テロとの戦争 9・11から25年(上)
グローバルな帝国主義戦争に拡大
各文明内部にある野蛮の衝突はガザで頂点に
ジルベール・アシュカル
以下は『野蛮の衝突』(02年刊、日本語版は作品社より04年刊)、『アラブ革命の展望を考える』(15年刊、日本語版は柘植書房新社より18年刊)などの著作と、ヨーロッパ・アメリカ・中東諸国の多くの左派メディアを通じて、アラブ革命の視点から中東・西アジアの政治情勢について発信してきたジルベール・アシュカルの最新の発言であり、聞き手はローザ・ルクセンブルク財団(ドイツ)のキャスパー・シャラー。英訳版を「インターナショナル・ビューポイント」9月11日付から訳出した。英語版のタイトルは「9/11 - A Quarter Century of Imperial War」
『野蛮の衝突』は決着済みか?
キャスパー・シャラー(以下、「Q」)
あなたは2001年9月11日、どこにいましたか?
ジルベール・アシュカル(以下、「A」)
私はパリの自宅にいました。パートナーが何か重大なことが起こっていると知らせてくれたので、いっしょにテレビを見ました。そこで目にした光景はぞっとするものでした。犯罪そのものの恐ろしさだけでなく、中東地域全体への影響が心配でした。ブッシュ政権が当時すでにイラク侵攻を決意していたことから考えれば、この事件をきっかけに米軍が中東地域に派遣されるのは明らかでした。それが混乱を招き、最終的には米国にとって失敗に終わるだろうということも私ははっきり意識していました。
Q この攻撃が世界に及ぼした影響についてお聞きする前に、9・11とその後の「対テロ戦争」が西側諸国に与えた影響についてどう考えますか?
A 破滅的な影響を与えました。9・11から15年11月13日のパリ同時多発テロ(バタクラン劇場など)、16年12月19日のベルリンでのクリスマスマーケットへの大型トラック突入に至るまで無差別殺人が相次ぎ、そのたびに「テロ防止」を口実にして国家の抑圧が強化されてきました。極右勢力はこれらの攻撃を貪欲なまでに利用しました。それは極右勢力にとって常に活力源となっています。今日、極右勢力を突き動かすイデオロギーは反イスラム的人種差別であり、彼らにとって主要な脅威はユダヤ人ではなくイスラム系移民です。反ユダヤ主義は消滅したわけではありませんが、もはや極右勢力を突き動かすイデオロギーではありません。
Q 中東情勢については、25年後の今、どう考えますか?
A 中東はカオスと抑圧の底へ沈没しました。当初から予想できたように、9・11後の米国の介入のもっとも明確な副作用の一つはイランの勢力拡大でした。イランはこの地域の不安定化による最大の受益者です。イラン政権はイラクにおける米国の占領を最大限に活用しました。結局、イラクの親イラン派政党を政権に据えたのは米国であり、これによってイランはイラク、シリア、レバノンまで続く回廊を支配することとなりました。同様の地域不安定化の中でイランはフーシ派によるイエメン北部支配を支援してきました。
最近の米国とイスラエルによるイラン攻撃の根本原因の一つは、まさに9・11後の米国の介入の結果としてイラン政権が獲得した影響力です。そしてイランについて言えば、政権は自国民を虐殺しています。残忍な弾圧と公開処刑は国民を恐怖で沈黙させるために仕組まれたものです。この地域は長期的な不安定化の局面に入り、今日ではおそらく世界で最も不安定な地域となっています。これは非常に嘆かわしい事態です。
「アラブの春」のその後は?
Q 11年にエジプト・カイロのタハリール広場でデモが勃発し、後に「アラブの春」と呼ばれることになる運動が始まった時、あなたは非常に楽観的でした。12年の著書『The People Want(人々は何を望んでいるか)』でも、あなたの分析は比較的楽観的でしたが、16年の著書『アラブ革命の展望を考える』(邦訳名)ではその立場を修正しました。アラブの春に対するあなたの分析は、時間の経過とともにどのように変化したのでしょうか?
A アラブの春が勃発した時、私はそれが深い構造的危機に根ざしたものであり、したがって一過性の出来事ではなく、長い歴史的プロセスの始まりとして理解されるべきだと主張しました。当時、中東・北アフリカ地域の社会経済行き詰まりの最も明白な兆候として、この地域は数十年にわたって世界最高水準の若年失業率を記録していました。これは新自由主義経済とこの地域で支配的な国家体制や統治システムの体制との軋轢の直接的な結果です。私は11年以前の中東・北アフリカを特徴づけていた「専制体制下での安定状態」に戻ることはあり得ないと一貫して主張してきました。
当初、各地の蜂起は進歩的勢力によって開始されましたが、この地域の特徴として、当時は旧体制に反対する反動的勢力が存在し、部分的には今も残存しています。宗教原理主義は進歩的ではなく社会・文化的な主張において反動的です。だから、ここで起こっていたことは「革命対反革命」という単純な二項対立ではなく、一つの革命陣営と二つの反革命、つまり旧体制と、権力奪取を狙う右翼宗教原理主義勢力から成る三角形で表現される複雑な抗争でした。
そしてアラブの春によってもたらされた希望は打ち砕かれました。内戦の勃発、以前よりもさらに苛酷な独裁政権の復活。また、ガザにおける米・イスラエルによるジェノサイド戦争、イラン攻撃という形での米国の戦争の継続。パレスチナ人民の状況は歴史上最悪です。ハマスの攻撃は反植民地闘争の歴史上最悪の誤算の一つです。
私の認識として、こうした状況はこの地域に信頼できる政治的選択肢が存在しないことの結果です。社会経済危機によって生み出された大衆の怒りを実質的な成果を伴う変化へと導くことができる進歩的勢力はまだ出現していません。この点での失敗の結果、社会経済的に行き詰まっているだけでなく、政治的にも行き詰まっています。
イスラム教政治勢力の現状評価
Q その三角形の中でのイスラム教政治勢力の現状をどのように考えますか?
A 蜂起が始まった当初は、蜂起を先導した進歩勢力は組織力が弱く、既存の政権に代わる現実的な選択肢となることはできませんでした。その空隙にムスリム同胞団が進入しました。彼らは長年にわたり反政府勢力として活動してきましたが、この時、自らを新しい政権の選択肢として押し出すチャンスをつかみました。11年の蜂起の直後に同胞団はエジプトとチュニジアの選挙で勝利を収めました。しかし、彼らはいろんな主張を展開しましたが、どんな社会経済的な代替案も提示しませんでした。彼らのプロジェクトは基本的にイデオロギー的、政治的なものであり、社会経済的な問題解決策を欠いていたため必然的に崩壊しました。13年のエジプトでの軍事クーデターと14年のチュニジアでの政治危機に至るまで、ムスリム同胞団は各地で敗北を重ねました。19年にスーダン、アルジェリア、イラク、レバノンで第二波の蜂起が起こった時、イスラム原理主義勢力はもはや蜂起の一翼ではなく、既存の体制に深く組み込まれていました。
Q あなたはスンニ派イスラム教政治勢力のほとんどが敗北したと言いましたが、シリアでは現在、イスラム教原理主義のシャーム解放機構(ハイアト・タフリール・アッ=シャーム、HTS)の元指導者アフメド・アル・シャラーが国を支配し、権力を固めています。北東部のクルド人民防衛隊(YPG)もシリア軍への統合に同意しました。つまりスンニ派イスラム教政治勢力が一部の地域では成功しているのではないでしょうか?
A シリアでのイスラム原理主義者の勝利にはある種の皮肉があります。この勝利はイスラエルの対レバノン戦争の副産物でした。イスラエルはヒズボラに壊滅的な打撃を与えることで、シリア政権を支える最後の柱を取り除きました。シリア政権はこれまでイランとロシアの軍事支援に頼っていましたが、ロシアはウクライナ侵攻後、そこで泥沼にはまり込み、シリアからほとんどの部隊を撤退させました。イスラエル軍がイランの代理人だったヒズボラを弱体化させたため、北部イドリブを支配する原理主義勢力は比較的容易にダマスカスに侵攻できました。こうしてアサド政権は21年のカブール政権と同様にあっけなく崩壊しました。
それ以来、アル・シャラーは自分を穏健派としてアピールし、西側諸国に受け入れられるよう努力しています。国家と社会のイスラム化の兆候は見られますが、今のところシャリーア法を強制するような大きな動きは見せていません。これは24年までイドリブ県を統治していたやり方とは違いますし、いわゆるイスラム国(ISIS)がシリアとイラクの一部を支配し、カリフ制国家を宣言したやり方とも全く違います。
トルコの左派とクルド民族の今
Q つまり、イスラム教政治勢力の計画は失敗したと言うことですか?
A もともと成功するはずがなかったと思います。なぜなら、抗争の背景となっている危機に対する現実的な代替案を提示していないからです。アル・シャラーについて言うと、彼は単に他のアラブ諸国の社会経済政策を模倣しているにすぎず、そのモデルはすでにシリアで深刻な社会危機を引き起こしています。国内の少数派が直面しているさまざまな未解決の問題もあり、ますます不満が募ることになるでしょう。
Q ロジャヴァ(北部および東部シリア地域民主自治行政区、西クルディスタンとも呼ばれる)のクルド人たちはなぜシリア国家への統合に同意したのですか? また、トルコのクルディスタン労働者党(PKK)は武装解除に同意し、エルドアン大統領との和平交渉に入っています。なぜ両国のクルド人運動は自分たちの権力の基盤を放棄したのでしょうか?
A シリアのクルド人の場合、米国に見捨てられたことが大きな理由です。IS(イスラム国)が敗北したので、米国はもはやクルド人を必要としなくなりました。トランプ大統領は彼らを支援することに何の関心も示していません。
一方、エルドアン大統領は15年以降、選挙での支持を失いつつあり、権力にしがみつくためにあらゆる手段を講じています。野党の弾圧、指導者の拘束、さらには最大野党・共和人民党(CHP)指導部人事への介入まで行っています。クルド人への接近もそうした策略の一つです。クルド人運動が15年のように公正発展党(AKP)の議会支配を脅かすことはないだろうという賭けです。
クルド人指導者オジャランは長年、トルコ政権との妥協を提唱してきました。PKKの軍事戦略が失敗に終わったことは明らかです。トルコはNATOで2番目に大きな軍隊を擁しています。オジャランは長年、武装闘争を軸に運動の戦略を練ってきましたが、今では正反対の方向、つまり妥協へと舵を切りました。しかし、これも成功するかどうかは不明です。クルド民族への抑圧は収まっていないし、トルコとシリアのどちらでもクルド人の安全は保障されていません。クルド人運動のトルコ支部とシリア支部の両方で内部の意見対立が起こっており、一部のメンバーは運動内部の分裂に憤慨し、分裂後に起こりうる事態について警告しています。
シリア政府との合意では、シリア民主軍(15年10月に民兵部隊クルド人民防衛隊[YPG]を主体として結成)を解散し、シリア軍に統合することが想定されていますが、それはまだ理論上の話にすぎません。実際に誰が部隊を指揮するのか、指揮権はロジャヴァのクルド人支配地域に留まるのか、それともダマスカスのシリア政権が北東部を支配するのか、などの問題があります。特に女性の役割がどのように位置づけられるかは大きな問題となります。フェミニズムはクルド人の闘争において中心的な役割を果たしてきましたが、YPJのような軍事組織で戦う女性たちはアル・シャラーの社会観の中には存在しません。
ガザ・ジェノサイドは欧米の
自由主義秩序の決定的な終焉
Q これらの非常に異なる背景をもつすべての国で右傾化が進んでいるということは、中東地域全体が同じ方向に進んでいるということでしょうか?
A 地域レベルではそうではありません。アラブ諸国の大部分は依然として伝統的な専制体制であり、右傾化したというよりは、常に右傾化したままです。イラン政権も極右と呼ぶのは適切ではありません。
極右については、私が「ネオファシズム」と呼ぶのはドイツAfD 、フランス国民連合、ドナルド・トランプを中心とするMAGA運動などで、中東地域ではネタニヤフ政権がそれに最も近い例です。トルコ政権内部ではエルドアン大統領自身が極右に傾倒しています。
Q 02年に出版された『野蛮の衝突』の中で、あなたは9・11同時多発テロ直後の状況について「さまざまな状況下で反動勢力が互いに攻撃し合い、過激化していく」力学を説明しています。あれから25年が過ぎましたがこのプロセスは減速していますか? それとも継続しているだけですか?
A あの本で私はサミュエル・ハンティントンの「文明の衝突」という考え方に対して「野蛮の衝突」というテーゼで反論しました。西側帝国主義とイスラム原理主義との戦争は文明間の衝突ではなく、それぞれの文明に内在する野蛮な傾向の間の衝突でした。それは今も続いています。イスラエル政府の極右路線の加速や23年10月7日以降の犠牲の拡大は本当に恐ろしいことです。
そのプロセスはガザで頂点に達しました。私はガザを1945年のナチス・ドイツの敗北以来、西側の工業先進国によって行われた最初のジェノサイドだと指摘しました。ナチス・ドイツの敗北以降でもルワンダなどでジェノサイドは起こりましたが、西側諸国の支援を受けた工業国によるジェノサイドはこれが初めてです。
自由主義とルールに基づく秩序
という幻想への最後の一撃
Q あなたはガザの出来事が「西側の自由主義秩序の決定的な終焉を告げるもの」だと書いていますが、なぜ2003年のイラク侵攻がその終焉ではなかったのですか?
A イラク侵攻のときはドイツのシュレーダー首相やフランスのシラク大統領、そして米国政府の内部からも反対の声があったので、最終的には自由主義勢力が軌道を修正してくれるだろうという幻想が残っていました。オバマ大統領はイラク侵攻に反対したことを自分の政治的アイデンティティの一部として押し出し、「国連の承認がない限り参戦しない」という原則を採用しました。彼はリビアへの軍事介入を決定しましたが、それは国連安保理が飛行禁止区域を承認した後のことでした。自由主義とルールに基づく秩序という幻想は生き残り、後にロシアのウクライナ侵攻に対して動員されました。しかし、西側諸国の政権がウクライナとガザに対して示した対応の違いこそが、その幻想への最後の一撃となりました。
Q シラクとシュレーダーはイラク戦争に反対しましたが、彼らは領空通過権を認め、他の面でも協力していました。彼らの抵抗は真摯なものでしたか? それともシンボリックなものでしたか?
A イラク侵攻当時、米国はグローバル覇権の絶頂期にあったため、シラクもシュレーダーも領空通過や軍事協力を拒否するほど米国を挑発する勇気はありませんでした。それでも、それぞれに利害関係がありました。シラク政権はフセイン政権との関係を維持するために多くの投資をしており、米国の侵攻でその投資が無駄になることを理解していました。シュレーダー政権はドイツ国民の世論が戦争に強く反対していることを認識しており、戦争に反対の姿勢を示すことで手軽に人気を高めることができました。
ガザに関しては10月7日の事件に対するイスラエルの全く不均衡な対応に対して、西側諸国の政権からは何の批判もありませんでした。リベラル的な装いの内側を隠す最後の隠れ蓑が消え去ったのです。ハマスの攻撃をきっかけに「ホロコーストの記憶の装置化」が顕著になりました。つまり「10月7日はホロコースト以来最大のユダヤ人虐殺」という認識です。この表現が繰り返し流布され、ユダヤ人虐殺の記憶が喚起された結果、ハマスが主導した攻撃は衝撃とイスラエルへの共感の波を引き起こし、西側諸国はイスラエルの「自衛権」を支持しました。西側諸国の政府はジェノサイドが始まってから数カ月の間、イスラエルに対する批判的な立場をまとめることができませんでした。
(つづく)
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