中東 開始されたレバノン攻撃
ヒズボラは「相互抑止」のワナに
ジルベール・アシュカル
ヒズボラへの
全面的な猛攻
われわれは先週、「われわれがイスラエルの恫喝戦略と呼んだ突然のエスカレーションがレバノンに対する全面的な侵攻に道を開きつつあるのかどうか」をいぶかった。ちなみにその侵攻は、「ベイルート南部郊外の人口密集地を含む、ヒズボラが存在するあらゆる領域に対する無差別の重爆撃を含むと思われた」。これはわれわれをもうひとつの質問に導く。つまり米大統領のバイデンは「戦争を阻止する……に十分な圧力をしっかりネタニヤフにかけるだろうか、あるいは、彼と彼の国務長官のブリンケンによるいつも通りの偽善的なやり方で、非難をそらせる意味をもたされた遺憾と憤りの表現を伴うとしても、彼の友人の犯罪的な冒険にあらためて同行するのだろうか」と。
これらふたつの内的に絡んだ疑問への回答が出てくるのに長くはかからなかった。イスラエル侵略省(ごまかして「防衛」省と名付けられている)は9月25日、その総司令官が彼のペンタゴンの米軍司令部訪問の中で、87億ドル相当の新たな援助パッケージを受け取った、と公表した。同省はこの問題にコメントし、それは「イスラエルと米国間の強力かつ永久的な戦略的パートナーシップ、およびイスラエルの安全保障に対する鉄壁の約束」を確証する、と語った。
二日後、ヒズボラに対するシオニスト軍による現在の猛攻が、ヒズボラの書記長であるハッサン・ナスララおよびその指導者の一定数の暗殺に達し、同組織に対するある種系統的な処刑と判明したことを仕上げつつある。その行為は、同組織の領域に対する包括的な猛攻に向かう道の新たな歩みへの準備としての、ヒズボラの通信ネットワーク破壊を受けたものだ。そしてその猛攻はこれまでに、激しく集中した爆撃、さらにイスラエルの情報筋が「限定された」ものにとどまるだろうと主張する地上侵攻の段階的拡張を含んできた。
米国は今度も
全面的に共謀
こうして鮮明になっていることは、フランスの催促を受けて出され、パリとの連絡の中で公表された、ヒズボラとシオニスト国家間の3週間の停戦という米政府の呼び掛けには、そこに米国による何らかの現実的圧力が伴われていなかったように、何の真剣みもなかった、ということだ。
これに関しては以下が特筆の価値があるものだ。つまり、ワシントン・ポスト紙9月25日掲載の調査報道であり、それは、バイデン政府内で停戦に関して見解が異なり、イスラエルの軍事エスカレーションを「レバノンの戦闘員集団の威信を落とす潜在的に有効な手段」と見ている政権メンバーが数人いる、と示した。
ナスララ暗殺への同政権の反応は、バイデンその人をはじめとして、その作戦への賞讃喝采だった。そしてそれを、ヒズボラとその書記長にテロリストの烙印を押すことによって、「正義の一方策」と描いた。この反応は、ガザにおける進行中のジェノサイド戦争に対するあからさまな共謀に次ぐ、対レバノンの進行中の猛攻に対する軍事的かつ政治的な全面的なワシントンの共謀を確証した。
バイデン政権の偽善はこれにより新たな最低記録に達した。というのも、ヒズボラにテロ組織の烙印を押すことは、ヒスボラとシオニスト国家間の紛争に対する「外交的解決」と米政権が呼んだものを追求して、同政権がヒズボラと数ヵ月間行い続けてきた交渉とは著しい対照になるからだ。
ワシントンは「テロリスト集団」とどのようにして、ヒスボラとの政治的(しかし軍事的ではない)連携者であるレバノン議会議長のナビ・ベリの仲介を通して交渉でき、そのようなグループとの間で外交的解決を求めることができたのだろうか?
御都合主義的なテロリスト呼称
言うまでもないが、テロリストと描かれ得るような、ワシントンがテロリストとこれまで描いてきた、また描き続けている(もちろんワシントン自身が犯したことを無視して)すべてを上回る激しさと殺人的な残虐さに基づいてシオニスト国家も犯したことがないような、そうしたタイプの行動も全くない。
ここには再び、ガザにおけるジェノサイド戦争に次いで、その軍事的部門と文民諸機構間に区別をつけることさえなく、全体にテロリストと烙印を押すことによって、数人の被選出議員を抱え、大きな文民の準国家機構を監督している大衆的組織の根絶を狙った戦争に対する、悪意のこもった正当化がある。
「アル・アクサの洪水」というその作戦がハマスに先の烙印を押すために広く利用されたハマスの場合とは対照的に、ナスララ指導部下のヒズボラは、イスラエルや米国の文民あるいは非戦闘員を意図的に攻撃するという意味でテロリストと描かれ得るような行動を一切実行しなかった。
したがってかれらは1983年の攻撃を呼び戻した。それは、レバノンにおける「多国籍軍」に参加した米国とフランスの部隊、および米大使館を標的にした攻撃だったが、かれらはこの攻撃をナスララの責任にすることまでした。しかし彼はその時、同組織の指導部ではなく、僅か23歳だったのだ! 事実を言えばナスララは、彼が党書記長の任務を引き受けた年の1992年に初めて議会選に参加することで、レバノンの政治生活への取り組みに向け党の変革を取り仕切った。
ヒズボラによる力関係の誤診
先週われわれは、ガザへの支援として対イスラエルの限定戦争に取りかかる点でのヒズボラの計算が、シオニスト軍との「相互の、しかし非対称な抑止というワナにかかった」とかれらが気づく中で、どれほどかれらに逆効果になり始めたか、を示した。真実は、「ガザでの停戦」までイスラエルと銃火を交え続けることへの主張を通じて、ヒズボラがイスラエルが仕掛けたワナに落ちた、ということだ。しかし明確になっていたことは、戦闘の重心が苦しめられた同回廊からレバノンへと移行しつつあった、ということなのだ。
もっと適切だったと思われることは、ヒズボラがフランス・米国の3週間停戦の呼びかけの受け容れ(特に、ヒズボラが一息つき、その通信ネットワークが吹き飛ばされた後の指導部機構を回復するという痛切な必要状態にあったからには)、およびヒズボラ側での軍事作戦停止、を広く公表することだった。そしてこれらは、シオニスト政府には困惑となり、イスラエルを先例にならうよう急がす強い国際的圧力にさらしていたと思われる。
この間の日々は、ヒズボラとシオニスト国家間の「相互抑止」に関するヒズボラの理解がこの抑止の非対称な性格を十分に考慮していなかったこと(深刻さははるかに小さいとはいえ、ハマスのそれに似た計算違い)、およびヒズボラを守ることへのテヘランの後援者による約束に対する理解もまた幻想的だったこと、を鮮明にしている。後者に関してたとえばイランは、イスラエルが対イランで直接発動し続けていた繰り返しの攻撃に対し、わずか1回だけこの4月、しかも害を与えるというよりもむしろほとんど象徴的なやり方で応じただけだったのだ。
ヒズボラは、2006年の国連安全保障理事会決議1701号の実行に戻る意志を固めたように見える。こうして、ヒズボラとシオニスト国家間の力関係の不均衡をわきまえ、米国を通じてヒズボラに押しつけられた条件を受け容れるように見える。
この意志は、レバノンの管理人である首相のナジーブ・ミーカーティーによって、彼のナビ・ベリとの会談に続いて確証された。したがって疑う価値のあることは、レバノンに対する、特にヒズボラに対する猛攻をさらにエスカレートする口実をシオニスト政府に与えて、ガザで停戦に達するまで戦闘を継続するという主張のもつ効用だ。(2024年10月1日、初出は「アルクズ・アルアラビ」にアラビア語で掲載)(「インターナショナルビューポイント」2024年10月2日)
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