バングラデシュ 学生の決起の勝利

ハシナ辞任後も闘いは続く

バドルル・アラム

首相の逃亡受け
暫定政府形成へ

 8月5日午後2時30分、シェイク・ハシナは首相としての彼女の職を辞任し、彼女の特別警護隊の何人かと共にヘリコプターでインドに逃げた。彼女は今デリーにいて、いくつかの報道は、彼女が政治亡命としてロンドンに向かいたがってると示している。しかし英国は今、彼女の人権侵害を理由に彼女の入国を拒んでいる。
 その後同日午後4時、バングラデシュ軍参謀総長のワケル・ウズ・ザマン将軍が国有テレビを通じて、軍は法と秩序を維持する責任を引き受けるだろう、と宣言した。彼はさらに、この国の日々の問題を管理するための暫定政府が形成されるだろうと付け加え、早急に公正かつ自由な選挙を行うと約束した。
 軍の指導者たちはその夜大統領のモハンマド・シャハブッディンと会談、暫定政府の構成を討論した。シャハブッディンもまた議会内のさまざまな政党の指導者たちを呼び寄せたが、そこには主要野党のバングラデシュ民族主義党(BNP)も含まれていた。かれらはすべて暫定政府の形成に合意した。
 しかしながら、「反差別学生運動」のコーディネーターたちは代わりに、大衆運動を率いてきた者たちに基づく暫定政府形成を提案した。かれらは、かれらの同意がないどのような他の政府形成も、特に軍が主導する政府は受け容れないだろう、と語った。かれらは、社会からあらゆる差別を取り除くというかれらの主要目標を強調した。
 学生コーディネーターたちが考えたことは、ハシナが今逃亡したとはいえ、やるべき作業はまだ多くあるということであり、かれらは同じく暫定国民政府の一部になることへの関心を表明した。かれらは全学生と他の民衆にこの革命を防衛するよう、また他の反動勢力が今回の蜂起を絶対利用できないように注意を払うよう促した。
 その上でかれらは、暫定政府の顧問委員会委員長としてムハムマド・ユヌス博士を提案した。ハシナ政権は長い間ユヌスを標的にしてきたとはいえ、彼の政策には論争がないわけではない。彼は、社会的苦難を解決するためのマイクロクレジットを推奨したことで有名であり、周辺化されたコミュニティ内部でよりもNGOの世界でより高い名声を得ている。いくつかの左翼組織と政党は、早くから彼を米帝国主義のトランプ札として批判してきた。

学生の運動が
ついに勝利へ

 したがって、ハシナの辞任があっても、バングラデシュ内では権力の空白をめぐる闘争が続いている。そうであっても、ダッカ大学での学生6人の殺害の最中に、またベグム・ロケア大学における4年生優等学位の英国人学生、アブ・サイエドの死(彼は、ラングプールの警察によって、白昼堂々と銃撃され死亡した)を受けて、7月15日に始まったこの運動は、8月5日に重要な頂点に達した。
 独裁者は彼女の最後の日も、少なくとも39人の命を奪った彼女の警護隊を使ってなおも最後のひと咬みを行った。結局のところこの独裁者は、何百万人という学生と民衆の圧力の真ん中で自らを維持することができなかった。首相としてのハシナの最後の瞬間には、治安当局者も彼女の指令を無視し、もはや市民への銃撃を拒否した。
 かれらは彼女にふたつの選択肢を与えた。あくまで権力に固執するか、それともあきらめ逃げるかのどちらかとして。彼女は国から逃げることを選択した。ハシナは権力維持のため彼女の自由になる人民に対する抑圧のツールすべてを使ったが、しかし最後には打ち破られたのだ。
 この学生運動は、差別的な割り当てシステムの改良を求める要求で始まった。ハシナがとった次第に抑圧的になる方策が、学生たちをかれらの要求を広げるよう強いた。その要求には、多くのアワミ連盟(与党だったハシナの政党:訳者)公職者の辞任、および抗議の中で殺害され負傷した者たちの家族に対する補償を求めるものが含まれている。
 学生たちは市民的不服従を含む多様な行動に取り組んだ。ハシナは、抗議の参加者に「ラザカル」(1971年の独立闘争期に、パキスタンの戦争犯罪に協力した裏切り者)として烙印を押し、学生たちがかれらの要求と戦略を引き上げるよう導いた。かれらは、ハシナがさらなる抑圧に頼るにつれ、要求を9つに発展させた。その後かれらは、ひとつの鍵になる要求――ハシナの辞任を求める――に焦点を絞り、かれらはそれを上首尾に勝ち取った。

最後の瞬間まで
人権侵害が継続


 専制者はまた、学生運動を抑圧するために7月18日、国中で全面的な夜間外出禁止令を公表した。しかしながら、学生と大衆は夜間外出禁止令を無視、街頭に繰り出し続けた。その後政権は、さらに一層エスカレートし、兵士は抗議参加者に即座に銃撃を加えるだろう、と宣言した。
 しかしながら、政権がとった方策すべては学生大衆によって勇敢に打ち破られた。かれらは、躊躇なく命を差し出すことで、警察と軍の銃弾の前に決然と立ったのだ。
 7月15日以来、主要日刊紙によれば、339人以上の学生が警察によって殺害された。しかし私的な調査によれば、死者数はもっと大きい――千人を超える数になって――可能性がある。数千人の学生が負傷し、拷問を受けてきた。何人かは視界を奪われ、他は身体を切断された。
 結局、ハシナの最後の統治は約16年続いた。彼女の政権は広範な人権侵害、腐敗、国家の富の略奪、活動家の強制失踪、超法規的殺害、ごまかし選挙の実施、その他を特徴とした。彼女は、人権侵害とジェノサイド共謀の科で国際法廷による裁判を受けなければならない。

▼筆者はバングラデシュ・クリショク連合代表。(「インターナショナルビューポイント」2024年8月10日) 

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