモディやトランプとの関係でわれわれが見ているような極右政権の心臓部にも置かれてきた。
 確かに、国家主権の防衛は、また帝国主義との衝突でさえも、非常に後退的な体制の下で実行される可能性はある。
 われわれにとって国家主権の防衛は、民衆主権の防衛、世界を組織しているグローバル資本主義と帝国主義に対するオルタナティブを建設できるような、諸大衆の民主的な自己組織化、労働者階級の歴史的なブロックを強化する自由と諸権利の獲得、これらとの関連の中で意味をもっている。
 同じ形で、20世紀のスターリニストの経験を受けて、われわれは民衆を、かれらの政治指導者と機械的に同一視してはならない。その政治指導者は、常に動いている関係の中で、民衆を代表する場合も代表しない場合もあるのだ。
 この関係が壊れる――ベネズエラでそれはそうなった、あるいはそうなりかかっている――時、民主的自由は、民衆の、そしてついでながら国家の主権双方を求めるあらゆる闘争で、基礎の一要素になる。したがって、民衆主権の回復がなければ、その領土とその富に対しベネズエラの主権を保証する勢力も存在しないだろう。

民主主義の軽視は重大な過ち


 ブルジョア民主主義体制は、われわれ社会主義者が熱望する体制ではない。われわれは、革命的な攻勢の歩みの中で、草の根の民主的な諸組織、直接民主主義、民衆権力の建設――労働者と民衆諸層によって行使されるような、民主主義の新たなもっと決定的な形態の萌芽として――を夢見、そのために闘う。しかし、形式的な民主主義は、われわれが選挙に気を使わないほどの、あるいはその結果のごまかしを気にかけないほどの、卑しむべきものだろうか?
 極右諸勢力の布陣によってますます脅かされているひとつの世界の中で、一定の長期間、闘いは、極右の猛襲に対決して自由と民主的諸権利を防衛するものとして、またブルジョア民主主義体制の諸制度をも防衛するものとしてあり、またそうなるだろう――すでにわれわれが、トランプ、ボルソナロ、エルドアン、オルバン、その他との関係で経験してきたように――。
 極右に対する闘いが決定的になっている(それらのますます多くの)国々の、また世界の労働者や民衆に向け選挙操作を是認する点にまで民主主義を見下すような左翼を、先の情勢はどこに置き去りにするのだろうか?
 自らを左翼と称し、その上で抑圧的な体制を是認する者たちは、戦略的な観点から見て、新たな反資本主義的ユートピアの政治的、理論的、また実践的建設という不可欠なプロセス――若者、女性、そして労働者階級の広範な層を再度奮い立たせることのできる――に対しても、極めて悪質な仕事を行っている。新しい大衆的な反資本主義左翼は、民主的であり、独立し、権威主義的「モデル」に立ち向かわなければならない。そうでないとすればそれは全く何ものにもならないだろう。
 しかしながら、ラテンアメリカと世界のあらゆる社会主義活動家とその組織にとっては、他の何よりも重要にならなければならないひとつの問題がなおもある。つまり、労働者、民衆の期待と見解の点で、われわれはどう見えているか、またベネズエラの非官僚的左翼の中で何が残っているか、ということだ。
 今日断片化し、迫害を受け、何人かは刑務所にいる、多くは政府の抑圧に反対して全面的な活動の中にいる、PSUV(ベネズエラ統一社会党)の左にあるそれらの部分すべて、またPSUVそれ自身内部の密かに批判的な部分は、それらの運命のままに捨て去られるのだろうか?
 われわれにとっては、かれらの闘争を支援し、抵抗へのかれらの結束を励まし、生き延びと息継ぎのために彼らを助けることは、優先的な国際主義者の任務だ。かれらを考慮に入れないような他のすべてのことは、地政学であるかもしれないが、しかしそれは国際主義ではない。
 結局、主権あるベネズエラの、より良い暮らしと労働条件の、再組織化と民衆権力の中期的な唯一の戦略的保証は、ボリバリアン運動の墓掘り人の手中にではなく、同運動の黄金期の主導者だった社会的勢力と政治的勢力の手中にある。(2024年8月18日)
(了)

▼ジャーナリストで連邦公務員のアナ・C・カルバルハエスは、PSOLの創立メンバーで、第4インターナショナル執行ビューローの一員。
▼ルイス・ボニラは、ベネズエラ大学講師で批判的教育者、かつベネズエラ比較教育学会代表。
(注1)1990年にブラジルのPTによって創立された左翼諸政党の幅広い連合で、今日100以上の組織から構成され、キューバ共産党、ニカラグアのオルテガの党、ボリビアのエボ・モラレスと彼のMAS党を含んでいる。ウルグアイの拡大戦線は1年以上マドゥロから距離をとってきた。現在、ルラ、ペトロ、ロペス・オブラドールはこのブロックを最終的に割ったが、後者は問題の交渉から離れている。
(注2)PDVSAの資金からの150億ドルと見積もられた額の横領は、この企業のトップで元石油相のタレック・エル・アイサミの退陣に導いた。
(注3)これらはいわゆる許可状44で定められた条件。バイデン政権はそれに基づいて2023年10月、米国と外国の私企業へのベネズエラ原油の合法的な売却をあらためて許可した。
(注4)団体交渉とストライキ権を奪っている2018年の指令2792、公務被雇用者、教育や公衆衛生や他の部門の労働者の重要な部分が獲得した権利を軽視するONAPRE指令は、民族資本の幅広い部分とその政治的代表との合意の中で前進するための、抑制及び新旧ブルジョアジー間の合致の表示からなる当然の方策の一部だ。
(注5)ベネズエラ共産党は、2023年8月に立候補に乗り出すことを妨げるような干渉を受けた。
(注6)ディオスダド・カベッロは、彼が異論を示す者を裏切り者として糾弾し、巨大なハンマーで処刑するTV番組を上演している。しかしこれは、ラテンアメリカの空想的リアリズムの話ではない。(「インターナショナルビューポイント」2024年8月20日)

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