ミャンマー/インド ミャンマーの選挙
インド北東部にあふれ出す緊張
ミャンマー軍事独裁の正統化は周辺をも危険に
サスホヴァン・デハール
軍事独裁の目論みの新局面
この選挙は、国境をこえてその権威を安定化しつつ、本国での抑圧を正統化しようとの軍事独裁のもくろみにおける新たな局面を印している。
1月25日は3回に分けられたミャンマーの総選挙の最終回になる。それでもそれは、民主的な競争にはほとんど似ていない。残忍な内戦の真ん中で行われたこのプロセスは、大きく事前に決定された結果を伴って進んだ。軍が後押しした「連邦団結発展党」(USDP)が争われた議席の大半を確保し終え、非選出の軍の指名者にとっておかれた議席の25%と組み合わされたとき、2021年2月に権力をつかんだ将軍たちは、立法府への有効な支配を保証されている。換言すればこの選挙は、ミャンマーの政治的危機を解決せず、憲法という外見の枠内で軍の支配を成文化するのだ。
選挙は、文民支配への回帰とはかけ離れ、国境をこえてその権威を安定化しつつ、本国での抑圧を正式化しようとの軍事独裁のもくろみにおける新たな局面を印している。
外面だけの正統性でっち上げ
現在の選挙に関する特徴の明確化は今十分になっている。つまり、2020年に圧倒的に権限付与を保証された諸政党の解散、投票過程からの町全体の大衆排除、徴兵、投獄、また暮らしへの打撃という脅迫を通した強制動員、さらに、空爆、軍事衝突、軍の占拠、こうしたことのど真ん中で行われた投票、といったことだ。
体制は参加を空洞化し、投票率を急低下させることで結果を事前に決めていた。行われつつあることは権力をめぐる競争ではなく、秩序の演出だ。そのような条件下で、選挙は権威主義支配を強化している。それらは、暴力が法の執行として組み直されることを、異論が反憲法活動として犯罪にされることを、抵抗が「選挙を受けた」国家に対するテロ行為にされることを許す。この移行は、強制から同意へではなく、非常事態の支配から合法化された抑圧へ、というものだ。
国内の危機を解決することなく選挙を行うことで、ミャンマー軍事独裁政権は、国よりもむしろそれ自身の安定化を追求している。軍事独裁支配を超える大きな領域という形で、領土の断片化はそっくりそのまま残っている。武装抵抗は消えていない。多くの地域では、選挙が正統性の溝に橋を架けることはなく、それを露わにしている。そしてそのような溝とぶつかっている権威主義体制が和解に向かうことはほとんどない――かれらがエスカレートさせている――。
そのようなふるまいには、ミャンマー国境内部に閉じ込めることができないような諸結果が伴っている。抑圧の普通化と戦争の長期化は、不安定性を排除することに代えてそれを広げている。国境地域は、紛争が外に向け移される領域になり、そこでは、人道的危機、軍事化、また政治的例外主義が蓄積する。ミャンマーの見せかけ選挙の地域的結末がくっきりと焦点に入るのはここだ。
北東部:あふれ出しの最先端
インド北東部にとって、ミャンマーの選挙は民主的基準に関する抽象的な問題ではなく、次の扉を開きつつある関連する政治的展開だ。ミャンマーの紛争でもっとも影響を受けた地域――ザカイン州、チン州、カチン州、また北部のシャン州――は、ミゾラム州、マニプール州、ナガランド州、そしてアルナチャル・プラデーシュ州に接している。この境界をまたぐ内戦の継続は北東部を、結末が関わる隣接した舞台へと変えている。
ミゾラムでは、暴力と抑圧を逃れたチンの難民の着実な存在の形でもっとも可視的になっている。コミュニティのネットワークと教会を基礎とした連帯によってほとんどが保護されたこれらの難民の前にあるのは、もはや一時的な緊急避難ではない。軍事独裁の選挙戦略は帰還の可能性を排除している。抑圧はもはやエピソードではない。それは制度化されている。それでもインド国家は、難民の認知を否認し続け、国民の法的枠組みを拒絶し、国境の諸州を、その場限りの手段を通じて永続的な人道状況を管理させるままに置いている。
州レベルの助けと中央政府の軍事化間の矛盾は深刻化する気配にある。マニプールは、ミャンマーの内戦とインドの国内的な諸々の亀裂が交叉するところに位置し、相当な危険を提起している。国境をまたいで暮らしている民族グループの存在と州自身の未解決の政治的対立がすでに激化している情勢を悪化させている。深刻な国内の暴力と政治的機能不全化という脈絡の中で、ヒンドゥートヴァ(ヒンズー至上主義)で曲げられた安全保障の物語りと国力の等値が容易に外部の不安定性を道具化する。支配的な物語は、国境をまたぐ移動を浸透として作り直し、難民に安全保障の脅威とのレッテルを貼る。民族的親戚関係は、外国の介入として定義を変えられる。この取り組み方は、軍国主義、例外諸法、市民の空間の腐食を育てるような、疑いの政治をあらためて作り上げる。
「自由移動体制」解体への利用
インド・ミャンマー国境に沿ったフェンス建設の加速、自由移動体制の停止、市民権の不安の再現は、しばしば安全保障の懸念に対する別々の対応として提起されている。現実には、ミャンマー内の内戦の普通化が、統治の統一された枠組みに向けた理論的根拠を提供している。
選挙の正統性に関する軍事独裁体制の断言は、この移行に向けた政治的合法性の化粧板を提供する。つまり、暴力的な隣国は、もはや破綻国家とは描かれず、それに対し国境が安全に保障され、住民が類別され、移動が規制されるべき主権をもつ権威と描かれる。
「自由移動体制」の解体は国境の社会的で歴史的な現実との決定的な断絶を印している。何世紀もの間、ナガ、クキ・チン・ゾミと他のコミュニティの中の国境をまたぐ移動が毎日の暮らしの基盤として機能してきた。その停止は、歴史的で文化的な継続性を非合法として作り直す。移動は容疑になり、親戚関係は安全保障の危険になっている。この脈絡の中で、ミャンマー内の抑圧を逃れる難民は、特に民族的対立によって亀裂を入れられている諸州内で、浸透との言語内に混ぜ合わされている。
これらの懸念は、それだけで存在しているわけではない。それらは、その論理が文書による証明、官僚主義的列挙、また排除に依拠している市民権問題――もっとも目立つのはNRC(国民登録簿)――と交叉している。NRCが公式に実施されていないところでさえ、その影が大きく不気味に迫っている。その効果は先制的な追従だ。つまり諸々のコミュニティは、非合法な外国人あるいは犠牲にされるとの怖れを内面化するのだ。こうして国境は、単なる防衛線であることを止める。それは、自身の所属を再整理するための装置になるのだ。
軍事化された統治への圧力
これらの条件下で、軍事化は例外的であることを止め、本来的権限でのひとつの統治様式になる。安全保障諸部隊は、単に境界を強く主張するだけではない。それらは移動、暮らし、また政治的表現を規制している。例外的諸方策――検問所、監視、武装パトロール、非常法令――が慣例化されている。外部の脅威に対する保護と描かれているものは、本質的に国内的な訓練に役立っている。
これは、北東部諸州に対し底深い結末になっている。この地域は、政治的な調停や民主的な交渉を通して統治はされず、ある種永久的な安全保障のレンズを通じて統治される。開発は支配の、市民権は証明の、平和は扱いやすさの下位に置かれる。連結性の語り方は静かに緩衝圏で置き換えられ、そこでは、安定性が公正さや同意によってではなく、単に見ることのできる混乱がないことによって定義される。
国境を越えて広がる抑圧
この意味で、ミャンマーの見せかけ選挙はこの国境内部の抑圧を正当化するだけではない。それは、インドの北東部内の政治的秩序を厳重に守る助けになっているのだ。そしてそこでは強制が政治の代わりに用いられている。軍事化は、それが対立を解決するからではなく、対立を行政的に統治できるものにするがゆえに、支配の怠慢な文法になる。ミャンマーの見せかけ選挙とその抑圧的な結果には、持続的な難民の流入、より深い軍事化、そしてインド北東部での民族的分極化の引き金を引く潜在力がある。
こうした軌道で目立っていることは、インド国家のひっそりとした役割だ。ニューデリーは、ミャンマーの選挙を不可避と扱いつつ、また政治的距離よりも安全保障を優先しつつ、その結果に対する中立的オブザーバーとして行動するよりも、むしろ権威主義支配の正規化に精力的に参加している。国境へのフェンス設置、難民否認、移動体制への不審視は、単なる防衛的対応ではない。それらは、インドの国境統治を支配に関する軍事独裁体制の論理にそろえるような、政治的選択なのだ。インド国家はそうすることで、ミャンマーの国内抑圧を、監視、排除、管理された不安定を軸に構築される、ひとつの地域秩序に移し換える助けをしている。
これをひとつの外交政策問題とのみ分析することは重要な点を見落とす。北東部はミャンマーの危機の単なる近所ではない。それは構造的にその危機にさらされているのだ。権威主義的選挙は戦争を終わらせない――かれらはそれを認めている――、そしてその成り行きは抑圧だけでは封印できない国境を越えて、外部へと移動する。(2026年1月23日、「ノースイースト・ナウ」より)
▼筆者は、活動家、労組活動家、またインドでの第4インターナショナル支持者。(「インターナショナルビューポイント」2026年2月5日)
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