スペイン バレンシアを襲った洪水
州政府と資本家が悲劇を招いた
民衆的連帯の波を闘いへ
ダニエル・ゲフネル
州政府の怠慢
と民衆の連帯
死者数が増え続け、バレンシアのコミュニティの数万人が経験した悲劇に関する映像や痛ましい記事がわれわれにショックを与え続ける中で、ますます鮮明になりつつあるのは、当局が伝えられた脅威が求めた断固さとスピードで行動しなかった、ということだ。この悲劇は、気象学で「コールド・ドロップ」、あるいは孤立した強い低気圧として知られているものの結果だった。
極端な気候事象を避けることはできないとしても、気候否認と公共サービス切り下げは、人々の命や地球よりも利益を優先する略奪的な資本主義への対応を、不可能にしないとしても弱める傾向にある。労働者の労働の安全に対する権利よりも「通常通りのビジネス」を好んできた州政府と雇用主の気候無視は、コールド・ドロップで被災した人々の支援に来る中で民衆諸階級が示した共感と連帯とは対照的だ。
連帯のほとばしり、そして被災者を助けようとの切望は、命と社会の商品化と個人主義を基礎に置く宗教を伴ったサッチャリズムと新自由主義のTINA(「オルタナティブはない」)をものともせず、底辺からまた左から民衆の力をつくり出すことで、そのレトリックにだけではなくその実践にも挑戦することが可能だ、と示している。それこそが、バレンシア州政府首相のカルロス・マソンの辞任を求める11月9日の行動が、コールド・ドロップの犠牲者と連帯する大規模な決起でなければならない理由だ(当地報道が13万人の決起と伝える大規模な行動になった:訳者)。
非道な経営判断
職務続行の強要
このコールド・ドロップはこの悲劇的な10月に極度の力でバレンシア州を襲った。その被害はすでに死と破壊の点で前世紀の諸々の洪水を上回り、その中で死者と行方不明者の数は増え続け、被災住民への支援は、「危険発生時点」から3日後でも届いていなかった。電力、水道水、携帯電話通話はまだ復旧されていず、道路は今も切断されるか多くのところで通過不能だ。何万人もが被災した悲劇の映像と記事はわれわれを揺さぶってきた。そしてわれわれは、被災者への共感と連帯の高まる一方の波を今見ている。
利用できる情報は、当局が伝えられた脅威が求めた断固さとスピード、また思慮分別をもって行動することがなかった、と示している。州政府の警報を作動させる点での遅れ、防護機関間の共同欠落――それは大いに必要だった支援の到達の遅れに導いた――、電話の崩壊を見よう。ちなみに最後のものは、洪水の光景を見て住民の多くが感じた驚きを原因とした電話コールによって圧倒された事象だ。われわれはこのすべてに、すでに支援の用意ができていた他の自治コミュニティからの消防士支援の受け入れを、バレンシア州政府が拒絶したことを付け加える必要がある。
政府の嘆かわしい怠慢は事業界との共謀に利益を見たものだがその事業界は、雨が実際のようには降らないだろうと期待して、事業を続けるために避難令を出さないよう政府に圧力をかけた。市場と利益という羅針盤を選んだこの賭は、仕事上の安全に対する労働者の権利に害を与えていつも通りの事業を選ぶよう経営者を導いた。資本家は方針を変えなかった。そしてかれらの利益は、命と安全に対する被雇用者の権利よりはるかに重みをもっていた。
コールド・ドロップを前に、この異常ないつも通りは、被雇用者が職場に閉じ込められたままになるか、彼らの車の運転席にとどめられるか、を意味した。それは、洪水が急速なまたいのちに関わる波となって進み、午後8時15分に携帯電話で市民防護警報が鳴り響いた中でのことであり、しかもその警報は、住民の大きな部分の場合その日の労働が終わった後、最初の越流から2時間後だったのだ。そしてその越流は、数百台の自動車が道路を止める事態に導き、それはさらに、本日でももっともひどく被災した住民への到達を妨害している。
行政の対応も
避難を後回し
公的行政は、コールド・ドロップ対処が本質業務ではなかったその諸機関(行政機関、教員、公衆衛生、公務員)との関係でも、ふるまいがそれより良好とは全くならなかった。避難令を政府が避けたことは、生徒がいつも通りに学校に行き、予防方策として学校と保育園が閉鎖されることがなかった、ということを意味した。
極端な気候事象を避けることはできないとしても、その破滅的な効果は予報とその展開の監視、非常時計画とその時の行動の練り上げ、また十分な人的資源と物質的資源の供給準備により緩和することができる。
貧弱に管理されていなかったとしたらコールド・ドロップの影響はもっとはるかに小さくなっていただろうと示すひとつの事例は、UV(バレンシア大学)の例だ。この大学は、10月28日にAEMET(政府の州機関の州気象庁:訳者)が出した警報を前に、教育活動の停止を決め、その後の警報が避難に変わった29日、全活動の取り消しを決定、こうして数千人が移動するのを回避した。
事業者階級と政府の側のこの鈍感さは、悲劇的な結末を生み出したが、コールド・ドロップによる被災者の援助に来ている民衆諸階級が示した共感と連帯とは対照をなす。その民衆は、被災者の不安定な境遇への回答を探し、支えとなる見知らぬ人の家で一晩でも過ごすことができるようにと避難場所を提供し、そして時には、見知らぬ人の命を救うために自らを危険にさらすこともあったのだ。
気候危機否認
が招く無作為
科学的データにしたがえば気候危機と温暖化は今、これらの極端な気象事象の頻度と強度を高め続けている。そして地中海地域はもっとも脆い。コールド・ドロップへの対応における深刻な欠陥の根源にあるのはマソン政権の気候否認だ。無作為と遅れは、気候危機を否認するイデオロギーによって動機を与えられている。
公衆衛生の分野でわれわれは、たばこ産業によって宣伝されまたそこから資金を提供された否認の、健康に対する有害な作用を経験してきた。「肺がんは自然にあった」など、タバコの有害な影響に関する疑念を撒き散らすことによって、予防措置は遅らされてきた。そして同産業は、これらの疑念を播くことで、その活動から利益を上げ続けてきた。気候否認も有害だ。それが真の危険と脅威に対し、またそれらの背後にある原因に対しわれわれが行動するのを妨げるからだ。
バレンシア政府からの極右Vox党離脱も国民党(PP)の気候否認主義的実践を少しも変えなかった。極右は同時に、「調和法」とバレンシア語とその文化に敵対的な学校政策にその印を残してもいる。極右は優先度を決めてきたが、PPと共にあった時に合意されたものは今も有効であり、それこそその主張の陳腐化とその反動的なビジョンだ。
気候否認が州政府の無作為にエネルギーを注いでいるとすれば、コールド・ドロップへの対応能力を弱めているのは、不可欠な公共サービスを削減する新自由主義政策だ。福祉国家の巻き戻し、公共サービス――全員のためのサービス――の外注化と私有化は今、富裕層向け減税により補足されようとしている。これらの否認主義的で新自由主義の立場は、バレンシアの緊急対応部署の閉鎖を正当化すると思われる。これこそ、気候非常事態のこの時に行われるべきでないことの1例だ。
州政府の責任
追及は不可欠
変動がすでにここにあることを否認し、社会的公正と生活の質の改善と一体的な脱成長の挑戦に応じる上でこの10年が決定的であることを否認するこの立場は、人々の命と地球の健康の上に利益を置く略奪的な資本主義に対決する、断固としエネルギーに満ちた行動を必要としている。
被災地とまさに他の多くの町々が、可能なあらゆる方法で援助を与えた人間の波の到着を目撃した。かれらは、シェルター、食糧、交わり、清掃、思いやり、多くの家族が前にしている深い悲しみへの敬意を提供したのだ。
それは決定的な時における生きた教訓であり、またわれわれがいつも通りに戻る時に対する確実に有益な教訓だ。つまり、この民衆的な連帯を、命とケアが一握りの者の利益より上にある平等な社会を求める闘いへと変えるための、また、前世紀の1960年代以来洪水になりやすく危険のある地域に広がってきた都市の投機モデルとは区別された再建に向けた計画を実行するための学習だ。
力ある者とこの危険な少数の利益と利己主義に反対し命を守るためにこの連帯とはずみを組織するために、逆境に立ち向かう潮を引き起こそう。
重要なことは、底辺と左翼からの民衆の力を発展させる努力を継続することだ。しかし、われわれがわれわれの悲しみや被災者へのあらゆる適切な敬意と連帯に賛同した上で、次に必要なのは、コールド・ドロップの影響を弱めるために必要な措置を取る点での犯罪的な怠慢、およびまさに多くの民衆を助けの必要な恐ろしい状態に放置したこと、またまさに多くの死を理由に、カルロス・マソンの政府に責任を取るよう声を上げることだ。
それこそが、犯罪的な怠慢を理由にマソンの辞任を求めるバレンシアでの11月9日のデモ呼びかけをわれわれが支持する理由だ。これほど多くのバレンシア人の安全と命を守ることができなかった者は国家の首座にとどまってはならない。(2024年11月2日、「ヴィエント・スル」誌よりIVが訳出)
▼筆者は医師でバレンシアのアンティカピタリステスの活動家。(「インターナショナルビューポイント」2024年11月6日)
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