中国 粛清と体制危機

習近平の前には数々の困難が
中国共産党中央軍事委員会の破壊が映すものは?

ピエール・ルッセ

 1月24日、張又侠将軍の解任が公式に公表された。これは、中国軍の参謀部内部で起き続けてきた粛清における新たな段階だ。張は、想定された習近平との近さを条件に「アンタッチャブル」(不可侵)と見られていた。中国共産党・中華人民共和国中央軍事委員会に関しては、7人のメンバーのうち5人が失脚し今や空の器だ。習は、何らかの仲間作りとは逆に、彼を取り巻く場を清掃し続けている。

不透明な粛清の真実


 習が主宰している中央軍事委員会でただひとり残っているメンバーは、汚れ仕事の実行に責任を負う中央軍事委員会の紀律検査委員会(党務)書記と監察委員会(政府業務)主任を兼任し、党中央の紀律検査委員の副書記も担当している張昇民だ。党機構、行政部、市民社会、あるいは経済界内部の連続的な粛清により特定の個人が標的になる理由を知ることは、あり得ないことはないとしても、この体制の深い不透明さが難しくしている。たとえ時に理由が明白に見えるとしてもだ。たとえば、犠牲者が複合企業や自治体のトップとしてあまりに力をつけた、あるいは、その批判で声が大きくなりすぎ見せしめにする必要が生まれた、といったようなことだ。
 しかしそれ以外では、特定の個人がまるでブラックホールに落ちたかのようにもはや公開の場に現れない、あるいは、別の者が汚職や反逆罪として糾弾される、この理由をわれわれはどうすれば知ることができるだろうか? 粛清された中央軍事委員会のメンバー5人も同じように見える。
 他の問題を隠す目的で真の敵あるいは敵と想定される者に対する有罪判決を正当化するために、習によって汚職の告発が型どおりに利用されている。汚職は確かに大きな問題だ。汚職ゆえに時として欠陥兵器が軍需工場で製造されることもある。そしてそれは多くのことを示している!
 しかし残念なことに、それは腐敗した個人の問題だけではない。腐敗は中国に特有的にはびこる病状なのだ。それは専制的権力と習近平、彼の家族、また彼の近い仲間のものである特権からなるシステムに根を下ろしている。習がその有害な結果に気づいているとしても、このシステムは彼自身のものであり、それを一層不透明に、病的なほど疑い深くし、また仲間作りの阻害になっても、それが腐敗に終止符を打つことにはならないだろう。

指導の柔軟性とバランスの破壊


 張又侠は最高位の現役軍人だった。彼と習近平は、革命時代の中国共産党指導者たちの子弟を指す用語である「紅二代」として、長いあいだ非常に親密だったと知られている。しかしながら、彼らの家族の系列は異なっている。習近平の父親である習仲勲は、1962年に毛沢東によって粛清されるまでは人民共和国の前高官で〔党宣伝部長や国務院副総理などを歴任:訳注〕、文革後に鄧小平によって名誉回復された。したがってそれは、機構の一員としての文官の系列だ。他方、張又侠の父親、張宗遜は革命期の人民解放軍の将軍のひとりだった。これほど名門の家系(出自)もそうそうないだろう。だが、おそらくそれこそが問題なのだ。軍の指導層は相次ぐ粛清によって骨抜きにされ、習近平は党と政府(彼は政府を軽視しているが)において、自身への権力集中と終身指導体制を強行している。
 これは、彼の側近者を攻撃した最初ではない。それは、こうした個人化された体制では全く筋が通っている。国内情勢が悪化する(それと共に彼の権威が)につれ、彼への反対は権力の外側の中心から出て来るかもしれないが、しかしまた党の中心機関のメンバーからも出るかもしれない。何といってもかれらは、習の失策を評価し、策謀を凝らす上では、十分な位置にいるのだ。多くの君主国では、「名門の」親戚、王家メンバーを予防措置として暗殺するのは通例だ。北朝鮮の王朝体制内部では、金正恩はそうするのを躊躇しなかった。中国では、「紅二代」であることは貴重な特権だが、しかし危険になる可能性もある……。
 北京ウォッチャーたちは、これらの粛清が習近平の強さの証かそれとも弱さの証か、を知りたがっている。なぜ両方でないのか? 彼はそうした粛清を実行する権力はもっているが、彼の権力掌握を安定させたり、彼の猜疑心を静める力はもっていない。彼の野心はひとつの現実にぶつかっている。つまり、ただひとりの人間の独裁を押しつけるには、中国ははるかに広大すぎ(人口14億人)、党も大きすぎ(公称党員数1億人以上)、軍(現役兵士2百万人以上)も彼の社会的環境にはあまりにも相容れないのだ。
 それでも習の全政策は、排除を基礎にしている。彼は、「紅二代」の優位を定めることで、中国革命の認められた中心的指導者の子弟や孫ではない幹部やエリートの多数派を権力から排除している。彼自身に終身支配する権利を与えるために憲法を修正することで、彼はもはや、党指導部内で伝統だったような、彼の寿命内で彼を継承したはずの政治的世代の代表を必要としていない。習は、首都から「最も辺境の村々」に至るまで、中国共産党を国家支配の唯一かつ中央の柱とすることで、政府機構を弱体化させている。そうすることで、国民が二つの権力主体(党と政府)に働きかけることを可能にしていた均衡を打ち破った。かつての体制は、それによって一定の柔軟性を確保していたが、同時に党内の対立派閥を支える基盤にもなり得るものだったのだ。

毛、習、そして文化革命


 現在進行中の粛清は、文化とも革命とも無関係にもかかわらず不適切に名付けられた文化革命の時代期に毛の下で中国が経験した以後では、もっとも深刻だと言われている。しかしながら、習の下での粛清の性格を理解するためには、その類推法は、その類似性(権威主義的一党体制、その他)の点でよりもふたつの間にある違いを確認することがより妥当である。
 毛は党の指導者だったが、中国共産党の政治局は、1949年の歴史的な勝利に導いた革命的な諸闘争での役割が基礎になった正統性をもつ、強力な諸個人から構成されていた。毛の強みは、かれらと共に新しい指導部チームを作るその能力にあった。しかしこの統一はやがて、経済の諸危機と社会的緊張の圧力の下で壊れた。分派闘争が党内の恨みを晴らすために大衆動員を呼びかけるにいたり、パンドラの箱を開けた。1960年代に中国社会に蔓延していた矛盾すべてが明るみに出た。
 「この歴史的危機の「一時期」はきわめて複雑な歴史を辿っている。そこには凄惨な影(いわゆるブルジョア反革命分子の即決処刑や無制限の個人崇拝など)と、光の差す側面(肥大化した官僚体制への社会各層からの異議申し立てや、国中を駆け巡った若者たちの移動と自発的な行動の自由など)が混在していた。その衝撃は凄まじく、共産党は崩壊の危機に瀕した。毛沢東はいわば「魔法使いの弟子」を演じてしまったのだ。結局、彼は秩序を回復するために軍を投入せざるを得なくなり、自らの紅衛兵や労働者階級の支持者たちさえも弾圧した。これによって、初期毛沢東主義の政治的死刑宣告が下されたのである。文化大革命は、体制危機の究極の現れであった。社会運動の鎮圧は、官僚的な「反革命」の完成を意味し、それは『四人組』の台頭によって具現化された。この観点から言えば、文化大革命という期間を、明確な危機であった1966年から1969年までではなく、四人組が失脚する1976年までと引き延ばして捉えることは、非常に混乱を招くものである。残念ながら、一般的には後者の解釈がまかり通っているのだが。
 中国共産党はその長い歴史を通じて、明白に多少とも不透明な分派闘争、病的な疑い深さの過ち、慎重な粛清を経験してきたが、しかしわれわれは、体制内の内部対立解決のため習近平が大衆動員に訴えると想像してよいだろうか?
 現在の粛清と1960年代の分派紛争の間の類推法は、それらが根底的に異なる歴史的な脈絡の中で起きたことを条件とすれば、全く妥当性が落ちる。1949年の勝利は二重の断絶の口火を切った。つまり、国の独立と統一を確かなものにする帝国主義支配との断絶、および以前から存在する社会秩序との断絶である(毛体制が欲したものではないが、その体制が非常に重い犠牲を払った朝鮮戦争によって加速された断絶)だ。
 古い支配階級は都会と田舎の双方で解体された。今日の中国は、世界の資本主義秩序の中に深く統合された主要な帝国主義的大国であり、その秩序の主要プレーヤーのひとつだ。この歴史的全体構図は、ある体制――昨日の毛体制、習近平によって確立された今日の体制――の危機を理解する上で本質的なものである。

国際的な「大躍進」

 文化革命のトラウマと四人組の戯画的な君臨は、「左翼」の信用を傷つけ、ブルジョア反革命に向けた政治的前提条件を生み出した。この歩みは、鄧小平によって大々的に始められ、1989年の大規模な弾圧で頂点に達した。この弾圧は天安門とその周辺(北京の)、あるいは学生だけには限られなかった。それは、いくつかの省に、また多くの社会環境に広がり、長期間自立的な労働者組織を破壊した。
 国際秩序への中国の再統合に関しては、それは江沢民と胡錦涛ら習近平の前任者によってけん引された。世界の舞台における中国の「大躍進」を可能にした変革の集積は、習近平というよりも他の者たちによって完成された。彼は、強力だったからではなく、中国共産党の指導部内の主な分派間で受け容れ可能な妥協を代表していたことを理由に、2012年に党と国家のトップに選出された。
 彼は彼の立場を利用する術を知っていた。こうして彼は、2017年の再選後、中でも彼が望む限り権力にとどまり続けることを許容する憲法改正を押し通すことができた。これは、政治体制の本物の変更と記されてよい。すなわち、習は大きな権力を得ることができた。とはいえ、彼の正統性は脆弱である。彼は、彼の個人的なカルトを育成することに気を使っているにもかかわらず、彼は新しい毛にはなれない。しかしながら今日、中国内の諸々の展開は彼に有利には働いていない。

社会的危機、体制の危機

 5年前に勃発した不動産危機の深刻な影響は今なお継続している――そして地方政府の債務と市場不振を超えて広がっている――。中国では、医療ケアの費用が法外に高いため、老後の費用をまかなうために住宅の購入に個人の貯蓄の大きな部分を投資するのが近年の習慣になっている。多くの家計が、建設中の建物に投資するか、建設が完成されないままになっている都市の区画を買うか、その価値が暴落している住宅を購入して壊滅状態になった。
 成長は鈍化しており、体制の危機の兆候は多数ある。中国の「Z世代」は習近平の号令(疲れをしらず働く、遅滞なく生み出す、など)に従うのを拒否している。社会的闘争は勢いを取り戻しつつある。
 権威主義体制が住民内部で支持あるいは中立を得ることを可能にしているものは、支持層へのえこひいきの他に、家計の経済状況が今後改善する、という確信がいまだあるからだ。しかし、親の世代たちはもはやかれらの子どもたちがよりよい暮らしを送ることができるとは信じていない。
 社会的な不安定性が成長中であり、汚職は数しれないスキャンダル(建物の崩壊、火災、欠陥のある医薬品や幼児ミルク、避けられたはずの子どもたちの死亡事故など)に加熱させ続けており、気候危機がかつて以上に猛々しく感じられている。
 この爆発的なカクテルは中国に特有ではない。それは、国際的な規模で頂点から底辺まで一方的な予防的階級戦争に油を注ぎ続けている。それが狙っているのは、長年の民衆的連帯の破壊、そして「多重的危機」の時代における萌芽期の新たな連帯形勢を芽のうちに摘むことだ。
 いわゆる西側の民主制は今日、労働者階級と民衆階級に、また抵抗運動に親切ではない(たとえば、差し迫った有事という最大の緊急性を前にしてさえ、フランスにおける環境闘争は犯罪化されている)。
 習近平は、愛国主義と米国の脅威を名目に国家の統一を求めて呼びかけている。しかしこれは大国の民族主義であり、中国革命の日々のような反帝国主義的性格ではないのだ。対外戦争が国内の危機への政府の答えになる可能性もあるのだろうか?
 これは現在のところはありそうには見えない。軍の指揮系統は進行中の粛清によって混乱させられている。軍は汚職によって穴だらけにされ、意味のある軍事的な経験も全くない。台湾侵攻は、おそらく(現時点の)検討課題には入っていないだろう――もっとも、トランプや習近平のような常軌を逸した人物が相手となれば、「おそらく」という言葉が精一杯の気休めに過ぎないのだが――。とはいえ、それが全体主義的な野望であり続けていることに変わりはない。
 台湾海峡での戦争はまた、中国が現在国際舞台で獲得しつつある政治的、外交的得点をも危険にさらすだろう。中国は、大西洋同盟へのワシントンによる強力な打撃のおかげで、インドのような国を含む「拒否戦線」を代表する点で軸心的な位置にいる。とはいえ中国はそのインドとの関係で深刻な争いごとを抱えている。
 「西側ブロック」諸国の指導者たちは、カナダ、フィンランド、フランス、英国、アイルランド、韓国……、さらに明日はドイツと、相次いで訪中を続けている。習近平はこの特別の時期を楽しんでいるに違いない。しかし北京はどのような贈り物も与えないだろう。中国経済は、数珠つなぎの過剰生産危機を前に、一層外国市場に依存している。これは、もちろんアフリカで、しかしそこにとどまらず厳しく感じられるだろう。(2026年2月6日)

▼筆者は、特にアジアとの連帯に関与している第4インターナショナルの指導部メンバー、かつフランスNPAメンバー。
(「インターナショナルビューポイント」2026年2月9日)    

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