ドイツ BSWの選択

民族主義は左翼の新しい羅針盤か?

BSWの集票は右への転換をむしろ確実に

 直近のドイツ三州における選挙(昨年11月)は、新しい政治運動、ザーラ・ヴァーゲンクネヒト連合(BSW)の台頭を明らかにした。左翼党の分裂の結果であるBSWは、移民政策の問題でAfDに対抗していると主張する。BSWの路線は、左翼のオルタナティブを代表しているのだろうか、それとも一定の左翼の消失を表しているのだろうか?
 ウクライナへの侵略は地獄の門を開くことになった。悪は、あらゆる重要問題を超える形で陳腐化されている。ヴァーゲンクネヒトの政治的変革は戦争から誕生した。ベルリンの壁への郷愁的な先祖返り以上に、彼女はわれわれの時代の産物だ。あらためて、戦争の混沌の真ん中で、左翼としての自分を否認し、民族主義を選択する左翼がいる。

所有権観念に見る社会主義放棄


 社会的所有の問題を提起しないのであれば、資本主義を批判する左翼として大したものではない。新自由主義に奪われた領域に闘いを挑まないならば、左翼ではまったくあり得ない。そしてこの挑戦の第一線は共有財の所有権だ。ヴァーゲンクネヒトの党の場合、所有権の問題が中心にある。しかし、ドイツの工業ブルジョアジーの保護主義としてだ。「したがって、常識的なエネルギー政策と産業政策は、所有者とその家族をかれらの企業を何らかの金融投資家に売り払うよりもがんばるよう励ますやり方で、中間階級の必要をよく考えることから始まるだろう」(注)と。
 BSWの合い言葉のひとつは、安い天然ガスの流入を回復する目的で、いわゆる「常識的エネルギー政策」として対ロシア制裁を終わりにすることだ。これには後で戻るつもりだ。
 しかし何よりもまず、資本家の所有権に対するこの見方は、自律的な労働者階級の政策建設という目標の放棄が基礎になっている。「ドイツで大事なものは中間階級、すなわち大企業に対抗して自らを位置づけることができる小企業の強力なブロックだ。その対抗は資本と労働間の2極的対抗と同じほど重要だ。みなさんはドイツでそれを真剣に考えなければならない。みなさんが人々に純粋に階級を基礎に訴えるならば、みなさんが反応を得ることはないだろう。しかし、みなさんが社会の富の創造部門の一部としての、所有者が経営する企業を含むかれらに、巨大企業に対照させる形で訴えるならば、それは痛いところを突くのだ。何といっても後者の利益は、労働者にはほとんど何も残さない形で、株主とトップ経営者に流し込まれるのだ」と。
 ザーラ・ヴァーゲンクネヒトは彼女の党の場を、労働の世界の利益に全く結びつけることなく、戦後保守主義の「飼い慣らされた資本主義」、および社会民主主義の進歩主義両者の「正統な後継者」として当然視している。ザクセン州党議長のザミネ・ツィムマーマンはもっと明確に、BSWは「CDUの左、SPD(社会民主党)の右」と説明している(ジャコバン誌、2024年9月20日)。
 ヴァーゲンクネヒトの主張は、右への全般的な移行を背景に票を集める可能性もあると思われる。しかしそれらの票は、右への転換の確証だ。かれらを結集する綱領が、階級調停と経済の社会的所有に関する屈服、からなるイデオロギーだからだ。ヴァーゲンクネヒトは、ドイツの工業ブルジョアジーの資産を維持するための国民国家の規制、および税の公正さの諸要素を提案するにとどめている。

露骨なドイツ至上主義


 「民族主義」という用語は、ネオナチのならず者たちに対するジャーナリストの婉曲語になる前、資本主義的グローバリゼーションに反対して民主的な主権を擁護する、あるいは権威主義的なEU連邦主義に批判的な左翼への軽蔑として、あまりに頻繁に使われすぎた。この呪いは、自由主義の指令に対する拒絶は、連帯や協力からなる何らかの理念からではなく、ただ利己的な先祖返りからの帰結でしかあり得ない、と暗示する。しかし、どんなEUの国でも、自尊心のある左翼はすべて、EUの諸条約内にしっかり規定された多国籍金融資本の侵入に反対し民衆の主権を擁護している。そしてそれに関してはいかなる民族主義もない。
 しかし、ザーラ・ヴァーゲンクネヒトの民族主義的漂流の中に、この左翼の民衆主権の足跡を見出したいと思う者は誰であれ思い違いをしている。代わりにヴァーゲンクネヒトは今、階級協調に根を下ろした旧式の反動的民族主義を提案し、極右の保守主義とドイツ至上主義の綱領の改作版を作り直すために、右翼が何とか議題に載せることができたテーマ――エネルギー、移民、そして「道徳」――を取り上げている。
 このドイツ至上主義の民族主義者が最もはっきりと自身を表すものが気候の問題についてだ。「何らかの恣意的な排出基準を単に満たすために、電気自動車を義務づけることで国内自動車工業を破壊することは、われわれが支持するものではない。われわれがどれほど炭素排出を引き下げるかに関わりなく、今生きている者は全員、平均気温が再度下がるのを見ることはないだろう」と。
 この開けっぴろげさは歓迎されるべきことだ。しかし、化石経済を名目に未来の世代を運命づける意識された選択は、卑しむべきものだ。BSWは、気候否認派にならないとしても(ヴァーゲンクネヒトは気候危機の存在を分かっている)、そのドイツ至上主義を当然視している。つまりそれは、世界で最も豊かでもっとも工業化された国のひとつで、排出を急速に減らす代わりに、ドイツの有権者にとっての惨害作用を緩和することに優先度を置いているのだ。「先ず、老人ホームや病院、また子どものケアセンターに公的費用でエアコンを装備しよう。また、川や流れに近い場所を洪水に対し安全にしよう」と。破局は世界中で広がる可能性がある。そして民族主義は、われわれの家(あるいはわれわれの地域、あるいはドイツ、あるいはEU)を要塞というはかない希望のように見ることになる。

国際主義と無縁な世界把握


 「多極的世界に向けて」のスローガンは、自身を地政学的な将棋盤の一部としてみる左翼の見方を映し出している。この将棋盤上で、帝国主義側とその敵対者は互いに向き合い、左翼がもつ選択肢は白の歩(西側帝国主義と連携した)になるか黒の歩になるかどちらかであり、後者の場合は、ウクライナでの戦争に関しプーチンのレトリックを取り入れ、イランやシリアにおける制度的暴力からは顔をそむけ、ベネズエラの不正選挙は必要悪として扱うことになるだろう。
 「多極世界」を懐かしむこれらの者たちは、ジェノサイドの1年を経ても、中国とロシアがイスラエルとの彼らの貿易関係を無傷のまま維持し続け、ネタニヤフに何の圧力もかけていない、ということをまだ理解していない。しかしそのような矛盾でさえも、陣営主義者を困らせているようには見えない。
 ウクライナでの戦争に関するヴァーゲンクネヒトの立場には、元東ドイツの反NATO伝統に、安いロシアの天然ガス供給再開にとりつかれた、ドイツ工業のエネルギーという設定課題が加わっている。
 ヴァーゲンクネヒトの立場にあるこの冷笑主義は、明らかに、SPD・みどり政府に対する彼女の批判のいくつかを無効にするものではない。政府は数ヵ月の間、侵略者に反対しキーウを支持する点で相対的に穏健な立場を維持した。戦争の始まり(ロシアのガス用のバルチック海パイプラインのノルドストリーム破壊を伴った)に際してドイツがウクライナ側から直接攻撃された、ということを思い起こそう。
 しかし昨年SPDは、みどりの公然とした軍国主義路線を取り入れ、ゼレンスキーに攻撃用兵器を届け始め(領土外の標的攻撃を彼に可能とさせつつ)、軍需工業に基礎を置いた経済回復戦略を採用した。戦争政策に対するこの忠誠の頂点は、モスクワ到達が可能な米核ミサイルの、将来のドイツ領内設置容認だった。
 戦争という課題設定に関するベルリンの全面的取り入れは、ヴァーゲンクネヒトのレトリック(ドイツ工場向けの安いガスは、ウクライナの自決権よりも価値がある)を強化することになり、民族主義の相貌をもつ反戦の語りを理由に、彼女が極右と競合することを可能にした、
 しかしこの立場は、首尾一貫した反軍国主義に移し換えられているわけではない。逆に、BSWの移民政策は、この大陸に達しようと試みる外国の労働者に敵対するEU南部境界の軍事化、EUの財源で資金手当てされた収容キャンプの維持、そして中でも、サハラ砂漠と地中海における死者数の継続、を必然的に伴っている。

移民問題で極右と張り合う?

 明示的なレイシズムから自らを免れさせる(好天の日に)ことは、極右との衝突になるわけではない。BSWは、ファシスト同様公共サービスの危機、および賃金下落圧力を理由に移民を責めている。
 「70万軒の住宅不足」、あるいは教育と公衆衛生サービスの劣悪化は、まるで自由主義政策と投資引き上げの結果ではなく、戦争を逃れたシリア難民によって引き起こされたかのようだ。あるいは、あたかもドイツでは失業が歴史的な低レベルではなかったかのようだ。ちなみにその低レベルは、移民の圧力が、賃金への永続的な圧力に責任がある雇用主の単なるアリバイに過ぎないことを指し示している。
 BSWはその正道を外れた議論を構築するために、緊縮と財源の制限というレトリックを使い、社会住宅に向けた、あるいは移民受け容れサービス向け教員とスタッフの新規採用のための移転増額を提案しない。逆にBSWは、難民適用が拒絶されたがドイツの法で守られている(主に、帰還の安全保障を全く与えていない国から来たことを理由に)10万人内外の移民に対する社会的給付の廃止を求めて戦闘中だ。
 つまりヴァーゲンクネヒトは、シリアやアフガニスタンのような破局的な諸国への自発的な帰国に向けた圧力として、周辺化と悲惨さを利用したがっている。しかし彼女が達成することになるすべては人々を、外国人嫌悪に油を注ぐような社会的憤り、マフィア、またネットワークにもっと傷つきやすく、搾取される、そうしたドイツ内での地下的な存在に逃げ込むよう促すことなのだ。
 ヴァーゲンクネヒトは、諸々の取り決めにおける小さな書きつけの形で、外国人嫌悪と民族主義的な利己主義という告発に応える保証を十分に維持するかもしれない。つまり、資本投下に対するもっと良好な利用条件に基づいて若者をとどめるための出身国支援、公正な貿易体制、高熟練移民労働者のための訓練コスト弁済、などだ。この情け深い計画すべては、移民政策に関する厳格な制限を支持する彼女の公的なレトリックによって掘り崩されている。
 イスラム嫌悪の、反移民の有権者と向き合うためにそのレトリックを採用することで極右と競合することは、同じ結果を、最も傷つきやすい人びとを最も貧しい人々と競わせることを生み出している。そして最後に、選挙の研究が示すように、極右が票を得続け、その考えが政治的分布の残りへと拡大中だ。

極右による文化戦争再開を黙認


 ドナルド・トランプが2016年の選挙に勝利した時、彼の勝利は左翼による文化的な分派的主張による、と理論化した人々に不足は全くなかった。これらの評論家の多くが、トランプの宣伝活動に加わることに終わった。その時ですら、「覚醒主義」に反対する「文化戦争」を「政治論争の中心に」置き続けていたのは世界の極右だった。この猛攻を前に、今日差別反対の闘いと違いの認識の旗印を下ろすよう左翼に強く求める者たちがいたし、今もいる。
 2017年以来、大量の水が極右の水車小屋に流れ込んできた。そしてフェミニスト運動とLGBT運動が、依然「新しい」と呼ばれているこれらの社会運動の表現の中に、なおも「誇張」や「過剰」を見つけ出している者たちに全く不足はないとしても、保守派の設定課題に立ち向かい、それを黙らせる点で最も幅広く強力な部類となってきた。
 したがって保守的な順応は、この時期の左翼にとって変わることのない誘惑だ。しかしザーラ・ヴァーゲンクネヒトは今、この同盟のより高い違いで勝負中だ。彼女の政策は、彼女が全くはっきりしない条件で使用している用語である、完全な保守的転換だ。政治的基軸に関する彼女のあらましの中では、フェミニストとLGBTの権利という課題設定は単に消されている。「われわれは人々と、かれらがいる―ーかれらが拒否するものごとに関しそれらに改宗されない――ところで接触したい」と。これで終わりだ。
 問題がジェンダー平等になる場合、ドイツは「全般的に家父長制を克服し」、したがってフェミニズムはいわば博物館の展示物だ。はっきりしているが、極右はもっとも人気のある政党であることからかけ離れているわけではない。しかし、ネオナチの女性敵対視ですら、女性に危険を提起しているようには見えない。
 あらためてここにはレイシズムの変装がある。克服とされた女性への抑圧が、克服されたとされるや否や「再導入され」得るのは、裏口を通してなのだ。
 LGBTQI+差別の問題に関し、ヴァーゲンクネヒトは沈黙を強要したがっている。東ドイツの人々は多様性に関するそれらの論争に対処できない(……)、と。しかし、アイデンティティ政治には誇張されたタイプがある。そこでは、もしあなたが自身に移民の背景がない場合ある話題に関し声を大に語るならば弁解しなければならない、あるいはあなたが「生粋である」ことを理由に弁解しなければならない。
 資本主義は違いを罰し続けている。その中でこの民族主義は、性的関心を隙間市場に向けつつ、自由市場の身体の搾取を前にしたフェミニストとLGBTQI+の考えに内包された解放の潜在力を認める代わりに、最悪の保守主義、つまり不可視化と沈黙を当然視している。
 プーチンの拡張主義とウクライナへの侵略がもつ最悪な結果のひとつは、二級の大国の将棋盤で黒い歩になってしまった左翼の側であろうが、NATOを防衛の砦として正規化するにいたった者たちであろうが、誤った提携の極端化になっていることだ。ウクライナ侵略に関する左翼ブロックの立場は、帝国主義批判を侵略を受けた民衆の防衛的抵抗に対する支援と一致させることは可能だ――また基本でさえある――と明らかにしている。ヴァーゲンクネヒトの党は、黒い歩の役割を当然視する左翼の終局的事例であるように見える。しかしそれも表現の正しいやり方ではない。つまり、階級調停、ドイツ至上主義、また反移民主義、保守的な屈服、この変化すべては、ヴァーゲンクネヒトをすでに左翼から押し離している。(2024年11月8日、「ソリダリテS」からIVが訳出)

▼筆者は左翼ブロック(ポルトガル)の国会議員で、左翼ブロックの指導部メンバー。またジャーナリスト。
(注)断りのない引用は、「ニューレフト・レビュー」誌146号(2024年3/4月号)によるヴァーゲンクネヒトへのインタビューから取られている。(「インターナショナルビューポイント」2025年1月6日)  

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